08 夢を求める
定められた道を歪めたことによる罰のようなものは存在するんだろうか。
そもそもこの世界の神と呼ばれる存在が本当にいるのかどうかも分からない。
誰も気づかないのならそれでいいやと開き直れればいいが、臆病者の私はやってしまってから頭を抱えるのだ。
それじゃあ、無視すれば良かったじゃないかと頭の中でもう一人の自分が馬鹿にして、私はそれに放っておけないじゃないと返す。
そうしてぐるぐると、同じ事が頭を巡っていた。
「はぁ」
気分転換にベランダに出て夜風に当たる。
見下ろす景色はいつもと変わらず、散りばめられている光の粒を見つめながら私は溜息をついた。
閑静な住宅街では、夕食の時間をとうに過ぎてしまっているのに散歩をしている人たちを見かけた。
昨今の健康ブームは未だ続いているようだとご近所さんたちを眺めながら、私は空を見上げる。
「曇ってるし」
満天の星か、と期待したが生憎の曇り空。
それでも月が見えているだけまだいいか、と思って私は大きく伸びをする。
内に篭ってばかりいたら、煮詰まるばかりで解決しない。
だから少しでも気分転換をとシンボルタワーを見つめながら、塔につけられている電飾の点滅に合わせて腹式呼吸を始めた。
「ここはどこ、私はだあれ……ってか」
ゲームの世界に転生したらしいというのに、覚えているのは色々なゲームを遊んでいたという事だけだ。
キュンシュガ、ドキビタといったこの世界に酷似した世界観や登場人物の設定を持つゲームや、冒険物、苦手な格闘物等すべてゲームに関することだらけ。
どんな場所で産まれ、育ち、家族構成、どんな学校生活を送り出会いがあったのか。そして最終的にはどんな風に生涯を終えたのかがさっぱり判らない。
知りえる情報はゲームのみとは、前世の私も今の私とあまり変わらずゲーム三昧の日々を送っていたのだろう。
せめて、家族構成や私の伴侶、子供たちの事だけでも知りたかったのに残念だ。
「え、ど、独身とか?」
幸せな結婚をして、可愛い子供たちに囲まれ、親族に看取られながらの大往生が理想なのに嫌な光景が頭に浮かぶ。
一生独身でいた寂しく哀れな私を憐れんだ神様が、花盛りの頃に熱中していたゲームの世界に転生させてあげましたという流れで転生してしまったんだろうか。
ゲームの情報しか覚えていないのは、辛い前世を思い出させないため?
だとしたら前世の私はどれだけ寂しい最期だったんだろうかと想像して、体が震えた。
「いや、いやいや……ないわ」
その程度で憐れだと思われるくらいなら、それよりも酷い人達はみな幸福な世界に転生させてもらえることだろう。
そうだったと仮定しても、なぜ攻略対象の姉という微妙なポジションにしたのか。
主人公や主人公のライバルとなる存在、もしくは性転換しての攻略対象というなら話はわかる。
でも私の立ち位置なんてなつみのルートに入らなければ掠りもしない、本筋には何ら影響のない存在だ。
それが憎いわけでも嫌だとも思ってはいない。
理解ある家族に、楽しい友人がいる現状に満足しているが何故こうも中途半端なのか。
中途半端なのは前世の記憶を持っているという部分だ。
そんなもの持っていなかったらこんなに悩む必要も無かったのに。
「由宇? どした?」
眉間に皺を寄せていると、隣の部屋にいた兄さんが声をかけてきた。
どうやら私が外に出た音を聞いてから中に入った気配がないので、心配になったらしい。
そこまで心配されるほどじゃないのに、と呆れれば病み上がりなのを忘れるなと怒られてしまった。
「んー。ちょっとお節介し過ぎた気がして。ちょっと悩んでた」
「その相手には迷惑だって言われたのか?」
「ううん。寧ろ、ありがとうってお礼言われて髪留めまで貰っちゃった」
私には少し可愛過ぎるくらいの白薔薇の髪飾り。
鏡の前でそれを付けてちょっとニヤニヤしてしまったのは内緒だ。
「じゃあ、いいんじゃないか? 迷惑がられたならまだしも、喜んでくれたなら」
「いいのかなぁ」
「相手がいいって言うならいいだろ」
「そうかなぁ」
普通の状況じゃないから困っているのだが、それを兄さんに話すわけにもいかない。
話したら最後、やっぱり頭がおかしいって騒がれると面倒だ。これが叔父さんだったら、多分私の事を思って誰にも言わないでくれてると思うけど。
「そんなに悩んでるのも珍しいな」
「そう?」
「なつみも心配してたぞ。『お姉ちゃん、今日唐揚げだったのに十個しか食べてなかった!』って」
「……もたれるのよ」
「歳かよ」
衣がカリッとしていて中がジューシーな母さんの唐揚げはいつ食べても美味しい。みんな大好きなので大量に作ってくれるけど、そう言われれば今日はあまり食べなかったような気がする
普通に食べてたつもりだったけれど……って、食べた個数数えてたのかなつみは。
「病院から帰ってから、何だか調子悪そうだな」
「え? 普通だけどなぁ」
「心ここにあらず、と言うか……全ての罪を背負い込んだような暗い顔してか?」
「ええっ! 私そんなに悲劇のヒロインぽかった?」
「目を輝かせんなよ」
それはそんな事を言う兄さんが悪い。
悲劇のヒロインぽい自分を見てみたかった。
こんな感じ? いや、こんな感じか?
