03 友達
艶やかな髪は緩やかに波打ち、爪は綺麗に揃えられ淡い桃色に染められている。白い花柄の模様が可愛らしくて見つめていればそれに気づいたモモがにっこりと笑った。
「これ可愛いでしょ? 私もお気に入りなんだぁ」
「睫も前より長くなった? あと、髪色もワントーン明るくなったよね」
「そうなの! んもう、気づいてくれるの由宇くらいだよ」
ぷるんとした唇を尖らせてモモこと北原百香は眉を寄せる。
頭の天辺から爪先まで”可愛い”がぎっしり詰まったような見た目の彼女と、私が親友なのは未だに驚かれる事が多い。
お嬢様と侍女のような雰囲気だけに、本当に仲が良いのかと疑ってくる人がほとんどだからだ。
私と彼女とでは釣り合いがとれていないのは自覚している。
けれど、正真正銘私とモモは親友だ。
今日もメルヘンチックな淡い色使いの服に身を包んだ彼女が読書をしているが、その読んでいる本はどうかと思う。
だから見た目で引き寄せられて友達になろうとする人たちは、次々と脱落していくから勿体無い。
もっとそういう所を気をつければいいのに、直す気にはならないと言う。
「もう、入院したって聞いたときにはびっくりしたけどさ。元気になってホント良かった」
「ごめん。携帯の電源入れた途端に大量のメールで放り投げそうになったけど」
「そんなに大量でもないじゃん」
「うるさい」
確かに何十通というわけじゃなかったけど、私にとってはそれでも大量だ。
病院内の携帯使用可能エリアでメールチェックをした時の事を思い出して溜息をつけば、酷い言葉。
極力見舞いは控えて欲しいと母親に言ってたお陰もあって、心穏やかに過ごせはしたけど。
はるかちゃんとも仲良くなったし。
「あ、でもお見舞いありがとう。美味かったわあの饅頭」
「でしょ? あの餡子がいいのよ」
「……サトルの誕生日ついでに買ってきてくれてありがとう」
「やっだ、バレた?」
「バレバレですね」
判ってしまうとは悲しいかな。
全く悪びれていないモモをじっと見つめていると、誌面を眺めていた彼女が顔を上げてペロッと舌を出した。
いや、そんな事をしても見慣れている私に通用しないのは知ってるはずだ。
しかし本当に趣味さえまともだったら、モテモテの輝かしい大学生活を送っていただろうにどうしてこうなったんだろう。高校の時もモテたわりには片っ端から振ってたしなぁ。
今でも高校の伝説として語り継がれるくらいの存在だというのに、当人はどうでもいいらしい。
「んでも、美味しかったから別にいいけど」
「そうなの。私あの店探すの、苦労したんだから」
「その情熱に頭が下がるわ」
「ふふふふ。だって、サトルの為だもーん」
読んでいた雑誌を閉じたモモは頬を両手で包み込むようにしながら、くねくねと体をくねらせる。
眉を顰めてしまいそうな、甘く高い声も作られているものだと知ってるから何とも思わない。
少し離れた場所にいる女子がイラついた目でこっちを見ていた。
うん、気持ちは分かる。
「公共の場でも堂々としてるモモが時々羨ましいわ」
「なんで? TPO弁えればいいだけの話でしょ?」
「ギャップが酷過ぎるって話よ」
「わぁ、ギャップ萌え? 私も好きー。ギャップって言ったらタカシよねー」
「私はレナード」
おっといけない、つい相手のペースに飲まれてしまった。
日陰でひっそりと生きてゆく事にしていたのに、モモと話してるとうっかりしてしまうので困る。
今は普通の子たちも手軽に携帯とかでゲームしてるから大した問題じゃないと思うけど、用心するに越したことは無い。
家ならまだしも、ここは学食なんだから静かにしてないと。
あそこでこっちを見ながらコソコソ話されてるのはきっと気のせいだ。
「レナード! そうだ、彼もいたねぇ」
「タカシはどっちかって言うと残念なイケメンじゃない」
「えー。ギャップだと思うんだけどなぁ」
確かにギャップと言えばギャップだ。何でも完璧にこなしそうな王子様ルックの人物の中身が、非常に残念だというのは。
しかし、それならやっぱり残念なイケメンという方がぴったり来るだろう。
モモはくるくると髪を指に巻きつけて、綺麗に手入れされている自分の爪を見つめていた。
「美知もユッコも最初は毛嫌いしてたくらいなのに、今は課金するくらいゲームにはまっててさ。最近遊んでくれないからつまらないんだよねぇ」
「え?」
基本、女性向け恋愛シミュレーションゲームしかしないモモが不機嫌そうに眉を寄せた。
そんな事よりも私は彼女の言葉に驚く。
美知もユッコの二人は、大学に入ってからできた友達だがゲームにはあまり興味の無い子たちだった。
だからなのか偶に暴走するモモをとても冷めた目で見ていた。
そんな二人が課金するほどはまっているなんて、私が入院している間に一体何があったんだろう。
「ほら、最初は無課金当然って話してたじゃん。それなのに、今は平気で課金してるのよ。まったく、無課金縛りだって言ってたのに」
「え? え?」
「何、忘れたの? ほら、私が途中で飽きたやつ」
「あぁ、あの逃避中の王子様に巻き込まれて……ってやつね」
無課金でも話は最後まで読めるけれど、特別シナリオやスチルとかを見る為には課金しないと無理なシステムになっている。
私はスマホゲームにまで手は出してないけど、モモは一時期すごく注ぎ込んでいた。
流石にやり過ぎだろうと一緒に冷ややかな目で見てたというのに何故あの二人まで。
なんだかここでも記憶にズレがあるみたいだけど、一体どこまでこういうのが続くんだろう。
病み上がりという言い訳ができるから食い違いがあっても何とかなるとは思うけど、こんな事ばっかり続いたら精神病みそうだわ。
いや、もう軽く病んでる?
