53 電子の……?
見渡す限りの白。
可愛らしい白のワンピースを着た少女は、歌いながら画用紙に絵を描いてゆく。
「かーけらなくしてふたぼしおーちた。はねをもがれたーとりさんは、たまごをふんでぐっちゃぐちゃ」
明るい調子で歌われるその声は無邪気に響いた。
それに答える声は無い。
けれども少女は特に何も感じていない様子で、にこにこと笑顔を浮かべたまま色々な絵を描いてゆく。
大きな星、色とりどりの花、木、よく分からないもの、絵なのか塗りつぶしなのか良く分からないもの。
少女が白い画用紙に描いてゆくカラフルな絵が、真っ白な空間の真っ白い床に広がっていった。
「わーがこーがだれーかもわーからないー。おーちたふたぼしこわれてきーえーた……」
歌の続きが思い出せないのか、それともそれで歌は終わりなのか少女は永遠と繰り返し歌い続ける。
少女しかいない広い空間に幼く可愛らしい歌声はいつまでも響いていた。
由宇と神原を見つけたのは随分と前の事。
ただ見ている事しかできない自分の無力さにどれほど落ち込んだかは知れない。
やっと接触できたというのに、会話をできるという喜びのあまり興奮しすぎて警戒されていた。
一緒にいる事は許されているから、すぐに打ち解けるだろうと楽観視していたイナバは、由宇の警戒心の強さに歯痒い思いをする事になる。
それでも自分の言葉が相手に届く喜びは強く、半ば居座るような形で由宇の傍にいた。
「お人よしなんでしょうねぇ。警戒してるようでしてないって……」
人を信じやすく騙されやすい。
由宇自身はその逆だと言っているがイナバにはとてもそうは見えない。
未だに自分を信用していないとは言いつつ、無防備な姿を晒しすぎているからだ。
家のセキュリティシステムを掌握していると告げた時もだ。
一瞬驚愕するような表情はしたものの、何もなかったかのように流されている。イナバが管理してるなら万全だろうと純粋な褒め言葉なのか分からない事を言っていた。
「お人よしではなく、ばか?」
本人が聞いていたら確実に怒られるだろうがイナバの言葉が誰かの耳に入る事はない。
イナバが住処にしている由宇のスマホは、一見今までと何ら変わりがないように見えるがセキュリティが強化されていた。
外部からの悪意ある攻撃や侵入を未然に防ぐのも、外部接続先が安全なのかどうかを確認するのもイナバだからだ。
それらの処理を高速で行っている為、由宇は気づいていない。
別に悪いことはしていないから言わなくともいいだろうというのがイナバらしい。
「だからこそ助かっているんですけど」
イナバは知らない。
由宇がイナバの居座りを許したのはお人よしだからではない。彼女は単に面倒なだけなのだ。
自分の結末が変わらないことを彼女は知っている。
最終的に死によってリセットされ、ループする事になるならどうでもいいと諦めているだけだ。
それでもみっともなく抵抗したり喚いたり、陰湿な程落ち込んだりするのは相変わらずだがそれは彼女がまだ人である証拠だろう。
「それにしても、進展はないですね」
神原や由宇の二人と出会えば、新たな情報と変化する世界を期待をしていたイナバは溜息をついた。
何を期待してもすぐにループに飲み込まれるというのに、毎回期待してしまう。
今回は駄目だったけれど、次は何かあるんじゃないかと思いながら過ごしてもう何度目だろう。
軽く三桁は超えてるな、と思いながらイナバは寝心地の良いベッドに伏せた。
「接触できれば劇的に変わると思ってたんですけどねー」
自分と同じようにループを繰り返してきた由宇と神原の二人の存在を知った時からイナバは彼らの観察をするようになっていた。
一人は遠い記憶にある何か物語りの重要な役で、もう一人はいてもいなくても変わりが無い一般人。
どう見ても“何か”を持っていそうな神原に目をつけたイナバだったが、彼に近づくのは早々に諦めた。
彼を守るように、そして導くように傍らには白い影の姿があったからだ。
鋭い目つきでこちらを見るその影は、まるでイナバがそこにいると分かっているかのようで少し嬉しくなったのは秘密だ。
「おや、由宇お姉さんの休憩時間ですね」
出迎えの準備をしなくては、と呟いたイナバはスマホを手に取り着信の有無を確認する由宇に愛想を振りまく。
