こちら、対魔法専門探偵事務所です。
一人の女が、繁華街の建物の合間にある、人気の無い裏路地を歩いていた。
年の頃は20代半ば。凛とした切れ長の目に黒紫色のロングヘアをなびかせ、そのすらりと伸びた美しい脚で、彼女──メルダは裏道を奥へ奥へと進んでいった。
そして、私立探偵への依頼によって知り得た情報を頼りに道を進んでいたメルダは、一瞬では見逃してしまいそうなほどに細い、建物と建物の間に無理やり詰め込まれたような、三階建ての建物の前で足を止めた。
(……ここね)
畳1畳の横ぐらいの幅しか無いその建物が情報通りであることを確認した彼女は、その建物の玄関の前に立ち、扉の横のインターホン──ではなく、「コン・コンコンコン・コン」と、玄関前の石畳を足で叩く。
そして、メルダがその場から数歩後ずさりすると、玄関前の石畳がゆっくりとポットの蓋のように持ち上がり、地下へと続く狭い螺旋階段が姿を現した。
メルダは階段を踏み外さないよう、慎重に地下へと降りる。
その場所は鉄筋コンクリートの壁や魔法石による照明が設けられ、メルダが降り立った最奥部には一つの扉が佇んでいた。
すると、扉上部に設置された防犯カメラ横のスピーカーから、静かな男の声が響いた。
『合言葉は?』
「……"悪しき魔を滅することを望まん"」
『……よろしい、歓迎するよ。入りたまえ』
男の声が途切れ、扉の鍵が外れる音が響く。
メルダは扉を開け、中に入り──思わず、目を疑った。
その部屋の奥──そこに座っているスーツ姿の青年の髪の色が、銀色だったからだ。
「ようこそ、綺麗なお嬢さん。
"対魔法専門探偵事務所"、探偵兼所長のグランだ……と言っても、ここには私以外いないがね」
その事実に呆気にとられていると、先程スピーカー越しに聞こえた声の主であるその青年が席を立ち、自己紹介と共にお辞儀をした。
「あっ……、メルダ、です……」
我に帰ったメルダも自分の名前を教え、胸ポケットの名刺を取り出してグランに差し出す。
しかし、その視線はグランの銀髪から離れてはいなかった。
「これはこれは、ご丁寧にどうも……。何分、私は自分のことをあまりおおっぴらに売りたいと思ってなくてね、名刺は用意していないんだ。
……銀髪が、そんなに気になるかな?」
グランのその問いに、メルダは気まずそうに頷いた。
髪の毛の色は、本人が持つ得意属性に対応した色によって決まり、魔力総量に応じて色の濃さが変化する。
メルダは闇属性魔法に適性を持ち、その魔力総量も人一倍多い為、髪の毛は"限りなく黒に近い紫"の色であった。
その反面、グランは一切の淀みが無い、真っ新な銀髪──つまり、得意な属性が存在せず、魔力総量も雀の涙程度しか無い、身も蓋もない言い方をすれば"魔法社会不適合者"という存在に他ならなかった。
「不安があるようなら、まだ引き返せるよ。どうする?」
「……いえ。あなたに委託された依頼は、全て完遂されていると聞き及んでいます。
それが例えどんな行為であったとしても、今回は厳重注意までで目を瞑ると、上層部から通達がありました」
「……警察も、手段を選んでいられない程の相手だと言うことか」
そう言って、グランはメルダ巡査の名刺を上着の内ポケットに入れる。
「ただ、これだけは言っておこう。
過去、これまで数あったどの依頼においても、私は違法行為と呼ばれる行為は一切していないし、するつもりもない。
誓約書があるなら、喜んで署名と印鑑を押すが……」
「……一応、書いて頂けるかしら?」
メルダは、自分より年下であるはずの銀髪の青年──グランの自信に満ちた物言いに眉をひそめつつも、鞄の中から誓約書と依頼書の入った封筒をグランに差し出し、グランはそれにサインを施すのだった。
◇ ◇ ◇
違法禁術集団"キラーグリフォン"。
ここ数年、その構成員によって各地に魔法による被害が増加していた。
魔法警察はその被害の増加を受け、キラーグリフォンに対する警戒レベルを引き上げ、最後の交渉を試みるも決裂。
キラーグリフォンの事務所が存在している地区は封鎖され、両勢力の争いは押しては引いての膠着状態に陥っていた。
グランに依頼されたのは、地区が丸ごと封鎖されて他所からの補給が出来ないにも関わらず、構成員の治療や食事を賄えているキラーグリフォンの補給手段を突き止めることであった。
