38 第三者
「沢井君には話した?」
「いいえ。変だなって勘付いてるみたいですけど、あえて聞かないでくれてます。おかしい行動取ったりする僕とよく友達やってくれてると思いますよ。そう設定されてるからかもしれませんけどね」
「設定にしろ、見捨てないでいてくれるだけありがたいわよ。私も今回の事で、友達って大事だなって良く思ったわ」
「相手によっても、その関係性によっても変わりますよね。対等に見えて違うとか」
「片方は友達とすら思ってない場合とかね」
一人なら一人で、巻き込むのも家族くらいになっていただろうから最低限で済んだのかもしれない。
大切な友人たちを私の事情に巻き込むなんて絶対に嫌だ、というのはどうやら神原君も同じようで「困ったね」と二人笑い合いながら呟いた。
「羽藤さんは、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないけど、大丈夫。でも、もしまたループしたらごめんね」
「いや、それは僕もそうなんですけど」
「私はいいよ。慣れてるから」
あっけらかん、と告げてから死という終わりの無い恐怖に慣れた自分の異常性に笑ってしまう。
繰り返される日常に些細な変化が生じたから、そこから何か掴めるんじゃないかと期待したけど何も無い。
逆に、余計な事件が次から次へと起こって今までに無いくらい忙しい生活を送る破目になっている。
「駄目ですよ。僕が……こんな事言う資格なんてないですけど、慣れちゃ駄目なんです」
「……神原君」
そんな事、言われずとも分かっているつもりだが、もう楽にしてくれと叫ぶ自分がいるのも本当だ。
私がフラグを回避してから何かが変わると思っていた。それが、良い物と決まったわけではないのにそう信じて疑いもしなかった自分が情けない。
そのせいでモモがあんな目に遭ったのだとしたら、回避なんてしなければ良かった。
巻き込みたくないと思っているのに、自分のせいで巻き込んでしまっている現状。
私のせいだとはまだ決まっていないがそう思うのが自然だろう。
「そう、だね。慣れちゃ駄目か」
「そうです。駄目です」
あんなに会って色々話したかった気持ちが今では萎んでしまっている。
どんな顔をして話せばいいのか、自分の状況を洗いざらい吐いて許しを請おうかなんて考えてしまうくらいだ。
いっそ、こちらから絶縁を言い渡せば巻き込まれる心配はなくなるかもしれない。
同じように前世の記憶を持って今は男子高校生をやっている神原君は、歳よりも落ち着いているように見えた。
私よりも焦ったり不安がっていてくれれば、少しは落ち着けたかもしれないのにと酷いことを思う自分に苦笑する。
もしかして彼の前世での歳は私より上だったのかもしれない。
「でも、神原君は何をしてもループするかもしれないけど、私はもしかしたらそこから外れるかもしれない」
「え?」
「前の状況から随分と変わっている事だらけで、嬉しい反面すごく怖いの」
今まで何をしてもろくに変化がなかった周囲の状況が、まるで新しいルートでも見つけたかのように変わっていく。
気のせいかもしれない、私が忘れているだけで今までこんな事があったのかもしれない。
そのまま全て忘れてしまって死んだら、やっと終われるのだろうか。
それは辛くて悔しくて痛いから嫌だけれど、ループから抜け出せる唯一の方法だとしたら手を伸ばしたくなる。
自分勝手で周囲の事を考えていないと批判されようが、早くこの苦しみから逃れたい。
「駄目ですよ。羽藤さん、駄目です。僕を一人にしないでください」
「神原君……」
「僕は羽藤さんがいるから頑張れるんです。そりゃ、相棒ができて心強くはなりましたけど、でも僕が何もかも曝け出せて安心できる相手は貴方しかいないんですよ?」
「そんな、家族とか……いるじゃない」
「家族にこんな事話せるわけがないじゃないですかっ!」
搾り出すように告げられた言葉はいつの日か私が呟いた言葉と同じだ。
皆は普通に毎日を繰り返しているのに、自分だけが異質で頭が変になりそうだった。いや、実際変になったんじゃないかと思った。
だから何度も私は檻のついた病院に入っていたんでしょう?
そう自分に問いかけて私はこんなどうしようもない女をじっと見つめてくる神原君を見る。
一見すると優しくて頼りなく見えるが、その目は吸い込まれる程に眩く強い。
病院で再会した時の様な濁った目をした人物と同じであるということが信じられないほど、彼はこの短期間で随分と逞しくなったような気がする。
「そうだね。頭がおかしいって心配されて、病院行きになっちゃうよ。あはは」
「羽藤さん」
「頑張るってさっきは言ったけど、正直何をどうしていいのか分からない事だらけで」
年下の男の子に心配され、気を遣われて励まされている。
お姉ちゃんぶって頑張ってきたけどやっぱりどこかで限界だったんだろうと思う。
誰にも何も相談できなくて、神原君とのメールのやり取りで自分だけじゃないからと奮い立たせる。
でも、私に何ができる?
