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狭間の世界より  作者: 益次郎
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第二十三話

 ルイと別れてからというもの、私はこれまでのようにただ漫然と歩くことはなくなった。海に浮かぶクラゲのようにふらふらと彷徨っていたものが、餌を探して回る鮫のようになっていた。

 目的ができたのだ。

 まだそれが私にとっての楽しみとなったのかはまだ判断できない。ただ、目的ができたことで町を歩く足取りは格段に軽くなった。風景の一部だったこちら側の住人、白いコートを着た住人たちに注意を向けるようになった。

 あのマッチ棒のような男。

 顔は覚えている。背が高く、線が細く背の高い男だ。何度トムに殴られても、表情を変えないあの男。

 彼を探して町を歩いた。

 これまであまり意識することのなかった町並を思い浮かべ、頭の中に地図を描いて彼を見かけた場所から場所へ何度も歩いて回った。その途中、何度も有馬医院の前を歩いたが、オサムの所へは行かなかった。まずはマッチ棒の男に会って話を聞いてからと思ったからだ。

 歩いていると、歩道橋の上のルイとも目が合った。お互い言葉をかけることなく、目だけで挨拶を交わす。三つ先の歩道橋にいたかと思えば、二日間同じ歩道橋にいることもあった。今更ながら黄色い車を探すというのも難儀なものなのだろう。風景の一部だった彼女も、名前を知った今でこちら側に浮き出た存在になっていた。

 そしてもうひとつの浮き出た存在。

 トムだ。

 他の白いコートたちと会うことで、彼の存在はこれまで一色のはずだったものが何色にも変化していた。着ているものと同様に白だったものが、彼を知ることで私たちの付けているネクタイの色へと少しずつ変化しつつある。

 完全な黒ではないがグレーだ。白だと思っていたものに色が付きつつある。

 まだ確信は持てないがこれが黒に染まってしまうのか、それとも再び白に漂白されるのか。

 私はそれを知りたくて町を歩くようになった。

 そのトムにあの日以来会えていない。

 こちら側の世界にいるはずなのに、白いコートたちの中に彼の姿が見当たらないのだ。

 目的はあくまでマッチ棒の男なのだが、トムの方も気になっている私は彼も同時に探すようになっていた。

 これまでになかったことだ。

 よくよく考えてみると、いつも声を掛けてくるのは向こうの方だった。こちらがトムを見つけて話掛けたことは一度もなかった。見かけたのな

ら、核心に迫らないでもオサムについてまた訊いてみようと思っていたのだが、どうにも見つからない。

 見つからないのはマッチ棒の男も同様だった。

 何度日が暮れただろう。何度朝日を浴びただろう。

 それだけ歩いて回っても、ふたりを見つけることができなかった。

 それまでは景色の一部だったものを探そうとした瞬間、それは見つからなくなってしまった。場所が悪いのか時間が悪いのか、私はひたすら歩いて回った。

 向こうの世界と違ってこちら側の住人の数は限られている。そのうち出くわすことを期待しながら歩くのも、そう長く続かない。

 探し物が中々見つからないと、もう諦めていっそオサムの所へ行こうかとも考えた。ルイのような根気は私には無いようだ。

 そんなことを考えて歩いていると。

 視界の隅に白いコートが入った。

 白いコートを見落とさないように注意深く歩いていたはずだが、危うく素通りしてしまうところだった。

 なぜならその白いコートは住宅のブロック塀に沿うようにして寝転んでいたのだ。住宅街の路地の隅っこで仰向けになり、空を見上げている。それは姿勢こそ違うものの、屋上の隅に立ってなにもにない場所を眺めているオサムと同じような表情だ。

 私は立ち止まって寝転んだ白いコートに目を凝らした。向こうの世界の住人ならちょっとした騒ぎだろう。行き倒れか事件かと野次馬が集まってくるような光景だ。

 ――どこかで見たことがある。

 倒れている白いコートに近づいて行くと、私の記憶の扉が開いた。あの焦点の合っていない瞳を確実に私は見たことがあった。

 短く刈り込んだ髪型。寝転んでいても分かるガッチリとした体躯。

 向こうの世界の女にぴったりとくっついて歩いていたあの男だ。

 女がマンション内に消えて行くとその部屋の下に立ち、明かりの点いた窓をじっと見つめていたあの男だ。

「どうかしたのか」

 恐る恐る声を掛けた。

 空を見つめていた瞳が微かに動いて私の存在を確認したかと思うと、再び中央に戻った。

「こんな所で寝転んでなにをしているんだ。あんたは確か女をずっと追い回していたんじゃないのか。あの女はどこだ」

 反応は無かった。

 辺りを見渡してみたがあのときの女の姿はない。確かスーツを着こなし、ヒールの音を鳴らしながら歩く女だったか。あの女を見守るのが楽しみだと言っていた男がこんなところでなにをしているというのだ。

「楽しみはどうしたんだ。あの女を見守るのが楽しみだといったじゃないか。なにをこんなところで――」

「駄目ですよ、その人は」

 急に背後から声を掛けられ驚いた私は猫のようにその場から飛び退いた。

 一瞬、トムかとも思ったが声が若い。よく見ると、これもまたどこかで見たことのあるような男が立っていた。

 年の頃なら少年、いや青年というところか。綺麗に整えられた短髪と尖った顎が特徴的な男だ。眉根は垂れ、どこか寂寥感を漂わせている。

 青年は驚く私をよそに寝転んだ坊主頭を寂しげに眺めていた。

「もうよしましょうよ、こんなこと。いつまでもそんなことしててもいけない」

 屈んだ青年は穏やかな声で坊主頭に話しかけた。まるで駄々をこねる幼児を言い聞かせるような口調だ。

「もうあのヒトは戻って来ません。もちろん、それはあなたのせいじゃない。運命だったんですよ」

「お、おい。あんた一体なにを――」

 堪らず訊くと、青年は立ち上がり私と対峙した。

「少し歩きましょうか」

 そう言うと、青年は私と坊主頭を置いてさっさと歩き始めた。

 その後ろ姿を見て思い出した。

 私はこの青年を二度見かけたことがある。

 一度はあの車の事故現場――。向こうの世界の住人と目が合ったときのあの現場にいた青年。

 そして二度目は有馬医院――。ナースコールに呼び出された看護士たちが慌てて掛け込んでいたあの病室に入っていた青年。

 ここに来てどれだけの日にちが経っただろう。

 有馬医院の屋上でオサムと出会ってからというもの、私の周りの世界が急激に動き始めたような気がした。

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