第2話 レオパルド・ローネイン2
レオパルドの家、ローネイン家の屋敷(しばしば掘立小屋、戦地の即席詰所など散々言われている)からほんの数十メートル離れた位置に、ダルトン家の屋敷がある。
レオパルドが主家と仰ぐダルトン家は、帝国において、由緒正しき軍人貴族であり、多数の優秀な軍政家、政治家を排出してきた。
時には大臣も排出してきたほどの名家『であった』。
過去形が意味するところは、つまりはそういうことである。
レオパルドはアリスの2歩ほど後ろを歩いた。仮にも主家の夫人であるから、前を歩きはしない。些細なことではあるが、軍人として身を置いたりするので、そういったことは染み付いていた。
しかしなぁ、と無言で苦笑いを浮かべるレオパルド。遅々とした歩みには、少々戸惑う。軍人がなよなよとした歩き方をしては示しがつかないと、それなりに大股でヅカヅカと歩くのが当たり前であるから、普通に歩けば、悠々とレオパルドはアリスを追い抜いてしまう。
それを防がんとして、レオパルドは悪戦苦闘し、時には歩みを止めたり、妙にのそのそと歩いたりもして歩調を合わせた。
「レオ!」
屋敷をしばらく悪戦苦闘しながら歩き、食堂に着くと、一人の幼い少女がレオパルドの姿を見や否や、駆け足で近づいていった。
見目麗しいアリスに似て、幼いながらも美人の面影のあるオリヴィアは、アリスの一人娘である。しかしながら、容姿は似ても、中身は似ておらず、やんちゃっけが幾分か強かった。
「オリヴィア様」
駆け足のまま、レオパルドへ果敢に突っ込もうとしたオリヴィアは、それが叶わず、ロディに止められた。
「なんで止めるのロディ?」
不満げに頬を膨らませたオリヴィアは、ロディに問い掛けた。
「……はしたない真似はいけません」
「むぅ」
とりあえずは納得してみせ、すぅと力を抜いたオリヴィアであったが。
「うにゃあー!」
再び緩急を付けた動きでロディを翻弄……とはいかず、今度はがっつり捕まえられた。
曲がりなりにも幼年士官学校を卒業しているロディからしてみれば、幼女の奇をてらった程度の動きなど止めるのは簡単なことだった。
「ロディの意地悪」
今度こそ諦めたオリヴィアはしゅんとすると、レオパルドにペコリと頭を下げて、母であるアリスの横に立って、母のスカートをぎゅっと掴んだ。
「……それで、レオのご用はなぁに?」
オリヴィアはレオパルドにとにかくなついていた。暇さえあれば、レオパルドの屋敷に駆け込む程度には好んでいるのだが、ロディやオリヴィア専属の侍女の目を掻い潜って行くことは難しく、母のアリスもそこまで多くは会わせようとしなかった。
「夕飯をご一緒させていただきに来ましたオリヴィア様」
わざとらしい仕草を加えて、恭しく頭を下げるレオパルドに、オリヴィアは嬉しさを隠すことなく、にんまりと笑顔を作った。
「じゃあじゃあ!レオはあたしの隣ね!」
忙しなくパタパタと駆けると、オリヴィアは自分の席の隣の椅子を引いて、椅子のクッションをパンパンと叩いて誘導する。
「オリヴィア様、お誘いは大変光栄ですが、席は決まっておりますので」
レオパルドはあくまでダルトン家の家臣に過ぎない。ましてや、一度は断絶しかけた家の名前を継いだだけの新米も新米、主家の一人娘の隣などにつくはずもなく、一番離れた位置の席についた。
家臣としてあまりにも若すぎることとはまた別の理由もあった。
断絶寸前のローネイン家を継いだレオパルドであったが、レオパルドは元々ローネイン家の者でもなければ、貴族でもなかった。
レオパルドは帝都から遠く離れた東の地の出身であるらしい。であるらしい、というのはレオパルド本人の記憶が曖昧であることに起因している。
東洲大乱、東洲の乱と呼ばれる反乱が合計5回確認されており、それを総称し、東洲大乱と呼ばれる。その東洲大乱の被害者の一人がレオパルドであった。
レオパルドは、東洲の出身であった。東洲を治める複数の領主が結託し、当時の不安定な情勢に危機感を覚えた貴族・軍人らが中心となり、また農作物の不良による食糧難への不安から多数の農民も参加して第四次東洲の乱が起こった。
貴族やそれに従う軍人の他に農民も参加した第4次東洲の乱は、規模が大きく、国が公式に乱の鎮圧を宣言するまで、2年と5ヶ月の歳月を要したほどであった。
その東洲の乱を治めるべく、帝都より派遣された軍人の一人にウィリアム・ダルトンという若い少尉が参加していた。
ダルトンの名を冠している通り、ダルトン家の長子であり、次期当主であった。軍人としてまだ若く、正義感に溢れ、強きを挫き、弱きを助ける、典型的な軍人であった。
しかしながら、そのウィリアムは東洲の乱を目の当たりにし、気が滅入った。反旗を翻した貴族や軍人を討伐するのは、国に仕える軍人として、当然のことであった。帝都で顔を合わせたこともある貴族や軍人を手にかけることに抵抗はあったものの、それでも務めを果たした。
明確な正義がどちらにあるのかと問われれば、胸を張って答えることは難しくとも、それでも軍人としての責務を全うしなくてはと、奮起してみせた。
