80 私と私と私
本当に長い道のりを経て、ようやく私達の先頭まで辿り着いた。腕に抱えたイナバは私の気も知らずに未だ眠っている。
番人がくるりと振り返ってパチパチと手を叩く。
からかうように「到着おめでとうございます」なんて言われたので、余計に疲労感が増した。
呼吸を整えながら私は振り返って自分がやってきた方角を見る。
「うわぁ」
「凄いでしょ?」
「うん。これだけの私がいて、ゲームクリアできないなんて本当に悪夢だわ」
「根本的な問題解決しない限り増える一方だもんね」
「楽しそうに言わないで」
もし次回というものがあったら、きちんとここまで辿り着ける自信はない。
次はどれだけ記憶を保持しれいられるのやら、と溜息をつくと慰めるように肩を叩かれた。
一番目の彼女の記憶を何故私は忘れていたのだろう。
あまりにも多くの死亡エンドを繰り返したせいで、過去の記憶が潰されてしまったのだろうか。
一桁の記憶なんてそれこそ衝撃が強くて後々まで覚えていそうなものなのに。
「せっかくここまで案内してあげたのに、一番目の私を忘れるとは酷いなぁ」
「そんなこと言われてもね」
不満げに呟いていた番人は私の素っ気無い返答を聞いて納得したように頷いた。
忘れていた記憶が全て蘇ったわけではなく、それが私の中に定着するとも限らない。
この場を離れてしまえば、ここで起きた事全てを忘れているかもしれないと彼女も分かったんだろう。
「上書きに次ぐ上書きで、忘れただけかもね。 きっかけがあれば思い出したかもしれないけど」
「どうかなぁ。思い出した時には既に遅いって状態になってそう」
「あーあるある」
「それじゃ困るんですけど!」
手を叩いて笑うもう一人の私が憎らしい。
ちっ、と小さく舌打ちをして頭を左右に振ると私は彼女を無視して前方を見つめた。
辿り着けば何かがあるんじゃないかと期待しながら到達した場所。
「何も、無い……あ」
「いるよ」
「なんだ、また私か」
ご褒美が用意されているかもしれないと、期待していた場所にいたのはもう一人の私。
居並ぶ私達と、イナバを抱えている私と、一番目の私に加えまた私か。
いくら私の記憶の中とは言え、流石に見飽きた。
「もう、やだ……」
「そう。私なのでした!」
私と番人のやり取りを、じっと見ているのは少し距離を開けてこちらを見つめている“私”だ。
何が楽しいのか黙ったまま私達の方をニコニコしながら見ている。
同じ私かと思えるくらい、何となく雰囲気が違う様な気がするのは気のせいだろうか。
隣にいる番人は自分と同じだと思えるのに、離れた場所からこちらを見つめる彼女は異質であると直感した。
何がどう違うと上手く言えないのがもどかしい。
「で、なんであの私だけ遠く離れた場所に?」
「あぁ、区別?」
「疑問で返されても困るんだけど」
番人に問いかけると彼女は首を傾げて人差し指を頬に当てた。
それから眉を寄せ、離れた先にいる“私”を指差す。
「こっちと、あっちの間には見えない壁みたいなのがあって接触するのは無理なのよ」
「ふーん」
「あら、初めましての挨拶にしては随分愛想が無いのね」
そんな事言われてもどうせ私だ。
区別されてるとは言え、彼女も私に関する何かなんだろう。
だったら別に礼儀なんてそんな必要でもない。
ただ、見えない壁の向こう側にいるというのが引っかかるけど。
凶暴で手に負えず隔離されているのか、それとも別の理由か。
「ふふふ。どっちかなぁ」
「あ……」
「心の中だだ漏れなの忘れてたみたいね」
「忘れるってば」
この空間に私の声が響くならまだしも、そんなものは聞えない。
恐らく、この場にいる私はどれも私と同じだから感覚を共有しているか何かしてるんだろう。難しいことは良く分からないし、こういう事を説明してくれそうなイナバは未だ眠ってるので仕方ない。
