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選択肢が拗ねました  作者: esora
本編
46/206

45 別人

 イナバへの仕打ちがあまりにも悪かったのか、目を覚ませば一面真っ白だった。

 四方八方、見渡す限りの白い世界に目を細めながら私は溜息をつく。


「やっと本性出しました、って?」


 ひんやりとして冷たい床に頬をくっつけながら暫く目だけを動かしてここはどこなのか探ったが分からない。

 仕方がなく上体を起こせば、やはり床も空も全てが白い。

 気付けばパジャマではなく白いワンピースのようなものを身に着けていて、驚いた。


「……モモからもらったやつか」

 

 丈の長いワンピースの裾を摘んで自分では絶対に選ばない代物だと眉を寄せた。

 なつみや愛ちゃんが着たら似合うだろう。

 「由宇ならきっとコレ似合うよ!」

 そう言ってモモから笑顔で押し付けられたのがこのネグリジェだ。どうやら店で一目惚れしたらしいのだが着られずにしまってあったらしい。

 いらないものを押し付けただけか、と丁重にお断りしたがモモのお母さんまで参戦されてありがたく頂戴することになった。

 母さんにサイズを調整してもらってなつみにあげようと思っていたのに、どうして私が着ているのか。

 なつみは、私がモモから貰った物だと聞いて怒っていたけど、モモに聞いたらいいって言ったんだからしょうがない。

 私とネグリジェを見て馬鹿にするように笑った兄さんには、イナバに協力してもらって最近購入したばかりのギャルゲーのデータを100%にしてもらった。

 今から初めて攻略する娘たちが、既に誰かに攻略済みだったという恐怖と絶望を味わえばいいと思う。

 新品で買ったのに、データが既にあるという恐ろしさも上乗せだ。


「フフフフフフ」


 初めての出会いを大切にする兄さんの事だ。結果だけではなく過程も重要視する性格なので、データが既に揃っている事知ったらまた叫ぶんだろう。

 