だが、農民相手ではそうはいかなかった。帝国兵は、戦果の水増し目的で、多数の農民兵は当然の如く、その家族にすら容赦なく手をかけ、略奪を行った。
そもそも、東洲は帝国に支配されてからまだ久しく、当然ながらまだまだ異民族も多かった。血統を尊ぶ帝国からしてみれば、異民族に類する東洲民など虐げて当然ぐらいに考える輩がほとんどであった。
ウィリアムですら、上官に何度か抵抗したが、上官の強制的な命令によって、直接殺すことはなくとも、兵士たちにその命を何度か下した。
正義感に溢れ、国を、民を守れる立場になるのだと、未来を描いていた若き尉官には相当堪えるものがあったが、なんとかそれを乗り越え、ウィリアムは憔悴しきっていたが、五体満足のまま、帝都への帰路へついた。
その途中、ウィリアムは激戦地の一つとして数えられた地を歩んでいた。その戦地に小さな幽鬼を見た。
あまりにも小さな鬼は、真っ黒に汚れていた。ウィリアムからしてみれば、よく目にしてきた黒であった。真っ赤な血が酸化した色だった。
真っ黒に汚れてはいたが、なぜかその真っ黒とは別の、墨汁を煮詰めに煮詰めたような黒の瞳に、恐怖しつつも魅せられたウィリアムは、その小さな鬼に近づいていった。
軍列を離れる上司を訝しみながらも、同じく疲れきった兵士たちは、呼び止めることもなく、歩みを続けた。
小さな鬼は、ウィリアムの気配にまもなく気付きはしたものの、大して気にすることなく、死体を漁っていた。
ウィリアムと小さな鬼がいるその地は、ほんの数日前まで戦地であった場所であり、死体がゴロゴロ転がっている。その死体を漁り、金になりそうなものを剥ぎ取って金にすることは、ざらにあることであった。
しかしながら、生まれも育ちも帝都のウィリアムからしてみれば、聞いたことはあっても見たことはなかったし、ましてや、年端も行かぬ子どもが剥ぎ取りもしているなど、思いもしなかった。
「……君」
何倍も年の離れているであろう小さな鬼に、ウィリアムは恐る恐る声をかけた。
「……」
小さな鬼はチラッと目線をあげるだけで、物漁りをそのまま続けた。
レオパルドはその無反応さに、本当に鬼かなんかで、言葉が通じていないのではないかと思った。
「なぁ、君。だ、大丈夫かい」
それでも、と軍人としての責務と勇気を振り絞って声をかけた。
「……」
今度は無言ながらも、動きを止めた小鬼はじっとウィリアムを見つめた。小鬼などと感想を抱いたものの、返り血にまみれた小さな小さな子どもでしかなかった。男の子だった。
「ケガはないのか?」
ウィリアムの問いに、男の子は首を縦に振って答えてみせた。
「両親は?」
言葉の意味がわからなかったのか、首を傾げただけだった。
「お母さんとお父さんは?」
言葉を変えると、男の子は目線を下げると首を横に振った。はぐれたか、最悪死んだか、ウィリアムは同じく目線を下げた。自分はこういったか弱き存在を助けるために、軍人になったのではないか。
「なのに、なんで」
真逆なことをしているのでは、と悲観せずにはいられなかった。
「ん、どこへ行く?」
とことこと、しかし確かな歩みで戦場から離れていく。
ウィリアムは東洲へ向かう前、父であるゲオルグ何度も注意された。
『一つの物事だけを見るな』
その忠告を守れていないのではないか。何も目の前の男の子だけが被害者ではないのだ。こうなってしまった、こうならざるを得なかった民は、いくらでもないるはずだ。
「だけど」
目の前で苦しんでいる男の子を放置していい理由になる訳ではない、と意思を固め、男の子の後を追った。
一度は視界から消えたものの、すぐさま追いかけると、男の子は見つかった。
しかし……
「二人?」
さっきの男の子と別に女の子がいた。真っ黒に汚れた5歳程の男の子とはまた別に、10歳になるかならないかくらいの、こちらは男の子に比べて、幾分か小綺麗な格好をしていた。
真っ黒に汚れた男の子は、汚れが目立つものの安価な毛織物で作られているのであろうことが、近くでみるとわかった。
女の子は真っ黒に汚れた男の子に比べ、所々汚れが見てとれたが、綺麗さがしっかりと残っていた。
その格好の身綺麗さと合わせたかのように、女の子は瞳は意志の強さを感じ取った。
「私は……私はウィリアム、ウィリアムだ……。君の名前は?」
ウィリアムは詰まりながらも、まずは自分の名前を明かして歩み寄って見せた。
「……アリス」
女の子は恐らく自分の名前であろう名を話してくれた。その事に、どこか安堵する。
その反応に何かを感じ取ったのか、アリスは男の子の前へ出ると、両手を横に広げて、ウィリアムをキッと睨んだ。アリスは男の子のことを守ろうとしているのだ。
「いや、警戒しなくてもいい。アリスたちを助けに来たんだ」
努めて和やかな声色と笑顔を作ったつもりで、ウィリアムはいた。果たしてその通りになったかは、ウィリアム自身は定かではなかったが、アリスが両手をそろっと下ろしてくれたことから、その努力は叶ったのであろう。
「男の子の名前は?」
ウィリアムがそう尋ねるが、男の子は答えなかった。アリスはチラリと男の子と目を合わせる。一向に口を開かない男の子の代わりに、アリスが口を開いた。
「レオ。レオパルドって言うの」