番人や向こう側にいる私が何も言わないという事は、それで正解なのか。
隣にいる番人は少し困ったような顔をして、離れた場所にいる私は楽しそうな笑顔でこちらを見つめていた。
「思い出したくない記憶なら、閉じ込めたままでいいかなぁ」
「あ、そう判断した」
「隔離されてるくらいなら危険でしかないじゃない」
「うーん。そうだね。私は良く分からないけど」
番人が言うには気づけば彼女がそこに居たという。
こちら側とあちら側を隔てる見えない壁と共に突然出現した謎の私。
聞けば聞くほど怪しさ満点で、見なかった事にしようかと半歩退いた。
「私達はいつかの貴方」
「貴方が通っていた道」
「私達はいずれ貴方になる」
「私達は貴方の過去」
「貴方は私達の未来」
「いくつにも枝分かれして……」
「辿り着いた道」
その動きを止めるように背後から聞こえる私達の声。
ほぼ同時に紡がれた私の声は様々な音程で重なり、意外と心地よく響き渡った。
そして、それらの発言が全て聞き取れた私は不思議な感覚になり小さく首を傾げる。
振り返った先にいるのは、足元に赤いバツ印を持った直立不動の私達の姿。
一定の間隔で並んでいる姿を最前から見ると壮観である。
軍隊の指揮官にでもなったような気分だなと思えば背後から番人の笑い声が聞えた。
「分かる分かる。まぁ、それもすぐに飽きるけどね。見慣れると」
番人の足元にもつきまとう赤いバツ印。
私の足元には何も無い。
そして、少し離れたところに立っている私の足元にも何も無い。
「あ、そっか」
「そうなのよ」
だから異質なんだ、と気づいた私に番人は同意するように頷いた。
こちらを見つめる印の無い私は相変わらずにこにことこちらを見つめている。
敵か、回避成功した未来から来たのかと考えていると彼女は首を傾げた。
「ふふふ。どっちだと思う?」
「敵なら悠長に構えてるのは趣味が悪いから。未来から来たとしてもここは私の記憶の中だから胡散臭い」
「なるほど。確かにここは【隔離領域】でもなければ【世界】でもない。貴方の内なる世界だからね」
睨み付ける私をものともせず、彼女は楽しそうに笑いながら最近聞いたばかりの単語を口にする。
それを知っているのは彼女もまた私だからなのか。
それとも敵だからなのか。
「そうね。未来から来たわけじゃないけど、それに近いわ」
「は?」
「未来人の私登場とか、冗談きついわ」
「記憶の番人とかいう恥ずかしい名前の私に言われたくないんだけど」
同じ顔が三人集まって同じ声で会話をする。
服装はそれぞれバラバラだが、本当に奇妙な感覚だ。
一卵性の三つ子ってこんな感じなんだろうかと思っていれば、二人が私を見て、互いに顔を見合わせて「そうねぇ」と呟いた。
仕草も、声を発するタイミングも計ったかのように同じ。
まるで鏡だ。
「まあいいわ。普通に呼んでたら誰なのか分からなくて混乱するものね」
「そうそう。だから私は番人。で、こっちが本体」
「本体って……」
記憶の番人と便宜上三人目とした私は妙に仲が良い。
透明な壁が邪魔をするだけで会話は普通にできたらしく、暇つぶしに色々な事を話していたらしい。
彼女がもし敵だったとしたらどうするんだと眉を寄せると、三人目の私が笑った。
「それで、どちら様?」
「私は私よ。貴方であり貴方ではなく、私。羽藤由宇には違いないけれど」
「え?」
「なんかね、この私はいっつもこうなんだよね。くどいんだ」
偉そうだと呟く番人の声を聞きながら、私は三人目の羽藤由宇を見つめた。
後ろに居並ぶ私達とは違って足元に赤いバツ印はない。
透明な壁はどうして私達を隔てているのか、そして彼女が一人で隔離されている理由は何か。
