三話続 「当たり前ですよね」
「……」
張り詰めた空気の中、俺はゆっくりと身構える。
魔法が使えると分っていても、素手ではあまりに心もとない。せめて、なにか武器でも持って来ればよかった。そう思った時、俺の右手に一振りの短剣が生成される。突然の事に驚くが、今はありがたいと深くは考えない。
俺は短剣を握りしめ、草を掻き分けて近づく音に細心の注意を払う。もう、距離は余り無い。ゆっくりと短剣を構えながら少しずつ後ろへと下がる。
短剣を構えると同時に音が止む。それは音の主が止まった事を示し、音の主に知能があるということを示していた。
「………」
音の方向を睨み付ける。数秒が経ち、森から黒い影が飛び出して来た。黒く巨大な狼。
俺を警戒するように佇むそいつは、子供の上半身など丸々食い千切られる大きさをしている。
「……っ」
始めて見た魔獣。この世界の理不尽を目の前にして、俺は動けなかった。
本能的に理解したからだ。この場から一歩でも動いた瞬間、あれが襲い掛かると。
だが、俺が動けなくとも、狼はゆっくりと、そして確実にこちらに近づいて来ている。
戦う以外に生き残る術はない。元々、それが目的でこの森まで足を運んだのだ。ここで力を試さずしていつ試す。
俺が戦う覚悟を決めると同時に、ズドンと、ただ地を蹴ったとは思えぬ程の音を出して狼は同時に動く。獲物を食らう為に。
「身体強化!」
魔力を全身に纏って身体能力を強化し、横に飛び退く。直後、俺の指先を狼の鋭い爪が掠める。
狼は着地すると同時に俺の方を向き、牙を剥いて襲い掛かって来る。
これは避け切れない。そう思った俺は短剣を立てて狼の口の中に突っ込む。多少、腕を噛まれて怪我を負うが、腕を食いちぎられるよりはましだ。狼の体重に押し倒されながらも、冷静に右手を狼の腹に当て呪文を唱える。
「光を落とす天の射手、煌々として穿て! ライトランス!」
至近距離から放たれた光の槍は、狼の胴体をちぎる程の大穴を腹に穿つ。そして一撃で狼の命を奪った。
草を血で染め上げ、力なく横たわりピクリともしない狼を見下ろし、息を荒げながら勝利に喜ぶ。俺の力は十分に通用する。
そう思ったのも束の間、正面からゆっくりと先ほどよりも大きい狼が姿を表す。それも一匹だけではなく十数匹はいるだろう。
「狼ですし、群れで行動するのは当たり前ですよね」
流石にこれだけの数を相手にはできない。俺は右手の怪我を抑えて走り出す。正面には狼がいて、来た道を使えない。故に、走る先は花畑の先にある森の奥。その先に救いがあるとは思えないが行くしかない。
後ろを振り向く余裕はなく、俺は限界まで速度を上げる。
だが、それでも後ろから聞こえてくる足音は徐々に大きくなっていく。
このままでは、やがて追い付かれて、奴らの腹へ収まる事になるのは目に見えている。
なら、ここは戦うしかない。大丈夫、俺の魔法はこいつらに通用する。数が多いだけで、個々の力は俺の方が上だ。
「光を落とす天の射手、煌々として穿て」
俺は自分にそう言い聞かせながら、中級魔法の詠唱をする。そして狼達から逃げるのを辞め、大木を背にして奴らと向き合う。
「ライトランス!」
振り向き様に一発。群れの先頭に居た狼に中級魔法を喰らわせてやる。
稲妻の如き速さで撃ちだされたそれは、狼の身体を容易く貫き半身を失ったそいつは、糸の切れた人形のように地面に倒れ伏す。
その瞬間、それが合図となり戦いが始まる。俺を取り囲むように、狼の群れは扇状に広がる。一匹の狼が襲い掛かってきた。
俺はそれを横に躱しながら、首筋に短剣を突き立てる。だが、狼の毛皮は予想以上に硬く、短剣が少し刺さっただけで、大した傷を負わせることが出来ない。
「光を落とす天の……っ!」
短剣で駄目なら魔法でと、詠唱を始めるが、それを邪魔するように別の狼が襲い掛かって来る。咄嗟に詠唱を中断し、横に跳んで逃れる。
先ほどの一撃を見て、俺の魔法はかなり警戒しているらしい。
同時に、交互に、そして不規則に襲いかかってくる狼を相手に、呪文を詠唱する隙を見つけることが出来ず、中々反撃に転じる事が出来ないでいるまま、じりじりと追いつめられていく。
「くっ、流石にこのままでは……」
足元に転がる狼の死体を一瞥して、そう呟く。数匹は仕留める事ができたものの、狼の数は一向に減ったようには見えない。
防御も利き腕に怪我を負い、走り回って体力消耗した俺では、致命傷を避ける事しかできない。体中には次第に生傷が増えていき、足に受けた傷が原因で体勢を崩して転倒してしまう。