主人公でもなんでもない、何の特技も持たないそんじょそこらの女子大生に。
「情けないのは分かってるけど、私は立ち向かっていくようなヒロインでもなければ、守られるようなヒロインでもない。路傍の石みたいなもんよ」
「……そんな、だって」
「なつみの姉ってだけ。私がいる事で余計に被害を拡大させてるような気がしてさ、最近ちょっと気持ちが不安定なのよね」
だったらいっその事、家に引きこもっているかとも思うけれどそこで迎えるだろう結末を考えるとそれもできない。
自棄になってループしてやると思いながら、どこかで頑張っている神原君がいるかと思うと彼に迷惑をかけるような真似はできなかった。
年上だから、大人だから。
本当はブチ切れて喚きたいけど、そうした所でどうにもならないのは知っている。
いくら騒いでも世界は何も答えてくれないのだ。
「どうすればいいんだろうね。手っ取り早く誰かとくっついても、バッドエンドなのは私が主人公じゃないからなんだろうけど」
「そんな事してたんですか?」
「するわよ。ループを脱却する為に、考えられる手は取った。抜け出せるなら、何だって良いって必死になったもんよ」
ガリガリ、とグラスに残った氷を歯で砕いて私は大きく溜息をついた。
神原君の戸惑った気配を察しながら気付かないふりをして笑う。
「神原君さ、勘違いしてるみたいだから先に言っておくね」
「何ですか?」
「私、君が思うような頼れる年上の女の人じゃないよ。なつみはあの性格のまま可愛い子だけど、私は汚いよ」
「……そんな風に、正直に言う羽藤さんを僕は嫌いになれません。それに、貴方はいい人だと思います。羽藤さんが自分をどう思おうと、僕はそう思うから……だから、僕は僕の考えを信じます」
「それが命取りになっても?」
「その時はまた頑張りますよ」
躊躇う様子もなくすぐに返ってきた言葉に思わず私は笑ってしまう。
果ての無いループを経験しているのはお前だけだと思うな、とでも言わんばかりの強い視線を受け止めて砕いた氷を飲み込んだ。
「頑張っても、報われない事だらけなんだけどね」
「それを言ったらおしまいですよ」
何の気なしにテーブルの隅へと寄せられていたメニューを手にとって眺める。
別に何かを注文する気などなかったが、私が視界を防ぐように大きなメニューで顔を隠したと同時にテーブルに伏せられていたスマホが震える。
「神原君、歌って」
「へ?」
「さぁ、どうぞ!」
テレビやラジオでよく耳にするアイドルグループの曲を入れていた私はマイクを彼に渡して大きく頷いた。
戸惑った様子でそれを受け取った彼は不思議そうな顔をしながら流れてくる前奏にリズムを取り始める。
メニューで顔を隠しながら目を瞑った私はゆっくりと息を吐いて、手にしたスマホを操作した。
開いたメール画面には予想通りの文字が書かれており、思わず笑ってしまう。
「中途半端に介入とか、操作とか。一番腹立つんですけど」
ノリ良く歌い始める神原君の声を聞きながら私はその気配が部屋の前を通過しただろう後も、メニューを眺めている振りをしながら様子を窺っていた。
手の中で震えたスマホに目を落とし操作すればそこには予想外の事が書かれていて、恐怖を感じるどころか笑えてしまう。
「神原君、ありがとう」
「いえ、大丈夫ですか?」
「うん。察しがいいねぇ」
「なんとなく、ですけど」
一緒に過ごした時間は短いというのに何も言わずとも大体の事を察してくれるありがたさ。
このまま真っ直ぐに育てばきっといい男になるだろうなぁ、なんて思いながら歌い終えた神原君に私は自分のスマホを見せた。
片手で持っていたメニューを再びテーブルの隅に追いやって、食い入るように画面を見つめる神原君を見つめる。
「羽藤さん、これって……」
「回避と接触成功ってことなのかな?」
「ちょっと待ってください」
私のスマホを見つめながらなにやら難しい顔をする神原君は、時折目を伏せたり眉を寄せたりしていたが溜息を一つ吐くとスマホから私に視線を移す。
「何か受信しちゃった?」
「あの、相棒と……なんですが。今まで回避成功してきましたし、危機を報せてくれた存在ですから暫くはその通りに従うのが一番だって」
「……テレパシーなの?」
はたから見たら完全に怪しい人だ。