味方とは思えないが敵という感じもしない。
「可愛い子ね。いい子だわ」
彼女は眠っているイナバを興味深そうに見つめると頬を緩ませる。
流石に起こしたほうがいいかと思って軽く体を揺すれば「お代わり……」と訳の分からない要求をされた。ニンジンをたらふく食べてる夢でも見ているのか、口の端からタラリと涎が零れている。
「ん……むにゃ、由宇おねーさん?」
「起きてイナバ」
「んむむ……ん? んんっ!?」
私の肩に頭を乗せていたイナバは直立不動の私達を目にして驚いたのだろう。一瞬で目が覚めたらしく興奮したように耳をピンと立てていた。
そしてそのまま「凄いですね! 圧巻ですよ!」と私が既に感じた事を告げてくる。
適当に返事をしながらイナバの顔を隣にいる番人と向こう側の私に向けると、動きが止まった。
目をまん丸にさせて「やっほー」と手を振る番人を凝視し、「イナバ……いい名前」と呟く向こう側の私へ視線を移す。
ゆっくりと顔を私の方に向けたイナバは、そのまま私の胸元に頭を押し付けるようにして耳を伏せた。
「寝るな」
「悪夢だと思って……」
「へぇ。しろうさと声は同じなのにやっぱり、違うなぁ」
「いい兆候じゃない」
観察するように見つめて近づいてきた番人が、そっと手を伸ばしてイナバに触れる。ビクッと大きく震えたイナバは私の腕の中でもがき、肩へと上った。
私が掴もうとするとイナバはスルスルと首の後ろを通って反対側の肩から腕の中に下りてくる。
何度か足踏みをして体勢を整えると、再び触れてこようとした番人に向かって威嚇した。
「やだ、ショック!」
「研究したいって顔に表れてるからよ、番人」
「そ、そんな事しないもん」
「しろうさとの違いを調べるつもりだったんでしょ?」
イナバが誰かに向かって威嚇する光景を初めて見た私も、拒絶された番人と同じように驚いていた。
目の前にいるのは一番目の私だ。
こうしてイナバを抱いている私とほぼ同じだというのに何が違うんだろう。
三人目の私が言うように研究対象として乱雑に扱われそうだったのが嫌だったのか、それとも野生の本能で危機を感じたのか。
今こうやってウサギの姿を取ってはいるが、これは野生と言えるんだろうかと私は首を傾げる。
「しょうがないでしょ。だって、この子だけ違うのよ? 今までは皆同じしろうさだったのに、イナバになったこの子は違う」
「あーそれは繰り返しすぎて歪んだだけって事じゃない? 偶々というか」
「だったら、その相違に何か手掛かりがあるかもしれないじゃない」
「嫌です。番人さんは嫌です」
「ほら、拒絶された」
「チッ」
はっきり、きっぱりとイナバに拒絶された番人は顔をそらして舌打ちをした。
せっかくここまで案内してあげたのに、と恨みがましく言われたので無視をする。
案内してくれと言った覚えは無く、勝手に自分からやった事なんですけどねと心の中で呟く。当然聞こえている番人はフイッと顔を逸らして拗ねてしまった。
その様子を見ていた三人目の私はお腹を抱えて笑い出す。
「あの由宇お姉さんも嫌です。なんか、ぞわぞわします」
「え、じゃあやっぱり敵か」
「ちょっと待ってイナバちゃん。だったら貴方は羽藤由宇の敵でない事を証明できる?」
「そ、それは……」
三人目の私に言われてイナバが動揺する。
確かにその通りだなと頷いていれば、番人が三人目の私を見ながら「あんたも同じだけど」と呟いた。
「それと同じよ。私は羽藤由宇だけど、そこにいる二人、そして居並ぶ彼女達とは違う。けど、敵意はないわ」
「そ、そんな事言って由宇お姉さんに取り入ろうとしても無駄ですよっ!」
イナバとは違い、三人目の私は何を言われても動揺した素振りを見せない。
腹が立つほど余裕綽々でどこかこの状況を楽しんでいるようにも見えた。
