第1話 レオパルド・ローネイン
稚拙な作品ではございますが、よろしくお願いします!
帝都ティリアス。
7層の環状区からなるその都市の3層目にあるダルトン家には、他の屋敷にはあまり見られない木造家屋が建てられていた。
本館である屋敷とはまた別に設けられているその家屋は、帝都ではまず見ないザラザラとした土塀で囲まれ、門は塗装や装飾はなく、木の無骨さがむき出しのまま。
正面の内玄関に続く座敷の床材には、イグサが編み込まれた畳が敷き詰められ、イグサの匂いとはまた別に、微かに香の匂いも混じっていた。
その座敷の奥の書院に男は寝転がっていた。自身の手の届く範囲に本が散乱し、同じく茶飲み、小皿には柑橘類のドライフルーツが準備してあった。
散乱している本を手に取らず、ただ横になり、庭を眺めていた。庭は手入れが行き届いてはいるものの、貴族が好むような華やかさとはかけ離れた色映えのない庭園。しっかりと整えられているのは確かで、目立つようなゴミの一つもない。
ダルトン家の敷地内の一画に屋敷を与えられ、断絶された古い家臣の家を、横になっている男レオパルド・ローネインは15歳の頃に継いだ。望んだことでは全くなかったが、拒む気持ちも持ち合わせていなかった。
彼を多少でも知っている人からは、常は蚊帳の内側にいるような、ぼうっと霞んだ存在としか見られていなかったが、時としてその存在感は何者にも勝る時があった。
しかしながら、その雰囲気とは異なり彼の男は、目つきが悪かった。獣の血でも混じってるのかと、冗談交じりに多々言われたことのあった。
よくよく荒くれ者たちはすれ違う際に、ケンカを売られたのかと、一度立ち止まり、振り返った。だが、振り返れば、雰囲気がぼやっとした中肉中背のらしくないもない男の後ろ姿であるから、すれ違った荒くれ者もあれと思うだけで、そのまま歩みを続けたものだった。
「……ん」
そんな雰囲気と見た目が合わない男は、ドライフルーツの入った小皿に視線を向けぬまま、手を入れるが、小皿にはほとんどドライフルーツが入っていなかった。それを確認すると起き上がり、小皿をがっと掴むと残りを一気に胃に収めた。
小皿に残っていたのがドライフルーツがメインではなく、大多数がナッツ類であったがために、レオパルドは荒々しく音をたてながら最後まで食した。
「ヘンリー……は休暇中か」
ローネイン家もといレオパルドに唯一使えている老齢の家令は、レオパルドが今日から半ば無理矢理休暇を与えて、都から多少離れた孫のもとへ行かせたいたことを思い出した。
寡黙で感情の分かりにくいヘンリーではあるが、優れた家令であることには変わりなく、たまには休めと休暇を与えていたのだった。
感情の起伏らしい起伏がないヘンリーであるが、聞くに孫には甘いらしく、稼ぎのほとんどを孫のもとへ送っているらしく、その金で孫もいい学校に通えているらしい。
ともすれば、孫が独り立ちする頃にはヘンリーも職を辞するのだろうか、なんて未来のことを考えつつ、台所に立つ。
木桶に貯めてあった水へ小皿とコップを入れて浸けておく。数秒考え、夕方頃にでも洗おうと、無駄な決意を固める。往々にして、そのまま放置されることになるのだ、真夏でもないので、レオパルドもそこまで気にせず放置するのだった。
「もう夕方か」
ぼぅっと格子から夕焼けを眺めた。暇を謳歌し、あっという間に時間が過ぎ、夕飯時であった。朝食はヘンリーが置いていったパンの類いを食べたが、昼食までは準備されておらず、レオパルドはドライフルーツで小腹を満たしていた。
が、それにも限界がある。もう夕方かと過ぎていった時間を思うと、急に空腹感に襲われた。
財布と小冊子を携えて、適当な食堂にでも入ろうと画策し、そうと決まればと書斎へと身を移す。
「お邪魔しておりました」
書斎には、薄く笑みを浮かべ軽く頭を下げた貴婦人がいた。ひっそりと色香を携えたその貴婦人を見るや、レオパルドは小さく驚きの声をあげた。それと合わせて一歩後ずさった。