「何くねくねしてるんだ? 本当に大丈夫か?」
「失礼な。ヒロインごっこをしてたんですよ」
「……お前がおかしいのは昔からだけど、なつみが見たら本気で心配するからやめとけ、な?」
「うん」
兄さんの生温い視線が痛い。
なつみ程じゃないけど、私も可愛い妹なんですけどね。もうちょっと優しくしてくれてもいいような気がする。
唇を尖らせて不貞腐れてる私を見た兄さんは、ブフッと失礼にも噴出しながら笑い出す。
可愛い妹に向ってブサイクとか随分ですね。
ええ、ええ。
そうですよ。ブスですよ。ブス。
「兄さんなんて、一生独身貴族でいればいいのに」
「笑顔で人を呪うな! 縁起の悪い!」
「でも、兄さんて叔父さんに似てる気がするんだよね。将来ってあんな感じじゃない?」
「お前叔父さんに失礼だろ? でも、いや……うん、言いたい事は判るが」
叔父さんはとてもいい人だ。女運が無いだけで。
顔もそこそこで、常識人で喫茶店のマスターっていうお洒落な職業なのにどうしてか女運だけが無い。
飲み会で二人きりにならないかと誘われてもお断りしてる兄さんとは違って、叔父さんの方が深刻だ。
それにしても彼女欲しいなら誘いに乗れば良いのに何で断るんだろう。
まぁ、変な女連れてこられるのは嫌だけど。
「寧ろ、お前じゃないのか? 男運の無い」
「うるさいです。私は運が無いのではありません。自ら遠ざけているだけです。学生の本分は勉学ですから」
「……ゲームの世界ばっかりに夢を求めて現実を捨てると、気づけば一人ぼっちだぞ」
色々な意味でその言葉は痛い。
前世の私がもしかしたらそうだったかもしれないので、精神が瀕死状態になりそうだ。
でも仕方がないだろう。お手軽に好きな夢を見られるのはゲームが最適なんだから。
漫画とかアニメとかとは違って、主人公の個性が強くないからいい。多分私がそんな主人公のゲームばっかりやってるせいだろうけど。
だからその世界に入り込みやすく、数多く分岐する道を好きに選べる。決めるのは主人公であって、主人公ではない。
画面越しに主人公に指示を出しているプレイヤーだ。
今はバッドエンドらしいバッドは無いから少し不満だとモモが言っていたのを思い出した。例えあったとしても、縁遠くなって日常に戻るとか家族や友人エンドだ。
攻略失敗したエンディングの方が現実に近い気がすると思う時点でアウトかもしれない。
「現実捨てたわけじゃないんだけどねぇ。夢があまりにも心地よくて」
「そうだよなぁ。理想と夢と希望がたくさん詰まってるもんなぁ。失敗してもやり直せるし」
「そうそう。お手軽にやり直しがきくっていうのがいいよねぇ」
現実ではないからあらゆる分岐を選べるし未来も複数見られる。本筋のあるような話とは違って恋愛シミュレーションはお手軽に綺麗な人たちと恋に落ちる事ができるから便利だ。
それを現実にするとなると、涙ぐましい努力をしなければ無理だろう。
まず、あらゆるステータスが普通以上でなければスタートで出遅れる。顔立ちが中の下だとしても誰からも好かれるような魅力は必須であり、何より運に愛されてなければいけない。
そもそも、努力してあそこまで完璧人間が作れるのなら誰も苦労はしないだろう。
いつものように大学に行ってモモたちとくだらない話で盛り上がり、バイトをしながら叔父さんや常連さんたちの愚痴を聞く。
神原君たちはあれからパフェを食べにちょくちょく来るようになった。
チャラい見た目だけど沢井君は本当にノリの良い男の子で、何故彼はもてないのかと本気で考えてしまう。
社交的でクラスメイトたちからも一目置かれているのは沢井君だ。
神原君はと言えば、大人しくて優しい。