テレパシーとはどんな世界だと思わず突っ込みそうになりながら、私は自分の両手を見つめる。
もしかして私にも秘められた力が、と想像して鼻で笑った。
「あ、はい。そのお陰で遠くにいてもやり取りができるので助かってます。でも、相棒としかできませんけどね」
ループした者だけが使える特殊能力とかあればいいのに、と呟いて眉を下げた神原君の携帯がブルブルと震える。フリップ式の携帯を開いた彼の表情がすぐに引き攣ったのを見て、私は苦笑してしまった。
視線だけをこちらに向けて何も言わない彼に首を傾げると、小さく頷かれる。
神原君が見せてくれた携帯画面を見て私は大声で笑ってしまった。困ったような顔をする神原君も溜息をついて私を見る。
「羽藤さんには羽藤さんから、僕には僕から。面白いメールですね。どうやって操作してるんだろう」
「ウイルスに感染した形跡もないのにね。でも、これでこの存在は私たちの行動を把握してる証拠にはなるわよね」
「そうですね。それで、さっきの人は?」
「あ、気付いた?」
「感覚的に。何か、ちょっと嫌な気がしたというか」
それもループのせいで身についたものだとしたらあまり嬉しくは無いだろう。
私は隠していてもしょうがないので簡単に説明をする。
高校時代に、モモに執拗に迫っていた嫌な男だと。
そしてその人物に病院で会った事も話した。
あのまま接触していれば私は彼によって殺されていたらしいと笑えば、神原君の顔色が変わる。
無事に回避できたから大丈夫だと言えば、困ったような顔をされた。
「アレもどっちかって言うと、本人じゃなくて周囲から攻めてくタイプだから必死に逃げたわ」
「助かって良かったです」
「というか、どっちにしろこの先対決しなきゃいけないんだろうけど」
「そんなに手強いんですか?」
「高校時代に告白して玉砕してからは大人しくしてたと思ったんだけどね。私が一緒にいるから悪影響を与えてるって待ち伏せされた上に詰め寄られたのはトラウマだわ」
いきなりこの男は何を言い出すんだという思いと、恐怖を感じるような威圧感があったのを思い出す。
今思えば、あの目は狂気の目だったのかもしれない。
「実害なかったんですか?」
「その時はね。でも、地味な嫌がらせというか忠告はされてたかな。『君は彼女に相応しくない。近づくな』ってさ。モモに話したら激昂して殴りこみに行ってたけど」
「北原さんって、見かけによらずアクティブなんですね」
「うん。凄いよ。喧嘩しても退かないから、危ないんだけどね」
だから今回のような事になってしまうのだろう。
それを思うとやはりこのまま離れた方が、何かあった時に彼女を巻き込まなくて済むのかもしれないと思う。
美智やユッコだってそうだ。
私と一緒にいれば、こちらの嫌な状況に巻き込んでしまうかもしれない。
「でも、メールで回避を知らせてくるって事はやっぱりそうなんでしょうね」
「困るわぁ。せっかく落ち着いたかと思ってたのに。戦闘力低い上に体力だって高くないんですけど」
「攻略法も教えてもらいたいですよね」
「そう! 正にそれ! ちょっと、聞えてるならいい案ちょうだいよ!!」
胡散臭いと思いながらもその通りにすればフラグは回避できてしまう。
それすらも誰かの掌の上なのかもしれないが、今のところ他に道が見出せないからしょうがない。
だったら危機回避を知らせるだけではなく、神原君が言ったように攻略法だって判るんじゃないかと私は思わず声を荒げてしまった。
さっきまで落ち込んでいたのが嘘のようだ。
「あ、メール来ました。今回の差出人は羽藤さんになってますね」
「何て?」
「えーっと『回避成功しましたので、今後は接触する事はないでしょう』だそうです」
「で、何で私にじゃなくて神原君に来るわけ?」
相手間違ってるんじゃない、と愚痴っていればスマホが震える。
受信したメールには『あなた方が私の存在を信じてくれたのが嬉しくて、はしゃいでしまいました』と薄気味悪い文章が書かれていた。
無言でそれを神原君に見せると、彼はプッと笑って「可愛いところもあるみたいですね」なんて余裕で言ってくれる。
その余裕を羨ましく思いながら私は壁にかけられた受話器を取って、たこ焼きを注文した。




