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狭間の世界より  作者: 益次郎
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第三十話

「私と同じ状況だって?」

 言葉の意味が分からず訊き返す私を遮るようにオサムは続けた。

「つまり以前、あの人もあなたと同じようによく一緒に行動していたんですよ」

「そんな馬鹿な。彼――私はあの細身をマッチ棒の男と呼んでいたが、彼に対するトムの行動はひどいものだったぞ。通りすがりに殴りかかるし、前を歩いていたなら後ろから飛び蹴りだってしていた。とても知人にするような行為とは思えない。それにそのマッチ棒の男は反撃はもちろん抵抗すらしない」

「彼の恐ろしさを知っているから抵抗しないんですよ。いいですか。彼はなんらかの方法で同類殺しを行っている。こちら側にいても命は惜しいものでしょう。消えたくはない。こうやって話したり考えたりできるのなら、私たちは一応生きているわけです。そのマッチ棒の男はそうやって、たまに出会うトムの暴力を受けることさえ我慢していれば――」

 生きていられるんです、とオサムは言った。

「ああ――」

 私は深いため息をついた。

 脳裏にマッチ棒の男の姿が浮かんだ。

 ただ普通に歩き、普通に生活をしていた彼を突然達磨のようなずんぐりとした小柄な男が襲う。殴られ蹴られても顔色ひとつ変えないマッチ棒の男――。ああやって彼はこの世界を行き延びていたのだ。私はどうすることもできずにその光景をただ眺めているだけだった。

「私はマッチ棒の男を捜し回っている。散々歩いて回ったが見つからない。彼は一体どこに――」

 そう言いかけた私をオサムが寂しげな眼で見返した。

 そして。

 ゆっくりと二度――。

 二度首を横に振った。

「恐らくは」

 眉間に深く皺を寄せながらオサムは呟くようにそう言った。

「私はここから動かないから下の世界でなにが起こっているのかは知りません。あなたのようにここへ来て色々と教えてくれる人がいるから、かろうじて噂は耳にします。彼の行動も、ね」

「マッチ棒の男が消される理由は? 今まで散々殴る蹴るしといてなんで今更消す必要があるんだ? 彼らになにがあって仲違いしたかは知らないが、そこまでする必要ないだろう。トムにとってはストレス発散になっているようだし、楽しみのひとつになっているようだったが」

 そんなことよりも気に入らないことがあったんでしょうね、とオサムは言った。

 ――気に入らないこと。

 私のことか。

「私に接触したのが気に入らなかったということか」

 オサムは頷いて続けた。

「彼の行動は単純です。気に入れば愛想もいいし世話もよく焼く。だけど、一旦気に入らないと認めればなんだかんだと因縁を付けて暴力を振るう。きっとそのマッチ棒の男があなたに接触したのが気に入らなかったんでしょう。それが通りすがりの一言だけだとしてもね」

「たったそれだけのことで他人を消すのか。どうかしてる」

「どうかしているんですよ、彼は。それに向こうの世界と違って他人になにをしても罪には問われない。殺人なんて重罪ですよ、向こうでは。だが、こちら側では違う。法なんて存在しないし、ましてや罪もない。本人に罪の意識さえなければ、なにをしたって許される世界なんですよ、ここは」

 だからといって。

 そんな好き勝手しているトムを、なぜ白いコートの連中は放っておいているんだろう。同族殺しといういわば裏切り行為を何度も繰り返している男を、である。あんな小柄な男くらい、数人がかりでかかれば多勢に無勢、逆にトムを消してしまうことだって出来そうな話だ。

「できないんですよ」

 と、オサムは言う。

「これまでの話を聞いてあなたは彼を消そうと思いますか」

 そう訊かれ、私は答えに困ってしまった。

 不思議なものでそう思わないのだ。

 自分自信に何度問いただしてみても答えは「ノー」である。

「なぜだろう。そんな奴消してやればいいと思っても、自分でやってやろうと思わない」

 戸惑う私の肩にオサムが手を置いた。

「あなたがルイの楽しみに興味が持てないのと同じ理屈ですよ。他人を消すことに興味を持てないんです。この世界では自分が興味を持つものしか行動の動機が生まれない。理屈では分かっていても、行動には移らない。だけれどトムは違う。彼はヒトの死を楽しみ、同族殺しをも楽しんでいる。他人が消えることと消すことは彼の見付けた楽しみなんですよ」

 ということはわざわざ警告してくれたマッチ棒の男の仇を取ろうと頭では思っても、行動には移せないということか。

 私の楽しみは知識を得ることであり、他人の死はどうでもいいのだ。

「なぜマッチ棒の男はそんな危険を冒してまで私に警告なんてしたんだ。他人の私がどうなっても彼には関係ないじゃないか」

「きっとあなたに昔の自分を見たんでしょう」

「昔の自分だって?」

「彼は名前を付けることをずっと拒否していました。『名前なんて付ける資格なんて僕にはないよ』とね」

 遠くでサイレンが鳴っている。パトカーか救急車か。夜の闇にサイレンの音はよく響く。

「彼もここへ?」

 オサムは頷く。今夜何度も見た仕草だ。

「彼がトムと疎遠になったのはここに来るようになってからですよ」

 思わず私は唸った。

 私がここを通るたびに現れたトム。

 ここには狂った奴がいると念を押し、遠ざけようとしたトム。

 私が初めてここに来た夜もトムは私を追ってきたのだろう。

 そこで。

 マッチ棒の男が私に話しかけるのを見た。

 だから――。

 それが気に入らないから――。

 消した。

 ここはトムにとってなんなのだ。

 オサムはトムにとってどういう男なのだ。

 そこまでトムがここに固執する理由とは――。

「教えてくれないか」

 夜空を見上げていたオサムが私の方へ向き直った。

「あんたとトムの間に一体なにがあったんだ」

 少年の瞳に影が広がったような気がした。

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