「あ、ええ。失礼しました。いらっしゃるとは思いませんで、出迎えもできず申し訳ありません」
立ったまま、謝罪の弁を述べるような真似はせず、素早く足を畳むと平伏し、謝する。
大の男がすかさず頭を下げる姿に、貴婦人はクスリと笑みをこぼした。清楚さのある笑みではあることは間違いないのだが、むしろなまめかしさを醸し出していた。
「いえ、こちらこそ、黙って入るような真似をしまして」
ニコニコとした笑顔は変わらぬまま、そう発言をすると、キョロキョロと書斎を見渡す。
「……今度は本の背表紙毎に配置を変えたのですか?」
ポツリと鈴を震わしたかのような声に、レオパルドは一拍間を置いて答えた。
「……よくお気づきで」
よくもまあわかるものだと感心したレオパルド。
貴婦人の視線の先には、本棚が置かれていた。その本棚にはぎっしりと本が並べられており、それぞれ背表紙の色毎にに整えられていた。
レオパルドは読書を好んでいたが、その本を整えて棚に納めるのも好きだった。そして、時折その本棚の本の配置を変える。作者順、内容順、刊行年順、評価順などなど、様々である。
今回は背表紙の色毎に並べていた。
「背表紙の色毎は……3回目くらいでしたか?」
「……回数までは」
当たっていた。当たっていたが、それを口にはしなかった。してはいけないと思ったから。そも、レオパルドの書斎には、レオパルドと貴婦人の他に、お目付け役の人間が控えていたし、軽はずみな発言は控えたのだった。
「……そう。橙色と黄色が揃えば虹色になるわね」
突然の女性らしい感覚に、レオパルドはポカンとすると、フッと軽く鼻で笑った。
「そのような派手な本はなかなかございますまい」
レオパルドは仏頂面を崩すと同時に立ち上がり、違い棚に置かれたよれよれの皮財布を手に取った。
「では、奥方様。私めはこれより外に出ますゆえ」
レオパルドが言う奥方様は、レオパルド・ローネインの仕える主家ダルトン家の夫人アリス・ダルトンに他ならない。主家ダルトン家の敷地内に、ポツンと建てられた掘立小屋と見紛う屋敷に、アリスは度々訪問していた。
これから私は外出しますので、貴女にも立ち去ってほしい、と暗に伝えた。別段所用がある感じもしなかったし、暇潰しかなんかだろうと決めつけた。
すぐさま頭を切り替え、どこの食堂にしようかと、無理矢理にでもそのことで頭を埋め尽くすよう努力した。
「っつ」
その態度にお目付け役のロディは、僅かな舌打ちをお見舞いした。何様のつもりだと雄弁に語った舌打ちであった。
レオパルドは思わず苦笑をこぼした。若いなぁと感想を抱いた。羨ましいとも思ったが、そうありたいとは全く考えもしなかった。
「今よりご用事ですか?」
外出するには遅めだなぁと感想を抱いたアリスは、正直にその感想を漏らした。
「食事と古書店を物色にでもと。ヘンリーを郷里に返しておりますので、食事もままならんのです」
ちょっとした軽口を披露すると、アリスはああそうでしたと、何かを思い出したかのような素振りを見せた。
「ヘンリーから自分がいないと食事を疎かにするだろうからと、聞いていましたので、夕食を共にしませんか、と誘いにきたのでした」
思い出した思い出したと嬉しそうに軽く手を叩いてみせるアリスに、レオパルドは少し口の隅がひくついた。
「……あ~、う~ん」
あまりご一緒したくはないレオパルドとしては、言い訳リストを頭の中から引っ張り出して、一生懸命ペラペラと捲った。
「既に食堂にて準備が整っていますし……ね」
「あ~はい」
感受性の低いレオパルドからしても、最後の『ね』に力が籠っていたことを感じ取り、嘘をついてまで断る必要もなかろう、と観念した。
「よろしい、では行きましょうレオ」
うんしょと掛け声を発しながら立ち上がり、レオパルドの愛称をポロっと口にしたアリスを見届けると、レオパルド玄関に向かっていった。
将来、無謬無敗の将と評されるレオパルドは、義姉のアリスを生涯唯一の崇拝・畏敬・愛情の対象としていた。