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狭間の世界より  作者: 益次郎
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第二十四話

 言われるがままついて歩いて行くと、青年は家電量販店へと入っていった。

 初めて入るその場所は、証明が煌々と焚かれていて賑やかな場所だった。だだっ広い空間に様々な家電が並べられたその場所は実に興味深く、私は忙しなく視線を移していた。

 青年はとある一角に立ち止まると、並べられた品々を物色している私を手招きした。

 そこは大小のテレビが無数に並べられていて、それぞれが違う映像を映し出していた。

 青年は腕組みしてそのひとつを眺めている。

「こんなところでなにをするんだ。少し歩くんじゃなかったのか」

 青年は小さく笑った。

「せっかちな人ですね。そんなにすぐ答えを求めなくても、ここでは時間はいくらでもありますよ」

「悪いけどそれが性分みたいでね。ここに来てからと言うもの、私は常に答えを求めてる。それも最短時間でね。試されたり待たされたりするのは苦手なようだ」

 生まれつきねと皮肉交じりにいい捨てると、青年は眉根を寄せた。

「始まった」

 青年はそう言うとテレビの方を向いて真剣な眼差しで画面に見入ってしまった。隣では従業員らしき男が客にセールストークをしているところだ。やれ画面が綺麗だやれこのサイズでこの値段はお買い得だと、営業というより説得に近い。青年の方は私に説明する気がなさそうなので、こちらも映像を眺めるしかない。

 テレビでは今日のニュースが始まった。映画ならば少しは興味もそそられるのだが、向こうの世界の出来事を見せられてもなにも面白くないのだ。

 その日これまであったニュースをスーツと派手なネクタイをしている男と化粧の濃い女が淡々と語っていく。いわゆるキャスターという役回りらしい。政治から海外情勢、スポーツと話題が変わるたびに細かい文字や派手目な演出で彩られ、さも深刻であるかの如く短いコメントを発する様はどれも私には関係ない話で、やはり興味を引かれない。キャスターの顔も真剣になったかと思えば次の話題ではヘラヘラと笑い、一貫性がない。たった数分でこれだけ感情が変わるものなのかと感心してしまう。

 そして。

 ニュースはとある事件を語り始めた。

『先日、県内のマンションで森田奈々美さんが遺体となって発見された事件の続報です。警察は同じマンションに住む二十代の男を逮捕したと発表されました』

 初めて興味を引く映像が私の目に飛び込んだ。

 画面には回りの景色を薄くボカされた建物。見たことのある建物だ。

 さらにその建物の映像の脇に女の顔写真が映し出される。笑顔でこちらを向いている彼女はすでに向こうの世界から消滅してしまっているわけだ。

「この女、見たことあるな」

 テレビはニュースを続ける。同じマンションに住む男が彼女の部屋に押し入り、暴行を加えた末に殺害したそうだ。事件そのものよりも、私はその女のことに興味が向いていた。

 あのマンションとあの女。

 そうだ。

 さっき寝転んでいた坊主頭が常にくっついて歩いていた女だ。坊主頭が守っていた女のはずだ。

 その女が殺された。

「――守れなかったのか」

 私は無意識のうちに言葉にしていた。ニュースはすでに別のものに映っていて、建物が燃えている映像に変わっていた。

「彼は彼女に付いて回っていたはずだ。私にも守っていると言ってた。それが自分の楽しみなのだ、と。つまりこれは――」

 そういうことですよ、と青年は言った。

「彼は楽しみを奪われた。自分は彼女の守護霊だと信じ込み、常に行動を共にしていた。家に帰ればもう安全なのだと思って。部屋に入らずわざわざマンションの下で出かけるのを待っていたんですよ」

「まさか同じマンションの住人に殺されるとは思わなかったってことか」

「絶望した彼は気力を失って――」

 あんなことになったんです。そう語る青年は笑っているのか憐れんでいるのか分からないような表情を見せた。

「兆候はあったはずなんですけどねぇ」

「兆候?」

 青年は視線をテレビ画面からこちらに向けた。

「あなただって一度は経験あるでしょう」

 当たり前だとでも言いたげな顔をする青年に私は困惑した。ここの住人は謎かけでもするようにこちらに向かって「この世界の常識」を投げかけてくる。こっちはまだ知らないことの方が多いのだ。

「なんの話をしてるんだ。君たちと違って私はまだそんなに経験値を得てはいないよ。全ての事象を理解しているのなら、あんなところで寝転んでいる奴に一生懸命話しかけたりするものか。もっと簡潔に話をしてくれ」

 青年は肩をすくめた。無知な私をからかうような仕草が鼻に付く。まるでトムと話しているようだ。

「目が合ったことありませんか。向こうのヒトと」

 ――ある。

 一度だけだがあの車で事故死した女。事故の直前、私は彼女と目が合った。そして彼女はその事故で――。

「きっとこの殺された女性も目が合っていたはずですよ。あの――」

「寝転んでる男と、か」

 私の言葉に青年は頷いた。

「それだけか? たったそれだけのことであいつは――あの坊主頭の奴はあんなところで放心してしまってるのか。ヒトが死んだだけで?」

「おかしいですか」

 おかしい――と思う。

 自分には全く関係ないことだ。向こうの住人の死などこちらには全く関係がない。我々は死とは無縁の存在だ。

 確かにあの坊主頭の男はあの女のことを気に入っていたのだろう。素敵なヒトだ、と言っていたほどだ。だがそれは一種の愛玩的な感覚で、ヒトが花を愛でるとかペットを可愛がるとかその類のものではないか。向こうの住人について回るのが楽しみなのだとしたら、また他の女でも見つけてその楽しみを続ければいいだけの話だ。

「あんな状態になるほどこの殺された女に入れ込んでたのか、あいつは。そんなに夢中になってなんになるんだ。私たちは向こうと違って生殖行動もないし性欲だってない。男と女の区別だって形が違うだけじゃないか。なにをそんなに思い詰める必要があるんだ」

 すでに事件のニュースは終わり、天気予報へと移っていた。青年はいつの間にかテレビから体を向き直してこちらを見ていた。

「よほどショックだったんでしょう。あんな風に他人の声を拒絶してしまうほど彼にとっては大事なものだったんですよ。あの女のヒトは」

「なにをそんなに執着する必要があるんだ」

「いろんな人がいるんです。こっちの世界にも。他人には理解できないようなことを平気でやるような人がね」

 そう話す青年の顔に小さな影が落ちたような気がした。

 私はもうひとつ気になっていたことを青年に訊いた。

「あんたの楽しみも私には理解できないようなことじゃないのか」

 あの日。

 初めて向こうの住人と目が合い、その直後彼女は死んだ。その現場にいたこの青年。

 ヒトの死の現場にじっと目を凝らしている青年。

 トムはああいうのが楽しみの奴もいると言った。その楽しみがヒトの死を眺めるということなら私には理解できない。

「ある事故現場にあんたがいるのを見た。大型トラックと衝突して滅茶苦茶になった車をあんたはじっと眺めてた。運転手はすぐに死んだらしい。死んだのは私が初めて目が合った向こうの住人だった。その死人をあんたは真剣に眺めてたよ」

 青年は私の言葉に戸惑うこと無く口元を緩めた。

「そうですよ。それが私の楽しみです」

 言いきった青年の顔は堂々としたものだった。





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