そして──
「……ふう」
魔力を使い続けた事による疲労に一息つくのと同時に、それまで二人──グランとメルダの姿を隠していた闇魔法が解除され、何も無かった暗闇の中に二つの影が現れる。
キラーグリフォンの施設の地下二階──その壁には、魔法によって厳重なロックが施された扉が佇んでいた。
「恐らく、この中に秘密があると見て間違い無いだろうね」
グランは最後の潜伏調査場所を前にして、確信を持ったようにそう言った。
だが、扉のセキュリティを一通り観察し終えたメルダは、諦めたようにこう言った。
「……これは、かなり厄介なタイプよ。
このセキュリティを突破するのは、今は──」
「何のために私が居ると思っているんだい?」
グランのはっきりとした声が、撤退の判断を下そうとしたメルダの声を遮った。
そして、グランがロックの掛かった扉の前に立つと、その右手を銀色の光が包み込んだ。
(え……? 何、これ……)
その銀色の光から発せられる異質な力を感じ取ったメルダは、驚愕に目を見開く。
その光から感じ取れる力は、この世のどの属性とも異なり、その質感は明らかに──
(魔力じゃ、無い……!?)
明らかに、"魔力とは異なる別の力"であった。
そして、グランはその光を纏った手のひらを、扉に直接貼り付けた。
すると、みるみる内に扉から魔力が"消失"し、施されていたセキュリティの術式は、綺麗さっぱり消え去ってしまった。
「グラン……。今のは、一体何……?」
制御を失った扉が自重によって勝手に開く中、未知なる力を目の当たりにしたメルダは、恐る恐るグランに問い掛ける。
すると、グランから返ってきたのは、予想だにしていなかった内容であった。
「……波動だよ」
「はど……っ!?」
波動。その言葉を聞いて、メルダの頭は混乱した。
今から500年ほど昔、大きな争いが起こった。
魔力を乗せた独自の言語を繰り、自然を司る八つの属性を自在に操る変幻自在の戦術"魔法"。
その魔法を打ち破る、絶対なる天敵と言われた戦術"波動"。
その二つの勢力が対立し、それはやがて世界中を巻き込む大戦へと変化していった。
そして、数の上では圧倒的有利にあった魔導士達は、みるみる内に数を減らしていった。
しかし、"対波動戦術"が確立されたのを機に、形勢は逆転。
その後、波動士は一人残らず全滅し、その技を継承する者は居なくなった──そのはずだった。
「そ……、そんなはずは……!」
──有り得ない。
そう言おうとしたところで、言葉が詰まった。
グランの魔法社会不適合者と言う間違えようのない体質。魔法とは異なる異質な力。組み込まれた魔術式が痕跡すら残さずに綺麗さっぱり消失するという、有り得ない現象。
それらの事象が、魔法の天敵である波動で起こされたので無ければ、何によって起こされたと言うのだろうか。
「人であれ、物であれ、そこにあるのが魔法である限り、波動士である私に打ち消せない物は無いよ」
波動という概念が失われて久しい今、波動の使用を制限する法律も、対波動戦術も、あるはずが無かった。
確かに、違法行為ではない。
しかし、この男はその気になれば、世界を牛耳ることすら可能なのだ。
グランのその言葉を聞いたメルダは、自身の心の中に明らかな恐怖が芽生えていることを自覚した。
だが──
「安心してくれ。私は500年前、既に夢破れた身だ。
今更覇を唱えるつもりは無い。
それに、もし本当にその気だったのなら、徒党を組んでとっくに行動を起こしているさ」
「えっ……?」
グランの口から発せられた言葉を理解するのに、メルダの頭は数秒の時間を要していた。
「……私が今から話すことは、ただの独り言だ。
信じるも信じないも、お嬢さんの自由だよ」
グランはそう言って、メルダに自身の事を語っていった。
なんてことはない。グラン──もとい"最後の波動士"アークは、何の偶然か、前世の記憶を保ったまま500年後の世界に転生していたというだけの話だった。
前世の経験を元に波動を使いこなすようになったグランは、ただでさえ魔法社会不適合者という理由で忌避されていた両親から更に気味悪がられるようになり、捨てられた。