その隙を見逃すほど狼達も愚かではなく、俺が体勢を立て直すまえに殺到してくる。一瞬にして、視界が狼で埋まる。食事を前に待ちきれないと言った様子で、ゆっくりと大きな口を開く狼を前に、懐かしいとも呼べる感情が俺の心を満たす。
前世で俺が幼少の頃に、両親から暴力を受けている時、嫌というほど味わった感情。
果てしない絶望と恐怖。それに体を支配され、身動き一つとれなくなる。
理不尽に抗う力を得ても、俺は……俺の心は弱いまま。絶望を前にすると、声を上げることすらできなくなる。これじゃ、前世と何も変わりはしない。
違う、そうじゃないだろ。なんの為に、この世界に転生したんだ。今ここで恐怖に打ち勝てなくて、なにが二度目の人生だ。
「っ……あああああぁぁぁぁぁっ!」
叫びと共に右足で地面を蹴り、地面に倒れ込むようにして飛び退く。地面を転がるようにして距離を取る。地面に埋まっていた石に頭をぶつけ、額から流れた血が左側の視界を塞ぐ。
だがそれに構っていられる余裕はなく、急いで立ち上がり体勢を立て直そうとした矢先————ガクリと、俺は膝から崩れ落ちた。
再び立ち上がろうにも、足に力が入らない。ここに来て戦闘によるダメージと疲労が限界を迎えてしまった。
「まだだ……まだ終わってない!」
自身を奮い立たせるため、精一杯の大声で威嚇する。
満身創痍となりながらも闘志を失わない姿に、鬼気迫るものを感じたのか、狼たちは警戒するように頭を低くして唸り声を上げる。それでも目の前にした獲物を逃がそうとはせず、ゆっくりと襲い掛かる体勢をとる。
それに呼応するように俺も短剣を構えて、魔法の詠唱をしようと口を開く。
「ライトアロー」
突如として、暗い森に無数の光が降り注ぐ。それは的確に狼の急所を打ち抜いていき、確実に息の根を止めていく。
目の前で次々と倒れていく狼。そんな眼前の光景を前にして俺はただただ驚愕する。
「まさかここまでするなんて、我が子の好奇心を舐めていたわ」
月明りに照らされて白銀に輝く髪を風になびかせ、ほんのりと妖しい光を放つ真紅の瞳。ゆったりとした衣服に身を包み、悠然と歩いてくる一人の女性。リュカ・ライトロード。
「ユウリちゃん、無事でよかった」
リュカは俺に駆け寄り優しく抱きしめた後、俺に手をかざし、回復魔法を使う。体中にあった生傷はみるみる内に塞がっていき、跡形も残らず完治する。
「母様……」
俺が口を開いた瞬間、頬に鋭い痛みが走る。それが、リュカに平手で叩かれたのだと築くのに、さほど時間はかからなかった。
熱を帯びた頬を抑え唖然としてリュカを見上げると、リュカの頬を一筋の涙が伝うのが見えた。
「どうして勝手に森に来たりしたの! 森には危険な魔獣が居ると教えていたでしょう!」
「ごめんなさい。母様」
「もし、ユウリちゃんに何かあれば……」
リュカはそう言って再び俺を抱きしめる。
暖かい。母親にぶたれて、そう思えたのは初めてだ。
「さ、帰りましょう。今日は疲れたでしょう? ゆっくり体を休ませるのよ……あ、言っておくけれど、明日になったらお説教ですよ」
リュカはそう言いながら、横たわる狼の死体を積み上げていく。
「わかりました」
そう言って立ち上がろうとした時、視界の端に動く影を捕らえる。それは一直線に俺へと襲い掛かってきた。
肉が千切れ、骨が砕ける音を聞きながら、悲鳴を上げ。
「う、い……ああああぁぁぁぁ!!」
草陰に身を潜めていたのか、たまたまリュカの魔法から逃れていた一匹の狼が、俺の右腕に食らいついていた。狼の力は強く、今にも腕が引き千切られそうだ。
「ユウリちゃん!」
リュカは俺の手から短剣を取り、狼の首めがけて振り下ろすが、狼は後ろに飛んでそれを避ける。腕に噛みつかれている俺の体は、狼に引き摺られて共に飛び上がる。同時に、腕に噛みつかれている俺の体も、狼に引き摺られるように飛び上がる。
「……………え?」
狼が着地した衝撃で、俺の身体は放り投げ出される。空中に投げ出されている間、俺の右腕を咥えた狼の姿を茫然と眺める。
「いやああああぁぁぁぁぁ! ユウリちゃん!?」
リュカの悲痛な叫び声が、意識の薄れ行く俺の鼓膜を揺さぶる。
リュカは放り出された俺の身体を受け止め、怒りの籠った瞳で狼を威圧し、魔法を放って狼の脳天に穴をあける。
「ユウリちゃん……ああ、どうして……どうしてこんな……」