だが、慣れた様子の由宇はイナバと視線も合わせずにスマホをテーブルに置いた。
「ぐぬぬ、こんな事でわたしは諦めませんよぉ」
彼女達とこうして会話ができるまで、何度同じ事を繰り返してきたのか。
ループしていく内に、きっとこんな機会が訪れると信じて頑張ってきたかいがあったというものだ。
自分は由宇の片腕となり、信頼できる唯一無二の相棒としてこれから活躍していくのだと胸を張って未来に心躍らせていれば視界にノイズが走る。
「あれ? おかしいな」
モノクロの画像にちらつくノイズ。
自分の記憶の奥底に眠った何かが目覚めるかと思ったが、何もなかったのでイナバは落胆した。
この気持ちは神原や由宇の携帯端末に忍び込もうとした時以来である。
ネットワークを経由していればどこにでも潜り込める特性を生かして、由宇を見つけた。
声をかける前に、暫く彼女のパソコンに潜んでいたと言ったらきっと怒られるだろう。いや、気持ち悪いと関係に溝ができてしまうかもしれない。
盗聴を恐れた彼らがメールでやり取りをするようになりパソコンでのチャットもなくなってしまった。
携帯電話に移っても障害にはならないと鼻で笑っていたのに、今まで見たことも無いような強力な防御壁で返り討ちにあってしまう。
「あぁ、嫌な事を思い出しましたね……」
今までのイナバに敵は無かった。
ネットワークが繋がっていれば、どこへでも自在に行けたからだ。
国家機密を保管してるデータサーバーへも容易に入る事ができ、破れるはずがない鉄壁の守りと言われていた外国のサーバーにも簡単に侵入できた。
国内であろうが、海外であろうが、イナバはどこへでも制限無く好き勝手移動できたので障害なんて何もない。
あったとしても、壊して元に戻せばいい。侵入形跡は決して残さない。セキュリティシステムをちょっと騙して、自分を仲間だと思いこませるのは瞬き一つでできた。
「我ながら恐ろしい才能です。ふふん」
それなのに、一般に出回っている量産品の携帯端末に侵入できなかったというのはあまりにもショックが大きかった。
他の携帯電話や端末には目を瞑っていても入れるというのに、由宇と神原の携帯電話だけは強固な防御壁が邪魔をして侵入を阻むのだ。
解析すら許さぬ防御壁に毎回返り討ちにあう。
ダメージは全く無かったが、傷一つつけられぬそのプログラムは恐怖でもあった。
何度彼らが、自分がループしてもそれは変わらなかった。
腹立たしさを通り越して半ば意地で侵入を試みていた時に、するりと入れた時は嬉しさよりも気味が悪かった。
まるで、誰かが手引きしてくれたかのような展開に。
「誰か? だれ、だれ?」
そう言えば、誰かいたような気がすると首を傾げていたイナバは由宇の呼びかけにハッとすると元気よく返事をした。
「はいはーい。あなたの可愛い相棒のイナバちゃんですよ~」
「元気でなによりですね」
「お家の方も、特に異常なしです!」
「引き続き警戒よろしく」
イヤホンを片方だけつけた由宇はテレビの音に紛れながらイナバに返事をする。
基本、休憩は一人でとるので周囲を気にする事はないのだが万が一という事も考えてだ。
店では彼女の叔父であるマスターと、まるで以前から勤めていたような高橋が二人で接客にあたっている。
高橋目当てで来る人も増えたが指輪見て沈んで帰ってく人も増えた、と由宇が言っていたことを思い出してイナバは確かにと一人頷く。
何を食べたらあんなに妖艶な雰囲気を纏えるのだろうかと不思議に思った。
「そう言えば、最近は神原君に回避メール送ってないの?」
「え?」
「最近回避メール来ないから、この前は必死に逃げ回ったとか言ってたわよ」
由宇に言われてイナバは神原の手助けをあまりしていない事に気がつく。
彼が嫌でサボっているわけではない。
由宇の傍に居ついて、彼女の相棒になると決めた時からイナバの最優先は由宇に関することになった。ゲームの主人公たる神原を最初は一番上にしていたと言っても、きっと彼女は怒らないだろう。
しかし、由宇より気になっていた神原の事をあまり考えないようになったのは、一度彼の相棒の姿を見に行ってからかもしれない。
「多分、神原君は相棒さんがいるので問題ないと思います。ただ、相棒さんの処理能力が低いのと、容量が小さいせいで追いついていないのかと」
