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狭間の世界より  作者: 益次郎
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第十七話

 有馬医院にはやはりなにかがある。

 それは前から思っていたことだ。

 以前、トムはあそこには狂ってる奴がいると言った。ああいう風になりたくなるなら近づくなと、釘を指すように私に言ったことを覚えている。

 それが気になって、院内に入ろうとしているところに現れたのもトムだ。

 あのときは、偶然通りかかったトムに話しかけられたものと思っていたが、そうではなかったのだろうか。あれは有馬医院に行こうとしていた私を止めたのか?

 そもそも黄色い車の女の言っていた奴とトムの言う狂ってる奴が同一人物とは限らない。あの建物の中に何人も白いコートがいてもおかしくはないのだ。

 考え始めればキリがない。

 行って確かめればいいだけの話だ。

 行ってそいつと話せば、黄色い女の意図も分かる筈だ。ついでにその狂ってる奴というものを見て行くのも、後学のためにもいいだろう。誰がどういう風になっているのかを見ておけば、そうならないようにこの世界に馴染んでいけばいい。

 早速私の足は有馬医院へと向かっていた。

 車の波を横目に、私は相変わらず信号を守って歩いた。すっかり習慣になってしまっている。どれだけ車やヒトがいなくても、向こうの交通ルールを破ることはない。

 やがて大きな交差点に差し掛かった。この横断歩道を渡って数百メートル行けば有馬医院は見えてくる。毎日のように通る道だから、すっかり覚えてしまった。

 私の回りにはスーツを着た男と女が数人立っている。退社時間だろうか。一日の疲労が顔に出ている。

 横に並ぶように信号が変わるのを待っていると、道の向いに見たことのある男がいた。

 背が高く、白いコートがさらに長く見える。

 マッチ棒の男だ。

 細長い体をこちらに向けて、横断歩道に立っている。

 そして視線が――。

 私に向いていた。

 いつも定まらない視線を泳がせて歩いてはトムに殴られ蹴られしている男が、じっとこちらに目を凝らしているのだ。

 思わず私は視線を逸らした。

 トムのような暴力をしたことはないが、いつも傍にはいた。トムを止めないのだから私も同類かもしれない。そんな罪悪感が私の視線を動かしたのだ。

 ふたりの視線の間には車が猛スピードで行き交っている。

 ――踵を返して戻ろうか。

 そんなことも考えたが逃げるようで気後れしてう。私はなにもしていないのに逃げる必要があるのかと。彼の視線の先に偶然私がいて、このままなにもなく擦れ違うだけで済むのではないか。なにしろこちらの世界の連中は人付き合いというものに関心が無いのだ。道すがら出会ったところで「やあ」と挨拶するわけでもない。

 気にすることは無いのだ。 

 このまま普通に歩いて行けばいい。目的地はすぐそこだ――。

 あれこれ考えているうちに信号は青に変わった。

 車の波が入れ替わり、ヒトが道を渡り始める。その流れに乗るようにマッチ棒の男も私も歩き始めた。

 私は正面を見据えた。視線はマッチ棒から外しているが、視界の隅に映る彼はまだこちらを見ているようだ。

 徐々に距離が縮まる。その距離が近くなるにつれ、私は身を固くした。

 そして。

 マッチ棒の男が真横を通りすれ違う瞬間。

 突然、私の腕をなにかが掴んだ。

「ひっ」

 我ながら間抜けな声だ。お化けでも見たような、悲鳴にも似た声を上げてしまった。

 腕を掴んでいたのはもちろんマッチ棒の男だ。

 視線はまっすぐ進行方向を向いているが、腕はがっちりと私を掴んで離さない。私は腕を振り解くのも忘れて、その場に立ちつくしてしまった。

「な、なにか用か」

 喉の奥から絞り出すような声で訊いた。

 青信号が点滅を始めたが、私たちは歩道の真ん中で固まった状態でいた。そして赤に変わると、再び車の波が押し寄せ、何台も

私たちの体を擦り抜けて行く。

「――気を付けた方がいい」

 初めて聞くマッチ棒の男の声だ。掠れていて低い声は少々聞き取りにくくもあった。

「気を付けるって――」

 今日は思わぬところで他人と会話する日だ。だが、二の句を継ぐ前に掴まれていた腕への圧力は解かれた。

 マッチ棒の男はそれだけ言うと、私の反応を見ること無く背を向けて歩き始めてしまった。

 全く意味の分からない台詞を擦れ違いざまに吐かれ、そのまま行かれてしまったのでは気持ちが悪い。その真意を知りたい。

「おい、ちょっと待ってくれ。そうれはどういう――」

「おい、有馬」

 マッチ棒の男を追いかけようとしたとき、今度は背後から声がした。

「久しぶりだなあ。なにしてるんだよ。こんな道の真ん中に突っ立って」

 そこにはトムがいた。

 随分タイミングのいい男だ。いや、この場合は間が悪いといった方がいいのか。

「いや、別に――」

 まさかマッチ棒の男に話しかけられたとは言えない。彼はトムにとって玩具だ。玩具が勝手に自分の知り合いの腕を掴み、話しかけたと知ったなら、次に出くわしたとき何をし出すか分かったものではない。

「今日はあれだよ。ラーメンでも食べてみようかと思って道を思い出していたんだ」

 咄嗟に出たでまかせだ。

 ラーメンだって? そんなもの食べたいなど思ったこともない。我ながら妙なことを口走ったものだ。

「おお、いいね。ヒトに入り込むのをお前も気に入ったみたいだな。俺も何か食いたいと思ってたとこだ。いいところに出くわしたな。付き合うぜ」

 いつものようにトムは私の肩に手を回してきた。最近は車が体の中を通り抜けて行くことよりも、トムのこの行為の方が不快になってきた。だが、今日は仕方ない。マッチ棒のことが気になるが、それはまた今度にするとしよう。

 有馬医院のこともそうだ。あの場所にも行かなければならない。

 少なくとも目的は見つかった。

 やるべきことが。

 知りたいことがある、行くべき場所があるということはいい。

 だが、今日は諦めよう。

 私には時間はたっぷりあるのだから次の機会にすることにした。

 

 



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