「それにしたって、ここどこ? 夢の中にしては意識がはっきりしてるんだけど」


 ぼりぼり、と頭を掻きながら呟くが返事はない。

 遠くに見える水平線のお陰で、ここが異様に広い空間だというのは分かった。

 好き勝手できる夢の中なら空を飛べたり魔法が使えたり、想像しているものが実現できたりするんだろうかと試してみたが何もできなかった。

 格好良くポーズまで決めて魔法を発動させようとしたのが恥ずかしい。

 ここには他に誰もいなかったので良かった。


「へーんしん、とかってやるよねぇ。分かる分かる」

「うわあぁ!」


 誰しも一度はやってみたい事だから、何も変なことは無い。

 そう何度も言い聞かせて頷いていると、どこからか声が聞こえる。

 思わず叫び声を上げてしまったが、周囲はシンとして幻聴かと首を傾げた。 


「おかしいな……」


 確かに誰かの声がした。

 前にどこかで聞いたことのあるような声に誰だったかと考えていると、何かの気配を感じる。

 誰か他にいたのか、とホッとしながら顔を上げれば今まで何も無かった場所に人がいた。

 紺色のパーカーを着た人物はフードを被って俯いている。

 両手はポケットに入れられ、猫背なのか前屈みの姿勢でそこに立っていた。


「……うわ」


 誰なのかは想像がつく。

 けれど、こちらから近づくつもりはない。

 向こうもその場から動こうとはせずにただジッと床を見つめているだけのようだった。

 ゆっくりと顔を上げた人物は左手をポケットから出し、被っていたフードを脱ぐ。

 現われた顔に、やっぱりなと思いながら私は「どうも」と軽く右手を上げた。

 見えていないのか無視しているのか、何の反応もしない彼女は髪を後ろへ払い溜息をつく。

 やつれていた顔は少しふっくらとしており、ボサボサで伸び放題だった髪も整えられている。

 相変わらずその目に覇気は無いが、どこかすっきりとしたような表情をしていた。


「私は信じて縋るしかなかった。彼女だけが希望だった」

「……」

「おかしいとは思ってた。こんな私にあんな素敵な彼女が手を差し伸べるなんて、ドラマみたいじゃない? 良い子のマンガみたいで笑っちゃうじゃない」


 彼女は唐突に喋り始める。

 何のことかと問おうとしたが、大体分かってしまったの黙って彼女の話を聞くことにした。

 相槌もせず、一人語る彼女は両手を軽く上げると肩を竦め自嘲するように口を歪める。


「あんたと北原さんの事、羨ましかった。高校でも中学と似たような事になると思ってたのに」

「……」

「私と同じような状況なのに、驕らないのは何で? 欲望に負けないのはどうして?」

「性格が違うからじゃない?」


 十人十色。

 自分がそうだからと言って、他人も同じだとは限らない。

 だからこそ悪い例を目の当たりにしては、ああならないように気をつけようと思うのではないか。

 私は前世の記憶という不可解なモノを持ち合わせても、全く活用せず一市民として過ごしていたわけじゃない。

 自分が生き残る為に、思いつく限りの手段は取ってきた。

 ただ、周囲におかしいと思われないように言動に細心の注意を払うようにしてきただけだ。

 汚く狡い、嫌な女の面を隠して普通だと思わせているだけ。


「それに、同じような状況じゃないと思うんだけど」

「……貴方は神様のようになりたいとは思わなかったの?」

「思ってどうなるの? そんな面倒な事するより、平穏に暮らせれば良いわ」

「あはははは、そっか。面倒か……そうね、私とは違うわ」


 別人じゃないかと思えるくらい雰囲気が違う。

 警戒しつつ様子を窺っていると、彼女こと鍋田さんは足元の床を軽く蹴った。


「私は主役になりたかった。誰からも愛されるような主人公(ヒロイン)になりたかった。前世の記憶さえあれば、そんなの簡単だと思ってたのに実際は邪魔ばっかり。未来を先読みして助言しても、気持ち悪いって思われるだけでいい事なかったわ」


 そりゃそうだろう、と呆れたように溜息をつくが彼女には聞こえていないようだ。

 誰からも愛される人なんて夢のまた夢だろう。

 自分が美人だという自覚のあるモモですら、万人に好かれるなんて思っていないのに。


「うーん。それで上手く行くとでも?」

「思ってたわ。ストーリーっていうのは、大概がご都合主義でできてるものよ。私以上に愛される存在なんて必要ない。だから、北原さんは邪魔だった」

「でしょうね」


 非の打ち所がないように見えるモモと鍋田さんでは戦う前から結果が見えているようなものだ。

 可愛くて優しいなんてどう考えても悪役になんてできない。

 だから必死に噂を流したりしたんだろうが、もっと上手いやり方は無かったものか。

 勝てないと分かった時点で退くなりしていればこうなっていなかっただろうに。


「遠藤さんから相談された時、やっとチャンスが来たって思った。世界は私を輝かせる為にちゃんと考えてくれていたんだって」

「……はぁ」

「やだな、そんな顔しないでよ」


 思わず眉を寄せて顔を引き攣らせた私に彼女はくすくすと笑う。

 嫌味のない、恐ろしさも感じないその笑い声を聞いて気持ち悪くなった。

 彼女は本当に鍋田安江なんだろうか。


「彼女は私の全てを肯定し、哀れんでくれた。その時の安堵感って言ったら今でも思いだせるほどよ。そして同時に確信したわ。『あぁ、私じゃなくて彼女こそが主人公なんだなぁ』って」


