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狭間の世界より  作者: 益次郎
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第三十三話

 これまでと変わらない光景が目の前を通り過ぎていった。

 太陽の位置が浮かんでは沈み、消えた影が地面に伸びて行く。白いコートたちは行き交うヒトと車の波を気に留めること無く彷徨っている。

 私はオサムと会ったあの日以来、歩くのを止め、有馬医院の植え込みに座り込んで一日を過ごすようになっていた。

 マッチ棒の男は結局見つからず、探すことももう止めてしまっていた。

 興味を失ってしまっていたのだ。

 それはこの世界に対しても同じで、「知りたい」と思う対象が綺麗に目の前から消え去り、完全に目的を失ってしまった。

 理由は分からない。

 あれだけ私を駆り立てていた知りたいという欲求が、水泡のように弾けて消えたかのようだ。

 楽しみを失くした私は屋上にいるオサムと同じだ。

 有馬医院前の植え込みで、案山子のように漫然と時間の経過を眺めているだけになってしまっていた。

 ――これが当たり前なのかもしれないな。

 これまでが特殊だったのだ。

 オサムが言うようにこれまでの私が変わり者だっただけで、今の私の姿が本来の白いコートのあるべき姿なのかもしれない――そんなことを考えていた。

「退屈そうね」

 声を掛けられたのは久しぶりだ。

 声の先に視線をやると、そこにはルイが立っていた。歩道橋の上以外で彼女と会うのは初めてだ。

「黄色い車を探さなくていいのかい」

 ちょっと息抜きよ、とルイは微笑んで私の横に座った。

「元気がないじゃない。あんなにいろんなこと知りたがっていたのに。どうかしたの?」

 目の前を見かけない白いコートの老婆が通り過ぎた。見かけない顔だ。

「新顔さんみたいね」

「話したことは?」

「まさか。でも――」

 例のおじさまとは話しているのを見たわ、とルイが言う。

 トムは相変わらずのようだ。

「あなたにはトムと言ってたんだっけ」

「最近どこで見かけた?」

 ルイは首を振った。

「不思議よね。会いたくない見たくもないときは彼の姿を見かけるのに、探し始めると全然見つからない。ひょっとして、あの人もこの世界から消えちゃったんじゃないかしら」

「そんなタマじゃないよ。あの男は」

 本心から出た言葉だった。

 あの男が自らこの世界から消えたり、誰かに消されるような失敗をする筈がない。一緒にいて知っている。トムは狡猾で計算高く頭の回転の速い男なのだ。きっと今もどこかでヒトの死、もしくは白いコートの消滅を楽しんでいるのだろう。

「ねぇ」

 白いコートの老婆の背中を眺めていると、ルイが言った。

「デートしない?」

 その言葉を理解するのに私の頭は数秒掛った。訊いたことはあるが、全く馴染みのない言葉だ。頭の中にある言葉の引き出しの、もっとも使われない言葉群の中に押し込まれている単語だ。

「デートだって? 君と私が?」

 私が言うと、ルイは笑顔で頷いた。

 黒髪の綺麗なこの女は、向こうの世界ならきっと男に人気のある顔立ちなのだろう。しかし、こちらの世界にとっては単に個人を識別する表面的なものでしかない。男女の区別もそうだ。偶々男の恰好をしているか女の恰好をしていかだけなのだ。

 だから異性に対する特別な感情を我々白いコートを着た者たちは持ち合わせていないのだ。

「なんのためにそんなことをするんだ。妙なことを言うね、君は」

 ルイは肩をすぼめて口を尖らせてしまった。

「なんだか黄色い車を探すもの飽きちゃって。向こうのヒトたちの真似でもしてみようかと思っただけよ。ほら、あれ見てよ」

 ルイが指した方に目をやると、若い男女が腕を組んで寄り添って歩いている。よく見かける光景で、なんの感慨もない。見慣れた風景のひとつにしか過ぎないものだ。

「楽しそうだと思わない?」

 思わないと即答しそうになったが、言葉を呑んだ。

 そもそも向こうの世界の真似ごとはトムの一体化で体験済みだ。食事という行為を疑似体験しただけで十分だ。

 だが。

「君の考えるデートというものに興味はあるな」

 そう言うとルイの表情が明るくなった。じゃあ行きましょうと私の手を引く。

 よほどこの世界に退屈していたのだろう。それは私も同じだから、少しだけ付き合ってやることにした。

 ルイは私の手に絡みつき、体を寄せてくる。頭を私の腕にもたれさせ、私とルイは密着した状態で歩き始めた。

「歩きにくいな。こんなものがいいのか、ヒトという連中は」

 歩幅を彼女に合わせなければいけないので、どうにも居心地が悪い。

「こんなものでしょ。これがデートよ」

「それで? これからどこへ行くつもりなんだい」

「そうね――」

 ルイは私に密着したまましばらく考え込んだ。特になにをしようと決めていたわけではないようだ。

「あそこがいいわ。あの大きなショッピングモール。みんなあそこに集まっていろいろな店を眺めているんだから。買うものなんてないのに、よ。それもデートのひとつなのよ」

 ショッピングモール――。

 この辺にある大きな店といえばあそこになるだろう。トムとも一緒に行ったあの巨大な建物だ。

「いいよ。とりあえずそこに行ってみよう。

 私たちは歩道を歩き、信号を守って横断歩道を渡った。もちろん腕を組んだままだ。

 時々白いコートたちが我々の方へ眼を向けたが、これといった反応もなかった。他人がなにをしようと興味がないのだから当たり前といえば当たり前だ。

「ねぇ」

 まただ。ルイはなにかあるとそう言って、私の様子を伺ってから話始める。オサムにもこうやって話しかけていたのだろうか。

「私たちってセックスってできないのかしら」

 また妙なことを言い出したものだ。

「できないだろうね。私たちの存在は種の保存を必要としていないようだから。ヒトの三大欲が備わっていないことは君も知っているだろう」

 そうなんだけど、とルイはガッカリした顔をした。

「この前偶然そういう光景見ちゃったんだよね。裸になってもぞもぞして――私たちにもできるのかなとか思っちゃって」

「そもそもこのコートを脱げないだろう。それに女の裸見たって私はなにも感じないよ。ヒト同士の性交も鶏の交尾も私にとっては同じものさ。鶏の交尾見て、私もやってみたいなんて思うわけない」

 なるほど、彼女の興味は黄色い車からそっちへ移ったようだ。

 トムが死に興味を持つように、私がこの世界に興味を持つように、彼女は男女の仲というものに興味を持ったわけだ。だから急にデートをしてみたいなどと言い出したわけだ。

「そうなんだよね。でもコートは脱げなくても――」

 ルイは急に絡めた腕を解き、私の前へと出た。何事かと私は足を止める。そして。

 狙いを定めるかのように体を伸ばして。

 私の唇とルイの唇が重なった。

「これがキスよ。これくらいならできるみたい」

 ルイは楽しそうに私の前を歩いて行った。ショッピングモールはすぐそこだ。

 初めてキスというものを体験した私はというと――。

 大してなんの感想を持たないまま、彼女の背中を追うように歩くだけだった。

 

 

 

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