「ねぇ、モモ。もしも、ゲームの世界に入り込めるんだとしたら何がいい?」
「えー? うーん、そうだなぁ。やっぱり『ちょこっとスイーツ』かな」
「うわぁ……あの、可愛らしい題名に反してヤンデレばかり登場するやつ?」
「うん。大好き! サトルもいるし!」
趣味がわからない。いや、前からモモはそうだったか。
王道も好きなはずなのに変わったものを好む傾向が多い。『ちょこっとスイーツ』なんて発売されたのは五年ほど前だが飽きっぽいモモにしては珍しく不動の一位だ。
選択肢でルートが変わり、エンディングも変わるという気軽にできるゲームだが内容がとにかく濃い。
シナリオがいい、という意味じゃなくて違う意味で濃い。
バッドエンド、ノーマルエンドは主人公であるヒロインが想い人である攻略対象に殺されて終わる。
そしてベストエンドでは攻略対象と心中するのだ。
どのエンディングでも生き残る事はない、ある意味徹底していて潔いゲームだ。
唯一生き残れるエンディングもあるのだがあれは全ての攻略対象とフラグを立てないように行動しなければならない。
しかも、全ての攻略対象のエンディング後でなければ生存への道が開かれないという鬼畜さ。
一体誰が得するのだろうと思ってしまうが、攻略対象はともかくストーリーがしっかりしていて面白いので私も大事に持っている。
「私は、サバイバルモードが好きだわ」
「あぁ生存ルートね。あれは違う意味でドキドキしちゃうよね。ついフラフラしちゃってフラグ立てちゃうけど」
乙女ゲームをして、攻略対象とキャッキャウフフしていたはずなのに気づけば生き残る事が目的になっていたという内容が好きだ。
おかしいとか、変だと攻略対象との生存エンドではない事に批判の数が凄かったらしいが。
文句を言いそうなモモも、妙な緊張感と多数あるトラップの数々に悔しがりながらもはまっていた。
誰かと恋に落ちて心中エンドを迎えるよりも、フラグが立ちそうで立たないそのスリルがいいと言っていたが正にその通りだ。
あのゲームをしていると一体私は何をやっているんだろう、とふと我に返るときがある。
胸キュンを求めて買ったはずなのに気づけば息を潜め主人公が生き残る事を必死に祈っている始末。
思い出していたらまたやりたくなってきた。
「今では手に入りにくくて、オークションとかで高値で取引されてるんだって」
「マジで? うわ、私売らなくて良かったぁ」
「え? お気に入りのソフトじゃなかったの?」
「ほら、私飽きっぽいところがあるから。部屋の掃除してた時に、売らないとなぁって別にしてた時があったのよ」
あの頃は酷評されていた物が今ではプレミア価格のつく物になるとは想像もできなかった。
リメイクや移植を望む声も多くあるようだが、メーカー側はこの先もずっとその可能性は無いと答えている。
プレイしたくてもプレイできない人達の為に有志が上げたプレイ動画があるだけいいだろう。
「で、モモはそんなゲームの世界が良いわけだ」
「うん。退屈しなさそうじゃない?」
確かに退屈はしないだろうけど、そんな世界じゃ気も休まらない。
それが良いと言うのだから相変わらずモモの趣味が分からなかった。
ゲームの内容も、結末がどうなるかもやり込んでいて知っているはずなのに、あえてそのゲームを選ぶその気持ちも分からない。
現状に不満があって、強すぎる刺激を望んでいるのか“もしも”の話だからそう重要に考えていないのか。
どちらかと言うと後者だろう。
「それが現実になっても?」
「うん。楽しそう」
「地雷原なのに?」
「小悪魔ちゃんしながらその隙間を縫うように颯爽と歩いていくのがいいんじゃない」
にっこりと微笑むその顔は正に小悪魔。
分かっていてやっているのだから恐ろしいが、それをやってのけると言うのだから更に恐ろしい。
モモが本当に三次元でそれを実践していなくて良かったと思う。そんな事してたら、お友達になんてなりたくない。絶対にとばっちりを食らうのはこっちだと想像できるじゃないか。
現実での死亡フラグなんてごめんだ。とばっちりを食らって厄介事に巻き込まれるのも丁重にお断りさせていただきたい。
「由宇は何? どのゲームがいいの?」
「うーん『キュンキュン☆シュガー』とか?」
「……は? そんなゲームあったっけ? 機種何? どこのメーカー?」
はい、アウトー!