 そして自分は主人公から、主人公を支える親友に立場を変化させたのか。

 確かに遠藤さんはモモには及ばないがそれなりに可愛い容姿をしていた。

 今も綺麗な顔立ちをしていて、何も言わずとも男が寄ってきそうな雰囲気ではある。

 彼女に従う男がいるからこそ今回のモモの事件が起きたんだろうが。 


「典型的な怪しい宗教入信パターンね」

「今思うとね。でもそれだけ私にとって遠藤さんの存在は神にも等しかったのよ。彼女は私が欲していたあらゆる物をくれたんだもの」


 心許せる友達、肯定してくれる理解者。

 そして自分が悪役だと思った人物に虐げられている被害者。


「一度は失敗したけど、次は失敗しないと思ってた。だって遠藤さん(ヒロイン)がちゃんといるんだもの。北原さん(悪役)は退場だって」

「モモが悪役じゃないのは分かっていたはずじゃないの?」

「最初はね。それでも馬鹿みたいに引き摺り下ろしてやろうとは思ってたけど。でも、遠藤さんに会って話していたら、いつの間にか北原さんが悪者なのは当然だって思ってた」


 鍋田さんは「ばっかみたいでしょ?」と呟いて大きく溜息をついた。

 きっとその言葉は自分に向けられたものなんだろう。


「へぇ。そこまで冷静に考えられるなんて、何があったの。恐ろしいくらいなんだけど」

「そうでもないよ。言ったでしょ? 私にとっては遠藤さんが世界の中心だった。彼女のオコボレに与ろうとしてたのは私だから」

「いや、だからって……」

「父さんに聞いた。遠藤さんが事件を起こした事。父さんは、あんたの弁護士に聞いたってさ」


 これは本当なんだろうか。

 戸田さんからそんな話は聞いてないけど、それとなくメールを送って聞いてみよう。

 ただの夢にしても、彼女と会話をするのが二度目なだけにモヤモヤしてしまう。

 イナバに聞いたところで大した答えは返ってきそうにもない。


「父さんが遠藤さんの事調べてくれた。最初は信じられなくて八つ当たりもたくさんしたけど、一人になると嫌でもその事考えちゃうのよ。段々と、そっちの方が辻褄合うなーって」

「それにしても、いきなりそう物分りがよくなられてもね」

「父さんとも、言いたいこと言い合った。前世の記憶がって言った途端また頭ごなしに否定されたから『だからこうなったんだ!』って言ったら次から前世の話を聞かせろとか言ってきて。後は、カウンセリングの先生の腕がいいのかもね」

「へぇ」

「先生の前だと素直になれる。恥ずかしい事も、頭がおかしいって思われるような事も何でも話せる。本当に、いい先生なんだ。優しくて、穏やかで、全てを受け止めてくれるようなそんな安心できる雰囲気でさ」


 それにしたって、彼女が事件を起こして専用の施設に行ってからそう日も経っていないはず。

 こんな短期間でここまで毒気が抜けたようになるのは、やっぱり別人だとしか思えない。

 だとしたら都合のいい夢を見ているだけか。

 彼女がこうして改心していい人になってくれたらいいな、という願望の表れ。


「あー信じてないね。ま、そうだよね。あんだけ発狂してた頭おかしい女がいきなりこんなにしおらしくなるなんてさ」

「うん」


 当然だと大きく頷く私に苦笑した鍋田さんは、周囲を見回して床を指差した。


「ココ、知ってる?」

「え?」

「この場所は、見渡す限り真っ白で何も無いんだ。私は施設に入ってから寝るたびにここの夢を見た。何も無い場所で、目の前で繰り広げられる劇を繰り返し見てるんだ」


 何を言ってるのか良く分からないけど、とにかく彼女が何か嫌なものを見てきたのだけは分かった。

 それにしても夢ならば好きに操作できるんじゃないのか。


「北原さんが転校してきてから、高校に入るまで。私がしてきた事を、何度も何度も見てきた。『やめて』って言っても消えないし、逃げ出そうとしても体が動かない。目を瞑る事も、耳を塞ぐ事も許されなかった」

「うわぁ」

「でしょ? 酷い嫌がらせだと思ったよ。眠るのが怖くなった。朝起きれば必ず吐くし。気持ち悪くて、吐くものなんて何も無いのに吐き気が止まらない。でもさ、おかしい事に何度も見てると慣れるんだよね。一定の限界超えるっていうの?」


 そんな事を尋ねられても知らない。

 だけど、彼女の立場になって彼女がこの場所で見てきたものを想像するとゾッとした。

 隠したい過去、やり直せない過去を何度も見せられるなんてどんな拷問だろう。


「私には適性があったのかもね。見てるうちに、昔の私は馬鹿だなぁとか思ってさ。今の私と昔の私を分けて考えられるようになってた。そんな事言っても吐き気は相変わらずだったから、薬の量は増えてくばかりだけどね」