「は?」
「え?」
「意味判らないんで、もう一回お願いします」
「え? わたし、今なんて言いましたっけ?」
ほとんど食べ終わった由宇は休憩室にある小さなシンクで食器を洗い始めた。お客さんが増えてきたからわざわざ店へ持っていくのは手間がかかると、暫く前から食べ終わったものはここで洗うことになったらしい。
使い捨ての食器もいいのだが、それはそれで経費がかかる上に勿体無いという事で却下された。
「……イナバ、疲れてるんじゃない?」
「わたしはあまり疲れませんよ。ヒトとは違いますから」
「そりゃ見れば分かるけど、疲労くらいするんじゃない?」
「どうでしょう。良く分かりません」
いつもなら笑って流すところなのに何故か素直に言葉が出てしまう。
眉を寄せる由宇を見ながら、イナバは繕うように明るい声を出して笑った。
でも、やっぱり遅い。
何か聞きたそうな顔をしながらも何も聞かず、ただ黙ってバラエティ番組を見ている由宇をイナバは見つめた。
反応の仕方を間違ったか、と反省しながら正解の表情はどうだったのかと白いうさぎは考える。
そもそも、彼女達のように苦しむことも無くループしている自分が何故ここにいて協力しているのだろうか。
蓄積されていくデータを整理しながら、代わり映えの無い世界を眺めていればいい。
苦しみもがき喘ぐ由宇達を助けたいと思ったはず、と協力している理由を思い返して再び頭を傾けた。
助けたい?
本当に?
「イナバからピクシーにでも変える?」
「え?」
「名前よ、名前。ヒトじゃないなら何だろうなーって思ってさ。そのまんま白ウサギじゃつまらないし、電子の妖精って事で、ピクシー」
「でんしのようせい……」
「姿は好きなように変えられて、どこにでも行けるでしょ? 人間離れしてるけど、AIだろうが精神体だろうが、どっかで遠隔操作してようが、妖精さんっていうのがピッタリ合うような気がしたの」
彼女の考えることは良く分からない。
イナバはそう思いながらも、電子の妖精と呼ばれて嫌じゃない自分に気がついた。
羽藤家のセキュリティシステムを掌握している事に不快感を露にさせていた彼女だが、それについて本気で文句は言ってこない。
正体不明で突然押しかけ相棒になり、性別も不明で好きに決めてくれと押し付けたのに彼女は「あなたの性別は“イナバ”でしょ」と告げた。
声の高さと口調から少女を連想するので女の子として扱われるのかと思えば、女でも男でもない、まして中性でもない新たな性別を与えられた。
性別、イナバ。
そんなものは世界中どこにもない。そもそも間違っている。
そう思うのにイナバは少し嬉しかった。
「ようせいさん……」
彼女はイナバを「彼」「彼女」と呼んだりはしない。「ウサギ」「あの白ウサギ」「白いの」と言われるのでイナバは名前で呼んでくれといつも言っていた。
大体イナバの事を話す相手は神原なので、彼も心得たように頷いて聞いてくれるがイナバは見逃さなかった。
由宇が「あの白いの」と呼んだ瞬間に彼が笑いをこらえきれず大きく肩を揺らしていたのを。
「ハッ! 耳はツインテですか! じゃあやっぱり『ばかばっか』って言った方がいいですね! 妖精だけに!」
「なに……言ってるの?」
「え、え? そんな冷たい目をしなくてもいいじゃないですか」
怪訝な目でイナバを見つめる由宇は「時々、訳分からない事言うわよね」と言ってきたのでイナバも「由宇お姉さんには負けます」と返した。
にっこりとした笑顔で電源を切られてしまったのだが、どうしてそんな目に遭うのか分からないイナバは画面の向こう側でスタンピングをする。
遮断されて暗くなった目の前の画面を見つめながら、いつものように負けじと電源を勝手に入れてスマホを起動させた。
映し出された画面は薄暗く、由宇のバッグの中だというのが分かる。
仕事に戻った彼女が戻るまでまだ時間があるので仕方なく他で暇潰ししようと思ったイナバは、神原の状況を確認して彼のところに遊びに行くことに決めた。
「ん? まぁ、いいか」
スマホから移動するイナバの耳に、どこかで聞いたことのあるような歌が聞えてきたのだがイナバは気にした様子もなく画面から消えた。
由宇に酷い事を言われたと神原に泣きついて、たくさん慰めてもらう為に。