薄々そんな気はしていたけどやっぱりか。やっぱりなのか。
ネットでいくら検索をかけてもヒットしなかったように、モモも不思議そうな顔をして私に尋ねてくる。これで、確定か。
もう何がどうなってるんだろう。
自分を落ち着かせるように水を飲み干して一息つくと、俯いて後頭部を軽く叩いた。
どこからおかしくなった? どこでおかしいと気づいた?
おかしいのは私か、それとも世界か。
後者は有り得ないだろうからやはり私がおかしいのか。
「あ、何かと混ざって勘違いしたのかも」
「……大丈夫? まだ本調子じゃないんじゃない?」
「かもしれない」
「そんな時こそ、ちょこっスをオススメするわ!」
「二度と目覚めないわ」
『ちょこっとスイーツ』略してちょこっス。それをメーカーの回し者のように進めてくるモモが悪魔に見える。
可愛らしい服装と相まって、小悪魔ロリータじゃないですか。
ああいうのは二次元だからこそいいのだ。現実にあってたまるか。
画面越しで被害に遭うのは可哀想だが主人公。それでもそれぞれのルートで微妙に性格が変わる彼女は色々な顔を見せてくれて楽しい。
どのルートでも死亡してしまう主人公はバッド以外軽く病んでしまって攻略対象との死を受け入れるのだから、あれはあれで幸せなんだと思う。
私には理解できないけど。
でもいつか、私もそんな風に思える相手と出会えるんだろうか。それは、いい事なのか?
「えー、いい刺激じゃない」
「刺激が強すぎるってば」
ただでさえ素晴らしく理解しがたい状況に置かれているというのに、これ以上の刺激は不要だ。
軽く周囲を見回して、視界がぶれない事にホッとしながら目の前のモモを見つめる。
モモはちゃんと私の記憶に存在していた。
女三人で暮らしていた時も、兄さんが加わってからの記憶でも。
嬉しくてホッとする半面、兄さんの存在が余計に不思議なものに思える。
次の授業を受けると席を立ったモモを見送った私は、脱力したように両肩を落とした。
三時限目の授業が教授の都合で休講になってしまったので、四時限目まで時間がある。この時間を利用して考今の状況を良く考えてみよう。
人がまばらになってゆく食堂を軽く見回し、私はリュックの中から雑誌を取り出した。よし、これを眺めていれば変な人には見えないはず。
「あ、この靴可愛い」
後で読み返せるようにページの端を折り曲げて私は溜息をついた。
この世界は現実だ。私が生まれ、育った世界に違いない。
しかし、私の中には二つの……正確に言えば三つの記憶がある。その内一つは非常に薄くて朧気だけど、残り二つはそれなりに鮮明だ。
その内の一つの記憶に兄の姿は無い。
つまり、兄がいない記憶といる場合の記憶の二通りが私の中にはあるのだ。よく混乱しないものだと私は自分を褒めたい。
今は兄がいる家族構成なのだから、なつみとの二人姉妹だった記憶は忘れてしまっても問題ないのだろう。
女三人家族だった頃の思い出は次第に薄れ、今一番上にきているのは四人家族だった時の思い出だ。長男であり長子である兄が父親の代わりを務めようと頑張っていたことや、初めてもらった給料で私たちにプレゼントをしてくれた事も思い出す。
どっちが嘘で、どっちが本当なんて事はないはずだ。きっと、どっちも本当。
だから強制的に消すとか、忘れる事はしなくていいと思う。
私が混乱しない限りは平気だと思うし、その思い出が心地よくて無くしたくないと思ってしまったから。
「はぁ」
一番厄介なのはその記憶ではない。
兄がいる場合といない場合の二通りの記憶がある時点で大変だが、それに追加してどうやら前世と呼ばれるような記憶が私にはあるらしい。
そして、最悪な事にその記憶によるとこの世界はゲームの世界だというのだ。