しかし、魔導士が蔓延るこの平和な時代において、魔導士同士の争いや事件が絶えないことを好機とみたグランは、対魔法専門の探偵事務所を立ち上げ、裏でひっそりと仕事を行い、生計を立ててきたのだ。
「……やはり、"超成長"を濫用した食物プラントだったか」
力技でこじ開けた扉の向こう側には、こうして調査している間にも成長を続ける農作物の畑や樹木がずらりと並べられていた。
しかし、禁術の魔術式が組み込まれた機構も、証拠の裏付けを終えたグランの手によってあっと言う間に無力化されてしまう。
「……………………」
メルダはグランの話を聞いて以降、何も喋る事が出来なかった。
自分は警察機関の人間だ。波動という存在は、今の魔法社会にとって不安要素でしか無い。
しかし、本人はその気は無く、また波動を罰することが出来る法律があるわけでもない。
むしろ、協力しなければこの違法なプラントの存在を知ることも出来ぬまま、被害が増えるだけの結果になってしまっていただろう。
メルダは、彼の存在をどう扱うべきか、悩み続けていた。
「危ないっ!!」
「……えっ!?」
突如聞こえたグランの声と共に、空気を劈くような音がプラントルームに響き渡った。
メルダが顔を上げると、そこには自分に背を向け、入口に現れたキラーグリフォンの頭──バルログの雷魔法を波動の壁で打ち消しているグランの姿があった。
「な……っ、テメェ、今俺の強化雷をどうやって防ぎやがった!?」
「強化雷……か。
おおよそ、自身の魔力回路に改造でも施して威力を上げたという所か?」
図星なのか、バルログは一瞬言葉に言い淀むが、すぐに次の魔法を発動する。
それは、雷によって作られた無数の槍が降り注ぐ雷属性の上級魔法、雷連槍であった。
そして、一瞬の間にグランへと肉薄するが、メルダどころか、グランにすら攻撃は届いていない。
「改造してこの程度とは……笑止」
魔法が止んだ一瞬の隙を突いて、グランはバルログに一瞬で詰め寄る。
そして──
「マーリンの雷の方が、余程打ち消し甲斐があったぞ」
かつて戦った大魔導士マーリンとの記憶を思い起こしながら、グランは波動を宿した二つの腕でバルログの両手首を掴み、背中の方へと締め上げる。
そして、魔力回路に直接送り込まれた波動によってバルログは瞬く間に魔力を空にされ、急激な魔力減衰によって意識を失うのだった──。
◇ ◇ ◇
『先々月から展開されていた、警察による違法禁術集団"キラーグリフォン"の制圧作戦が成功し、封鎖地区の外へ避難していた人達が戻れる兆しが見え始めた模様です。
また、キラーグリフォンが活動の拠点にしていた施設の地下には、禁術である"超成長"を濫用していたプラントが発見され──』
繁華街の裏路地の奥、その秘密の地下室にある探偵事務所のテレビから、キラーグリフォンが事実上壊滅したというニュースが報じられている。
所長のグランはそのニュースを耳で聞きながら、適温まで熱したお湯で珈琲を淹れると、その珈琲をトレイに乗せていつも通り自分の書斎兼応接間へと運んでいく。
そして──
「……お嬢さん、また何か用が出来たのかい?」
二つの珈琲をメルダの前と自分の席に置き、グランはメルダと向かい合う形で席に着く。
すると、メルダは一枚の書類をグランの前に差し出した。
「グランさん。あなたは上層部の決定によって、不確定要素と判定されました。
それに伴い、私があなたの監視を行うことになった次第です」
「……成る程、適切な判断だ」
書類を読みながら、どこか納得がいったようにグランはそう言った。
そして、内容を読み終えたグランが、メルダに問い掛ける。
「この契約書によると、監視役としてここに居座る以上、お嬢さんは助手として僕が預からせてもらうって事になってるけど……、本当に良いんだね?」
「ええ。私もそれぐらいは、あなたを信頼することにしましたので」
「……そうか」
その返事を聞いて、グランは書類に署名と印鑑を押す。
「じゃあ、これから助手としてよろしく頼むよ、メルダ君」
「こちらこそ、波動について色々教えて下さいね、グランさん」
そう言って、二人は固い握手を交わした。
さて、次はどんな依頼が舞い込んで来るのだろうか──。
ぱっと思いつきで書いた読切です。
お読み頂き、ありがとうございました。