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選択肢が拗ねました  作者: esora
本編
32/206

31 腹いせ

 病院から出られなかったあの時を、これほど感謝した事はないと思う。

 褒められたことでは無いけれど無駄に探検した価値はあった。

 そう思いながら静かに呼吸を整え壁にぴったりと張り付き、周囲の気配を探る。

 視界の隅に映った人影に震えそうになったのは一瞬だけ。


「見つかったら、ゲームオーバーなんて勘弁してほしいわ」


 何度もそんな目に遭ってはいるが、言わずにはいられなかった。

 こんな恐怖感、大したこと無いと言い聞かせ己を奮い立たせる。 

 ゆっくりと息を吐いて、周囲を見回し何度も現在地と逃走経路を確認した。


「ん? 時間経過で消える……?」


 先程から届くメールの内容を信じていないわけではないが、胡散臭いと感じるのも事実。

 しかし、今はこれに縋るしかないのだろう。

 何かを探すようにしているその人物を気付かれぬように観察し続けながら、溜息をついた。

 胡散臭いと分かっているのに従うのは、ただの勘だ。

 これはきっと無駄に繰り返したループのお陰だろうが、そう思うと何とも言えぬ気持ちになった。

 こんな冷や汗と脂汗が出て心臓の音がうるさく聞えるほどの緊張感なんて味わいたくない。


「……はぁ」


 しっかりと握り締めた携帯が青色に点滅する。振動をオフにしてサイレントモードにしたのは正解だったらしい。

 そしてスマホは握るものではないと改めて思った。

 震えそうになる手で画面を操作した私は受信したメールを読んでその場に座り込む。


「本当でしょうね」


 書かれている文章を何度も繰り返し読んで周囲の気配を探る。

 見える範囲に目的の人物の姿は無いが、油断はできない。

 確認するために電話をかけてみると、留守番電話に繋がってしまい通話を切った。


「繋がらない。そもそもなんであいつがここに? しかも即死効果持ちで近づいてくるとか」


 両手で落とさないようにしっかりと持っているが、その手が小刻みに震えてしまっている。ポケットに入れようにも震えている手のせいで上手く入らない。

 結局、ストラップに指を通して握り締めながら抱えた膝に額をつけるような格好をして溜息をついた。


「世界が私を消す為に差し向けたなら、さっさとこの状況(ループ)をどうにかしろって話よ」


 もしそうだとしても、それならそうで何でこんな馬鹿な事をするんだろうと思ってしまう。

 私を一人消したところで何が変わるというのか。

 死んでもどうせまた、この病院から始まるだろうに。


「寿命が縮む……」


 目を瞑ってゆっくりと深呼吸を繰り返しながら気持ちを落ち着かせる。

 ピリピリとした雰囲気はどこか懐かしく、それを懐かしいと思えてしまう自分に思わず苦笑してしまった。


「あー、尾本さん忘れてた」


 緊急事態だったからしょうがないにしても、今から戻らなくては心配しているだろう。

 とりあえず危機は去ったので大丈夫なはずだが警戒は忘れない。

 震えがおさまった手を見つめて立ち上がった私は、大きく伸びをして来た道を戻り始めた。

 今日一日だけで色々な情報が絡み合い、頭の中がぐちゃぐちゃになってしまっている。

 歩きスマホは危ないのでやってはいけないのは知ってるが、神原君に向けたメールを作成しながら私は休憩所へと無事に戻った。

 やはり心配して探していたらしい尾本さんに、お腹の調子が悪くてと言い訳をしながら謝罪する。

 私の姿を見て安心したように笑顔を浮かべたこの人に嘘をつくのは心が痛いが、正直に話したところでどうにかなるとは思えない。

 私が尾本さんだったら、「この子頭がおかしい」と思う。

 だから何も言わずに私は食べ過ぎたのかもしれないと笑って苦笑する尾本さんの顔色を窺った。

 見たところ不審には思っていないようだが、相手は刑事だ。油断はできない。

 例え変に思われたとしても気付かない振りして流してくれそうだけれど。


「お仕事大丈夫だったんですか?」

「ああ。ちょっと、ね」

「お忙しいなら兄に頼みますから大丈夫ですよ?」

「いやいや、それは問題ないから心配しなくていいよ」


 緊急の呼び出しじゃなかったのかと首を傾げる私に尾本さんは駐車場に行こうかと促す。

 くたびれた背中を見ながら、ふと父親もこんな感じなんだろうかと思ってしまった。


「塩谷がね」

「何かあったんですか?」

「署に来て、不当な辞令だと暴れたらしい。彼は私の事が大嫌いだからね、用事が終わったら直帰しろって上司から言われちゃったよ」

「え!」

「あぁ、心配しなくとも大丈夫だよ。君の所に殴りこみに来るような馬鹿な真似は彼もしないだろうから」


 どうしてそう断言できるのかと不思議に思ったが、考えてみると何となく分かった様な気がした。

 左遷させるほどの力をただの小娘である私が持っているとは思えない。ならば考えられるのはその背後の何か。

 自分の嫌う若造に言い負かされた挙句に醜態を晒し、大事な後ろ盾からも匙を投げられたあの人物が私に危害を加えるなんて馬鹿なことはしないだろう。

 そんな事してしまったら、それこそ居場所がなくなるかもしれない。

 いや、かもしれないではなく、そうなのか。

 

