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狭間の世界より  作者: 益次郎
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第十三話

「ああ。あんたが寄り道ばっかりするから――。ヒトが少ないな今日は」

 トムに連れて来られた場所はフードコートと呼ばれる場所だった。

 たこ焼き、ラーメン、うどん、お好み焼やハンバーガーショップが軒を連ねている。トムの言う通り、椅子やテーブルの無数に並んだフロアのヒト影はまばらだった。食事をしているヒトもいるが、中にはただ座って談笑しているテーブルもあった。時計に目をやると、午後二時半。昼時は過ぎているから無理もない時間だ。

 トムはそのフロアを物色するかのようにウロウロと見て回った。なんの説明の受けないまま、私もそれに付き添うようにして歩いた。

「うーん。まあ、あいつでいいか」

 そう呟くと、トムは私を促してフロアの隅にいる若い女の所へ向かった。

 女は二十代後半といったところか。首からスタッフと書かれた札をぶら下げているから、きっとここで働いていて休憩がてらここで食事をしているのだろう。食べているのはうどんとおにぎりだ。

「さて、ここからちょっとした授業だ」

「授業?」

 携帯電話片手に麺をすする女を横目に、トムが得意げに言った。

「こちらの世界のことをいろいろ教えてきたけどな。今日はちょっと特殊だ。今までとは文字通り一味違うってやつだ」

「まだ私の知らないことがあるんだな」

 トムは意味深な笑みを受けべて頷いた。その顔はまるでいたずらを思いついた子供のようだ。

「有馬。これ見てどう思う」

 トムが女を指さした。女は丁度おにぎりにかぶりついているところだ。

「どうって――。食事してるんだろ」

 それ以外の何物でもない。別に女だからといってどういうこともないし、顔つきに文句があるわけでもなかった。あちらの世界の住人のひとりに過ぎない。

「違う違う。ここでは女のことなんでどうでもいい。それよりもこれだよ」

 トムの指はどんぶりの中のうどんを指していた。

「だからうどんだろ。それくらいは知ってるさ」

 トムは察しろと言わんばかりに眉根を寄せた。

「だからそのうどん――まあ、今日はたまたまうどんだったわけだが。どうだ? 食ってみたいと思わないか」

 はぁ、と私は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 そんなこと思ったこともない。

 向こうの住人が飲んだり食べたりする光景は当たり前のように見てきたが、私もそれを経験してみたいなど考えたこともなかった。そんな光景はその辺に生えた木や浮かんでいる雲と一緒で、ただの風景の一部にしか過ぎない。

 それに空腹という概念が無いのだから、食欲が湧くはずもない。こちらの世界にいる以上、それがルールのはずだ。

 訝しむ私をよそにトムは続けた。

「まあ、気持ちは分かる。俺たちは向こうの世界のものに触れないし、腹も空かねぇ。そんなこと思いもしないよな。だけどな、《《体験》》は出来るんだよ」

「体験?」

「そう。もちろん、味もなんだか分からねぇ。うどん食おうがラーメン食おうが、むこうさんみたいに上手いだの不味いだのそんなものは分からねぇんだ。ただ、《《食べたという感覚》》は感じられる」

 トムの発言はいつも私を混乱させる。

 食べたという感覚――。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。食べた感覚ってどういうことだ? もっと分かりやすく教えてくれよ」

「説明って言ってもなあ。言葉通りだよ。まあ、一回やってみれば分かるさ。早くしないと彼女、全部食い終わっちまう」

 そう言うとトムは座っている女の横に立った。

「見てな」

 それは一瞬の出来事だった。

 箸を持つ女に吸いこまれるようにトムの姿が消えたのだ。

「トム?」

 女は何事もなかったように麺を啜っている。

 私は周囲を見回した。テーブルの下にも隣の席にも姿は見えない。

 一体トムはそこに消えたのだ。いくら小柄だとはいえ、椅子やテーブルの影に隠れることはできない。一瞬でこのフロアから忽然と姿を消したのだ。

 そうしている間に、女は啜っていた麺を飲みこみ、コップの水に手をやった。

 私の視線が女へといった時。

 トムの顔が女の肩口から飛び出した。文字通り、それは彼女から這い出てきたような恰好だ。

「うわっ」

 突然消えたかと思うと、いきなり私の目の前に現れるのだから、こちらも驚いて後ずさった。

「ふぅー」

 トムは満足そうに腹をさすった。

「あんた、今なにやったんだ」

「見てただろ? 飯を食って来たのさ」

「食って来たって――。女の中から出てきたように見えたけど――」

 その通り、とトムは言った。

「彼女の中に入ったのさ。まあ、正確に言えば一体化かな」

「一体化――」

「そう。今日あんたに教えるのはこの一体化だ。俺たちはあちらさんの住人に触れることは出来ない。触ろうとしたって擦りぬけちまう。ところが、俺はあちらさんの体の中に入れることに気付いたんだよ」

 私は女の肩に手を置いた。食事を終えた女は箸を置き、ハンカチで口元を拭いていた。どんぶりの中の麺は無くなり、スープだけが残っている。私の手は当然、女の肩に止まることなく、するすると無抵抗に通り抜けてしまった。

「どうやったんだ」

 私の問いにトムはいつもの笑みを浮かべた。

「コツがいるんだよ」

 トムは座っている女の横に再び立った。私たちが横で講義しているすぐ横で、全く気付くことなく食後の満足感に浸っている女の姿は実に滑稽な風景だ。

「まず、最初の条件として同じ姿勢じゃないと駄目だ。立っている相手には立った状態で。この女みたいに座っているなら座っている姿勢で《《入り込む》》」

 入り込む――私はまさに授業を受けている生徒のように呟いた。

「なにも難しいことじゃあない。同じ姿勢のまま、あちらさんの体に重なるだけ。そうすりゃ引っ張られるようにして入り込めるのさ。少々意識しないといけないがね」

 向こうの住人と一体化するなんて考えたこともなかった。人ごみの中を歩くとき、初めのうちはぶつからないように歩いていたが、慣れてくると、ぶつかる心配もないからそのまま擦り抜けて歩いていた。相手の体に入り込む感覚など感じたこともない。

「一体化してる間はその相手がやってることを感じることができる。飲み食いはもちろん、煙草だって吸ったてる感覚になれるぜ。それだけじゃあない。風呂トイレ、なんだって経験できるのさ」

 飲み食いまでは分かるが、風呂トイレを経験したところでどうしたと思うのだが、実に興味深い。黄色い車を探すよりもこっちの方がよっぽど楽しめそうだ。

 そんな感情が私の顔に出ていたのだろう。トムはそれを撥ねつけるように手のひらをこちらに向けた。

「楽しそうだろ。だが、注意が必要だ。これを疎かにしちまうと――」

 ――死ぬ。

 トムは確かにそう言った。

 

 

 


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