人生ちょっぴりハードモード
「ほら、頂上だよ! 景色すっごいきれい!」
や、やっと着いたか……。
もう無理。今すぐ登山口の前、いや自宅に誰か連れ帰ってくれ。自力で帰る体力すらない。想像以上の過酷さになけなしの勇気もとっくに真っ二つなんだ、許してくれ。
何度繰り返したかわからない弱音だらけの心の中は、よっこいせと頭を持ち上げた瞬間にすべて塗り替えられた。
「こ、れは……」
頂上からの風景など、ただ緑が広がっているだけだと思い込んでいた。
「どう? 想像してたのと違うでしょ」
そもそも、山登りが趣味の彼女に同行を志願し、はじめての登頂にチャレンジしたのは運動不足解消のためでも絶景観賞のためでもない。別の目的が理由だ。
趣味のゲームくらいしか誇れるものがないクズな自分が、これをやり遂げられれば自信が生まれる。そして長年の夢を叶えられる。そう己に立てた誓いのためだった。勝率に関してはあえて気にしていない。気にしたら負けだと思っている。
目の先を占領する光景は予想と全然違っていた。
まず、緑は一色だけではなかった。薄い、濃い、黄緑……貧弱な語彙では説明しきれない緑が絡み合っている。
奥に視線を伸ばせば、また違う色がぽつぽつと現れる。茶色や赤い点のようなものは家の屋根だろうか。ところどころで緑を横断している直線や曲線は道路だろうか。まるで模型に見える。
それらを雲ひとつない青空が堂々と見下ろしているのもまた圧巻で、解放的な気分にさせてくれた。
「言葉もない、って感じだね」
彼女は誇らしげな笑顔を向ける。期待通りの反応で嬉しいと言外に告げられているように見えて、つい顔を逸らしてしまった。実際思惑にはまって、目的が抜けかけた。
そう。ここからが本番だというのに、なんと笑えない冗談か!
スポーツドリンクを取り出して勢いよくあおり、深呼吸をひとつする。よし、少し落ち着いた。かも知れない。
「ど、どうしたの? いきなり」
「実はな。おれは、お前に言いたいことがあるんだ」
本当に落ち着いたらしい。少なくとも、超初心者向けの山のてっぺんで何やってんだろう一体、と己につい突っ込んでしまうくらいの冷静さは戻っていた。
いつもと違う空気を感じたのか、彼女は唇を引き結んだ。こうして正面から改めて向き合うのは何年ぶりだろう。背丈や髪の長さ、声、雰囲気など、歳を重ねて変化する部分は確実にあっても、丸く輝く瞳だけは昔と同じで安心する。
自分のような男と、幼なじみのよしみなのか気兼ねなく付き合ってくれる異性は彼女しかいなかった。理由を訊いたら「気が楽だから」と冗談まじりに答えていたが、それでも嬉しかった。
だから、彼女しか考えられない。彼女しかいない。
ただの幼なじみではなく、男女として、そう、いわゆる「恋人」として仲を深めていけるのは、目の前の彼女だけなんだ!
「こっ、こんなどうしようもないおれだけど! 付き合って欲しいんだ!」
「ごめんなさい無理です!」
「って早くないか!?」
思わず突っ込むと、彼女は腹を抱えて笑い出した。ひ、酷い。人がカスカスだった勇気を懸命にかき集めて絞り出したというのに漫才のツッコミの如き速さで一刀両断にしたあげく笑いまで付加してくるとはひどい。
「ごめんごめん。でもそうか、だから急に山登りたいなんてこと言い出したのね。山頂まで行けたら告白する! 的な?」
さすが幼なじみ。一発で見抜かれた。
「でも、これくらいの山達成したくらいじゃねえ。『お前の覚悟はその程度か!』ってちょっと漫画の台詞っぽく言ってみました」
つまり甘ちゃんすぎて話にならないから恋人になるなんてとんでもないと、お断りと、そういうことか。わかっていたこととはいえ、現実につきつけられるとやはり痛い。
『三次元の幼なじみはただの女と変わらないぞ!』
『夢を見るのは二次元だけにしとけ!』
『とりあえず骨を拾う準備だけはしといてやるよ』
激励ゼロだった仲間達、正しいのはそちらだった。つい反論してしまった自分が間違っていた。
「だから次はもう少しレベルの高い山に挑戦しようよ」
「はいはいおれが悪かったから……は?」
なんだか話の流れがおかしい。
「この山は初級だから、もう少し慣れたら次は中級ね」
雄大な景色を背中に携えて、彼女は続ける。
「そんで、私が次にチャレンジしようとしてる上級の山を一緒に登れたら……」
やっぱりおかしい。その言い方だとまるで、すべて終わったというよりも……
「さっきの告白、もう一度ちゃんと聞くよ」
ハードモードに変わりはない。
けれど、頭の中で造り上げていた未来よりかは少し、マイルドみたいだ。