「まぁ、腹いせには来たみたいだけどね」

「え?」

「それも、家に着いてからご家族も交えてゆっくりと説明するよ」

「はぁ」


 塩谷、という言葉を一日でこんなに聞くことも無いだろうが前より不快感は無かった。

 やっと処分が下されたのですっきりしたのだとしたら、私は随分と幼稚で短絡的だと苦笑する。

 イラついて腹が立ったのは事実だが、現実とはそんなままならないものと諦めていたくせに。

 無事に家に着いた私を迎えた家族は誰もおらず、私は尾本さんをリビングに通してお茶の準備をしていた。

 他の家族が帰ってくるまで車で待っていると言ってきかなかったのを、逆に目立つからと言って私が無理矢理上がってもらったのだ。

 若い女の子が一人なんて危機感が無いよ、と父親のように心配されながらいつもそういう感じなのかと尋ねられる。

 大体そうだと答えれば、深い溜息と共に尾本さんは大きく頭を横に振ってしまった。

 確か、尾本さんの家は息子さんだけだったはずだから娘という存在に憧れでも抱いていたんだろうか。

 そうだったとしたら申し訳ない。


「塩谷刑事の話、先に聞きたいんですけどいいですか?」

「あぁ、でも……」

「家族には簡単に伝えておきますので」


 塩谷刑事とどんなやり取りをしたのかは私と本人と、そして尾本さんくらいしか知らない。

 兄さんにも詳しい内容は教えていないからどんな事があったのかは知らないはずだけど、顔に出てたせいで大体の事は察してるんだろう。

 あそこまで不機嫌なのは久しぶりに見たって言われたくらいだから。


「詳しくも何も、辞令が気に入らなかったらしくて暴れた。そのくらいだよ?」

「いやいや、腹いせがどうとか」

「ああ、ごめんごめん。困ったね、歳を取るとどうも忘れっぽくて」

「いいえ」

「自転車と、車をパンクさせた犯人、塩谷だったんだよ」

「はっ!?」


 車をパンクさせたのは事件の後だったから何となく分かる気がするが、自転車はその前だ。

 塩谷と何も接点が無かったのに、と私が呟くと尾本さんは苦笑した。


「偶然、だったんだろうな。それにしては恐ろしい偶然だけど」

「何でまた」

「むしゃくしゃして、やったと言っているようだ。後ろめたい事があったから、事件があって君に会った時に攻撃的になったんじゃないかな」


 尾本さんはあの男を庇っている様な気がする。

 それはあの男が仲間だったからというわけではなくて、警察に対する印象を少しでも和らげようとしているように見えた。

 気のせいかもしれないけど、そんな態度が私の心を少し逆撫でする。


「本人がそう言ってるんですか?」

「……彼は自分が犯行に及んだ場所を律儀にもメモしていた。被りがないように、とね」

「それはまた真面目というか何と言うか」

「自転車はなつみちゃん、が乗っていたものだと思ったらしい。パンク、チェーン切り、サドルを盗んだのも自分だと認めた」


 埃被って半ば放置されてたあの自転車をどうしてなつみの物だと思ったんだろう。

 尾本さんの話を聞くとパンクさせた後も塩谷は我が家を観察しており、私が自転車を直そうとしたのでサドルを取ってチェーンを切ったのだと言う。

 何の為にそんな事をしたんだろうと疑問に思ったが、悪質な悪戯をされて怯えるなつみの顔が見たかったからだそうだ。

 いい歳して自分の子供と同じような歳の女の子に狙いを定めるとはいい趣味をしている。

 残念な事に妻子持ちらしい塩谷の元家族に私はちょっと同情してしまった。


「それって、もう犯罪者じゃないですか」

「あぁ、だから今ウチは色々と大騒ぎだよ。身内から犯罪者が出たって事でね。左遷じゃなくて免職にしとくべきだったって、頭抱えてるよ」

「飛ばされてそのまま大人しくしてれば、バレずに済んだんですけどね」

「君にそれを言われると心苦しいな」


 無くすものが何も無くなったらしい塩谷は開き直って大きな態度をとっているらしい。

 色々と思うところはあるが、これらも含めて弁護士さんにお任せしているので心配はなかった。

 許されるなら、感情のまま塩谷を気が済むまでボコボコにしてやりたいが流石に実行するつもりはない。

 いくら家族を貶されようと、友達を馬鹿にされようと。

 母子家庭だからと軽んじられ、母親を売女呼ばわりされる。そして似ていない兄妹だから父親が違うんだろうと一方的に言われた。

 事件の被害者なのにどうしてそんな事を言われなきゃいけないんだと思ったが、私はただただ驚くばかりで何の反応もできなかったのを思い出す。