誰かのルートに入っていればそれに関連して言う事ができるかもしれないけど、華ちゃんを好きなわりにはルート入ってないらしい。
プレゼント渡しのイベントだって、こんな時期じゃなかったはずだ。
あれは、確か一年の夏に起こるイベントだったと思う。
「由宇、眉間に皺寄ってるぞ」
「ごめんなさい」
いけないいけない。
今は仕事中だった。
営業スマイルを忘れるとはバイト失格。
「あら、可愛い子の難しい顔も中々いいと思うけどね」
「そんな事言ってくれるの高橋さんくらいですよ」
「高橋さん、あんまりコイツを甘やかさないでもらえます?」
いつもカウンターでマスターである叔父さんや私と会話してくれる高橋さんは本日も大変美しゅうございます。
これで人妻だというから驚きだ。
成人した子供が二人もいるのだから更に驚きだ。年齢不詳だが、大体母さんと同じ歳だと思う。高橋さんを狙って声をかけてくる男の人は、左手薬指を見て顔色変えるから面白い。
あれは見ていて楽しいけど、知らない振りするのは意外と難しい。
そういう意味では空気のように気配を消す叔父さんは本当に凄いと思う。
聞いてない振りしながら、店内の事は全て把握している。それを言ったら当然だって怒られそうだけど。
私はついつい意識をそっちに集中させてしまって、通常業務が遅れる事がある。それでも今はだいぶこなれてきた。
まぁ、褒められる事ではないけれど。
「あら、女の子は甘やかすものよ。由宇ちゃんも、器の大きい男の人を見つけなさいね」
「是非ともそうしたい気持ちではいますが、生憎縁がありませんので」
「あらあら。そんなところ、マスターに似ちゃ駄目よ?」
「それはもう!」
「おい」
お盆を片手に持ちながらビシッと軽く敬礼をした私に高橋さんが笑う。
うちの母親とは大違いだと思ったがこればかりはしょうがない。
からかわれた叔父さんが睨んできたので知らない振りをすると、私はお冷のポットを手にテーブルを回り始めた。
「はぁ、疲れた」
今日も何事も無く一日が終わる。
明日も、明後日も、暇とさえ呟いてしまうような毎日の繰り返しなんだろうなと思いながら、私は溜息をついた。
最近、虎さんとは連絡を取っていない。何やら実生活が忙しいのか時間が取れないとメールが来たのだ。
別にこれといって話す事があるわけでもないので問題ないが、少し寂しい。
もしかして、与太話に付き合うのは疲れたんだろうかと思いながら、私は悩みを相談できる相手がいなくなってしまったと息を吐いた。
「うーん。相手してくれただけ良かったと思うべきか」
本気で危ない人物だと思われ他所で笑われているかもしれない。
けれど、そんなのは今更かと私は軽い気持ちで虎さんにメールを送ってみた。
実生活は落ち着いたかとか、こっちは相変わらずで平和だけどモブという立ち位置は正直暇です、とかそんな事を書いて。
ポーンとメールの着信を知らせる音に返信かと期待しながらトレイを開けば、無題のメールが一通。
アドレスは虎さんだ。
「何これ? 虎さーん」
そこに書かれていたのは短文だけど、文字化けしてて読めない。
なんて書いてあるか判らないとメールを送ってもエラーになって返って来てしまった。
本当に何なんだこれは、そしてどうした虎さん。
何だか嫌な気分になって私は暫く画面と睨めっこした後、兄さんの部屋に乗り込んだ。
「あ、ごめん。今いいところだったのに邪魔しちゃって」
でもちゃんとノックして声かけた私は悪くない。
そう言い訳をして気まずそうな顔をする兄に、ヒラヒラと手を振って自室へ戻った。
兄さんも相変わらずクールビューティが好きだな。
あの子攻略するのはこれで五回目だったような気がする。いや、もしかしたらそれ以上かもしれない。
飽きないなぁ。