第六話
町はすっかり目を覚まし、賑わいを見せていた。
太陽の光と共にヒトや車が溢れかえり、慌ただしく動いていく。
そんな喧騒をよそに、私とトムは通りを歩いていた。
「黄色い車ねぇ――」
私は歩きながら、黒髪の女に言われたことを話した。どうやらトムもその女のことを知っているらしい。こちら側の連中はトムも含め、行動範囲はさほど広くなく、会話はしなくてもよく見る顔というのは覚えているそうだ。遠くに向かって歩いているつもりでも、いつの間にか見慣れた町に戻っているという。私が気付いたら有馬医院の看板の前に立っていたというのもそのせいだろう。
「楽しみ見つけるっていうのも間違っちゃいないな。その女の言うことも正しいといえば正しい。なにしろ俺たちは眠りもしないし食事もしない。時間は有り余ってるんだ。なにか目的が無ければ退屈しちまう。ただ――」
トムは立ち上がって視線を上げた。
話しながら歩きまわっていたつもりだったが、いつの間にか有馬医院の前に戻っていた。トムはその有馬医院の看板を見上げていた。
「その楽しみっていうのが時に人を狂わせるんだよなあ」
意味深な言葉を言うトムの視線を追ってみると、有馬医院の看板よりもさらに上を眺めていた。「狂わせる」という単語とは裏腹に、トムの口角は微かに上がっていて、少し笑っているようにも見えた。
「ここでも狂うなんてことがあるのか。精神的に病んでしまうというような――その、病気みたいものに罹ってしまうのかい」
病気とは縁遠い世界だと思っていた。ここでは死すらも感じさせない。。自分の生を知らないものに、死というものが存在するものなのだろうか。
「病気かどうかは知らない。ただ、俺からすれば病気だよ、ありゃあ」
トムはまだ有馬医院の上を見ている。さっきよりも笑みが濃くなっていた。
「あそこに誰かいるのか」
白い四角い建物だ。年季の入った建物は所々白いタイルの目地が黒くくすんでいる。三階建てで大きな建物だが、精神科の病院ではなさそうだ。今まで看板しか見ていなかったが、なにを専門にしている病院なのか気にも留めていなかった。
「あそこには近づかない方がいいな。同じように狂いたくないならな」
そう言うとトムは再び歩き始めた。
トムの笑みの真意も気にはなったが、彼の後を追うようにその場を離れた。
「訊きたいんだが――」
太陽の位置が変わっても私たちのやることは変わらない。当てもなくただひたすら歩くだけだ。なんだ、とトムは前を向いたまま言った。
「あんたは誰かさんとか言ったよな」
「ああ? 言ったか、そんなこと」
「確かに言った。『誰かさんの気まぐれでこんなとこに放り込まれた』と。どういう意味なんだ」
トムは惚けるように肩をすくめてみせた。
「覚えてないな。なにかのいい間違いだろ。気にするな」
「いいや、確かにあんたは言ったよ。その誰かさんってのは誰なんだ」
食い下がる私にトムは足を止め、大きく息を吐いた。そして人差し指で天を指す。
「そんなことできるのはあの人しかいないだろ――。神だよ」
「神?」
馬鹿げてる。神などいるはずもない。
なぜか?
それは分からない。
分からないが、「いない」ということは私の頭の中に明確に答えとしてあった。
「そんな馬鹿な」
「馬鹿な? 俺たちがいるこの世界の方が馬鹿な、だろ。あちらさんの世界とは別にこんな馬鹿げた世界を作るなんて、そんな芸当を出来るのは神くらいなもんだ」
俺は見たことないけどね、とトムは続けた。
「神の創造した世界と考えれば全て説明がつく。俺たちは神に選ばれたのさ」
呆れて笑えない。この男はそんなこと考えているのか。この世界には宗教まで存在しているのかと思えるほどだ。
「あちらさんが俺たちを何と呼んでるか知ってるか?」
――なんだって?
「死神だよ。しにがみ――」
私は混乱した。なにを言ってるんだこの男は。
「ちょっと待ってくれ。俺たちを何と呼んでるって?」
「だから死神さ」
小柄の丸い顔が平然と言う。
「見えるのか? 俺たちのことが」
「見える――ときがあると言うべきかな」
この狭間の世界にはまだまだ知るべきことがあるようだ。