「いつもだよ。何を話しても泰然自若。全てを見透かしたかのような態度が気に入らないんだけど」
「全てを見透かす……」
「でも敵意は感じられない。神でもない」
「その根拠は?」
「神がこの場所までこれたなら、私は消失してるだろうから」
神が降り立つにはあまりにも狭すぎると告げた番人に、能力低下しているらしい今なら可能ではと尋ねる。
しかし、封印されて能力が低下したとは言っても【隔離領域】ほどの容量がなければ無理だと断言されてしまった。
それに神がこの場所に来るにはまず【隔離領域】に私を呼ばなければいけないらしい。
そしてここは夢のような世界ではあるが【隔離領域】ではないと番人は告げた。
どうしてそこまではっきり言えるのかと訝しがっていれば、軽く顎をしゃくって番人は三人目の私に目をやる。
「……未来人にしては胡散臭いんだけどね」
「未来人でもいいけど?」
「あー、そうだった。駄々漏れだったんだっけ」
ここがどこなのか一番良く分かっていなかったのは私のようだ。
プライバシーなんてないものね、と笑いながら告げる三人目の私を警戒するようにイナバは目を細める。
黄色い瞳がゆらりと揺れ、少し赤みを増したような気がした。
「由宇お姉さん、しっかりしてください」
「そう言われてもね。駄々漏れだし」
「あ、そうだ。ねぇ、イナバちゃん」
「な、なんですか」
どうしろって言うんだ、と力なく呟く私に番人が大きく頷く。
三人目の私に声をかけられたイナバは、びくっと体を震わせてにこにこ顔の彼女を見据えた。
「回避、怠ったら駄目だと思うよ? あれ失敗したら、ここには繋がらないでしょ?」
「ヒッ!!」
「なに、やっぱり未来人って事?」
「便宜上そうしとく? 未来の私って事に」
三人目の私が告げた回避に心当たりがあったのかイナバはガクガクと震え始める。
そこまで怖がる事かと思っていれば「イナバちゃんにとっては、ね」と三人目の未来人私がそう言った。
「好きに呼べばいいわ」
「じゃ、三人目」
「未来人じゃないの!?」
番人のツッコミを流しながら私はこれがしっくりくると頷いた。
三人目の私は抗議する事もなく「貴方がそれでいいなら、それでいい」と優しく告げた。
本当に私の声なのかと驚くくらいの優しくて穏やかな声色に戸惑っていれば、三人目はスッと姿勢を正す。
「私はね“神が存在しない世界”の私なのよ」
「は?」
「並列世界って言うの? とにかく、私の世界には神が存在しない。そして、ループも」
「マジかっ!」
「本体食いつき過ぎー」
ループの無い世界。
少女達が求める元の世界からやってきたという三人目の私。
呆れたような声で番人が溜息をつくが、これが食いつかずにいられるものか。
望んでいた世界からやってきた人物が目の前にいる。
「どっ、どうやって、どうやったらループ解けるの? 元の世界に戻っても神原君達は平気? なつみもいる? 兄さんも存在してるの? そこに到達するまであと何回死ねばいい?」
「落ち着きなさい私。残念だけど、そろそろ時間だわ」
「え、時間?」
これからだという時に、それは無い。
ずるい、と搾り出すような声で呟けば「また機会はあるから」と三人目に慰められる。
番人を強く見つめれば「分かった」と頷いてグッと親指を立ててくれた。
「また来るから。絶対に、来るから!」
「自分の中だもの。そう気負うことないわ」
「そうそう。見張っとくから安心して目覚めてよ。あんたが元気じゃないと、どうにもならないんだし」
気づけば腕の中のイナバが粒子になって消えてゆく。
それと同じように私の体も光の粒子になって少しずつ消えてゆく。
意識が遠ざかる中、最後まで残ったのはわたしのことば。
「またね」