 ホームから突き落とされたのも自作自演だろうとか、私の周囲まで調べていたらしくモモは頭がおかしい尻軽女だとか散々言いたい放題に言ってくれたものだ。

 今思い出しても腸が煮えくり返るのだから、あの時の私はよく我慢できたなと思う。

 助けてくれた松永さんに色目を使って突き落とされた事にしてくれと頼んだんだろうとか、他にもたくさん言われた気がするが覚えていない。

 あの顔も、声も、思い出すだけで不快でしかなく苛々してしまう。


「車のパンクは、左遷後ですか?」

「ああ、そうなるね」

「自業自得ですけど、いっそ哀れですね。そこまでくると」


 鼻で笑いながら空いた湯飲みにお茶を注いだ私に、尾本さんは軽く視線を下げて黙った。

 そして私はまた疑問に思う。

 そうまでして、何があの男を駆り立てたのかと。

 昔からそうだったのかと尋ねた時も尾本さんは、性格は悪いが実行する勇気まで持ち合わせていない小心者だと言っていた。


「次に刺されるのは、私かもしれませんね」

「こら。冗談でもそんな事を言うんじゃない」

「……ごめんなさい」


 本気で言っているわけではないので笑ってくれればいいものの、尾本さんは真面目な顔をして私を叱る。

 目を細めながら湯飲みに口を付けてお茶を飲んだ私は、あともう少しで着くという兄のメールを見て息を吐いた。

 母親は母親で、買い物してから急いで帰ると来た。

 尾本さんが来てるんだからすぐに帰ってくればいいのにと思っていたが、今では逆にいなくて良かったと安心する。

 きっと私は今も良くない顔をしているんだろう。

 神妙な面持ちで私を見つめる尾本さんの目がそれを物語っているような気がした。


「君は不思議な子だね」

「おかしいですか?」

「いや、そうじゃない。歳のわりに落ち着き過ぎてるような気がしてね」

「そうですかね。年寄り臭いとは昔から言われますが」


 そんな事は無い。

 地味で大人しいよね、と言われはするがそんな事言われた事はあまり無い。

 モモの影に隠れてあまり目立たないけど、突っ込みは激しいよねと感心されたことならある。


「夢も希望もない、例えるならそんな顔をしているよ」

「世知辛いですからねぇ」

「……まぁ、深くは聞かないようにしよう。君には君の事情があるだろうから」

「考え過ぎじゃないですか?」

「はははは、そうだといいな。それでも困った時は、連絡してくれ」

「大丈夫ですよ」

「いや、これは私の一種の罪滅ぼしのようなものだ」


 カチコチ、と普段気にならない時計の秒針がやけに大きく響いて私は手にしていた湯飲みをそっと置いた。

 テーブルの上で両手を組みながら苦笑する尾本さんは、どこか苦しそうで私は首を傾げる。

 この人から罪滅ぼしなんて言葉は似合わないしおかしい。

 塩谷(あの男)の事をまだ気にしてるんだろうかと思っていれば、尾本さんが口を開いた。


「サボっているわけじゃないんだが、お父さんの手掛かりが一向につかめなくてすまないと思っているんだ」

「……え?」


 予想外の告白に驚いていると絨毯の上に伏せていたスマホが青く点滅した。

 両手を額に当てて懺悔をするような格好をしている尾本さんを横目に、片手で画面を操作し私は思わず顔を引き攣らせる。


「尾本さんのせいじゃありません。大丈夫です。大丈夫だって言ったら大丈夫なんです」

「え? え、由宇ちゃんどうしたんだい急に」

「尾本さんが責任を感じる必要はありません。だから元気出してください」

「いや、あぁ……うん」

「大丈夫です。父はその内フラッと帰ってきます。多分そうです。母はいつもそう言ってますから大丈夫です。私たち辛くないですから心配ないんです」


 いいですか、分かりました? 分かりましたよね、と強引に畳み掛けるように言えば気圧された尾本さんが小刻みに頷いた。

 念を押して確かめるように身を乗り出すと、慌てた様子で何度も頷く。


「分かった、分かったから。うん、分かった。ありがとう」

「本当ですか? 本当ですね?」

「うん。本当だよ、本当」


 さっきまでの表情はどこへやら、尾本さんは困ったように笑うとトイレを借りると言って席を立った。

 鼻歌を歌いながらトイレへ向かった尾本さんを笑顔で見送った私は、急いで画面を操作しメールを作成する。


『《MISSIONCOMPLETE》無事にフラグは回避されました』


 一分も経たぬ内に返ってきた文面を見てホッとすると、さっきと同じようにそのメールを削除した。




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