「性格も随分変わりすぎて怖いんですけど」

「うん。先生や母さんにも、他の人にも言われた。別人みたいだって」

「実は別人なんじゃ……」

「かもね。前世のくだらない記憶とそれに固執してた私は死んだのかも。いや、殺した……かな」


 笑いながら告げた彼女だがその内容はあまり笑えない。

 自分で自分を殺すとはまた奇怪な、と私が思っていると鍋田さんは難しい顔をして唸り始める。

 どうやら自分で言っておきながらその表現が気に入らなかったようだ。


「昔の私は今の私に文句ばかり言ってた。私も『お前のせいでこうなったんだ』って言い返したよ。んでもって、取っ組み合いの喧嘩から、この場所での殺し合いに発展。知ってる? 想像すればそれがココでは力になるんだ」

「夢だから?」

「ま、そうだね。とにかく、私はここで昔の私と血みどろの殺し合いを何度も続けたんだ」


 その時の感覚を思い出しているのか鍋田さんは自分の右掌を見つめる。

 夢の中で、過去の自分との対立とはまた想像力が掻き立てられるが遠慮したいものだ。

 例えそれが夢や幻でしかなかったとしても。


「殺しても殺されても、目を覚ませばちゃんと生きてるし、寝れば昔の私(あいつ)も蘇ってる」

「でも殺したんでしょ?」

「うーん。どうなんだろ。途中で嫌になってさ、昔の私(あいつ)の好きなようにさせてた。そしたら昔の私(あいつ)も飽きたみたいで『つまんない』とか言うんだよ。人の事滅多刺しにしといて、そりゃないでしょって思うよね」

「いや、経験ないんで」


 あははは、と笑う鍋田さんに同意はできない。

 でも、彼女は気にした様子もなく「そっか」と呟いて目を細めた。

 他人に殺された事ならいくらでもあるけれど、自分が相手なんて経験したことが無い。


「それでさ、泣くんだよ昔の私(あいつ)。『どうしてもっと早く、解らなかったの?』ってさ。多分、どっかでずっと私が思ってた事なんだろうけど……って言うのは、先生が言ってたんだけどね」

「……」

「それから、夢を見てもこの場所に来る事は無くなった。昔の私(あいつ)に会う事もなくなった」

「寂しいの?」

「まさか。今更遅いけど、やっと自分を取り戻せたような気がしてすっきりしてるんだ。あんたには色々悪いと思ってるけど」

「それはもういいわ。示談が済んでるもの」


 今更その話を蒸し返して怒ったところで過去は変えられない。

 ループでもしない限り。

 それでも、今回と同じルートを辿ればきっと避けては通れない出来事なのかもしれない。

 弁護士を通して決着したのだから、終わった事だと付け足すように言えば鍋田さんは呆れたような顔をして私を見る。


「あんたって、ドライだよね。クールって言うよりは諦めてるとこがあるっていうか」

「だって謝罪されたところで、モモが受けた心の傷や仕打ちは変わらないじゃない。変わるならいくらでも謝罪してもらうけど」

「……うん」


 それっきり鍋田さんは何も言わなかった。

 下手に何かを言って私の感情を逆撫でするかもしれないと案じているのかもしれない。

 私としては怒りよりも目の前に居る人物が本当に鍋田さんなのかという疑問の方が大きかった。


「遠藤さんのせいにはしないのね」

「どっかで上手く利用されてるって気付いてたし。それを知った上で私がやった事には変わりないもの」

「へー。そこまで考えられるようになったんだ」

「あんたが言ったとおり、どれだけ悔やんでも過去は変えられないんだ」


 ループしてる私は随分と変えたりしてますけどね。

 できるだけ、他人に迷惑がかかるような行為はしてきてないと……思う。

 彼女の話を聞きながら不安になった私は、思わず視線を彷徨わせて今までの記憶を手繰り寄せた。

 忘れているだけで、あったかもしれない。けれど、被害にあったとしてもそれは家族くらいだろう。

 いや、家族だからと言って被害に遭わせていいとは思っていない。

 心の中で一人呟きながら誰にでもなく言い訳を始める私を他所に、鍋田さんは何かを思い出したかのような表情をして小さく笑った。



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