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選択肢が拗ねました  作者: esora
本編
31/206

30 見えない力

 病院に行って薬をもらい、帰ろうと思っていたら声をかけられた。

 誰だろうと思って振り返ると、人のいい笑顔を浮かべた中年男性が軽く片手を上げている。

 親戚のおじさんにしか見えない男性を見て、慌てて頭を下げた。


「快方に向かっていて、何よりだね」

「そうですね。もうあんな事はこりごりです」

「ははは。そう言えば入学前にも倒れて入院したんだって?」

「え?」

「あぁ、お兄さんとお母さんがそう言っていたから。ごめんね? 気悪くしちゃったかな」


 ちょっとびっくりしたが相手の職業を思えば当然かとも思う。

 私はあははと笑い声を上げながら休憩室の一角にある椅子に腰掛けた。

 テーブルと椅子がいくつかあるこの場所は、一人でご飯を食べるのが嫌な時や賑やかな場所にいたい時によく利用していた。

 入院患者や見舞いの人々が楽しそうに話している姿を眺め、一人の部屋に戻る時間をギリギリまで遅らせた事も思い出す。

 四人部屋だというのに一人しかいないのは、寂しくてちょっと怖い。

 気を紛らわす相手になるのはモモだ。

 迷惑かなと思いつつも、素早く返信してくれる彼女との簡易チャットにどれだけ救われたことか。

 いつも通りの調子で相手をしてくれるモモに妙な安心感に包まれ、そのまま寝落ちしてしまった事も多い。

 小学校や中学からの友達とは今でも遊んだりはするが、モモほど仲が良い友達はそういない。

 離れていた時間が長いほど、それぞれの感覚にズレが生じる。

 環境が変わればまた人も変わるのは当然のこと。

 思い出は美しいと言うが、正にその通りだなと思いながら私は息を吐いた。

 大学で懐かしい姿をちらほらと見かけたこともあったが、声をかけるまではいかなかった。

 他の子達は県外に行ったりしているので簡単に会う事もできない。

 こんなもんなんだろうな、と思っていれば中年男性は心配そうに顔を覗きこんできた。


「具合が悪いかい?」

「あ、いえ。ちょっと考え事を」

「……犯人の事?」


 休憩室には人がまばらだとはいえ、内容が内容だ。

 誰かに聞かれるのは嫌だなぁと思って周囲を見回しながら頷くと、男性は理解したように笑みを浮かべる。


「今日は、車?」

「いえ、友達に送ってもらったので帰りは兄が」

「妹思いのいいお兄さんだね」

「ははは」


 ここまで送ってきてくれたのはモモだ。

 病院に行くと言ったら、ちょうど用事がある方向が一緒だからとここまで乗せてきてくれた。

 帰りの事を心配してくれたが、下手に電車で帰ると兄さんから怒られるのは容易に想像できたので迎えに来てもらうことにしていた。

 メールでお願いすれば、終わったら連絡するようにと返ってくる。

 仕事が終わるまで中庭で暇を潰しているつもりだったのでそう書いて返信すると、ちょっと困ったように『了解』とだけ返ってきた。

 そもそも、車で登校していればこんなに面倒な事にならずに済んだのに運が悪い。


「愛車が大変なことになったから、しょうがないか。いやはや、すまないね」

「いえいえ」


 昨晩警報音に驚いて兄さんが外にでてみれば、私の車のタイヤが鋭利な刃物で刺されパンクさせられていた。

 暗闇に消えてゆく車のバックライトを部屋のベランダから見ていた私は、追いかけようとしていた兄さんを止めるのに必死だった。

 母さんと私が止めても、捕まえてとっちめると言って聞かなかった兄さんの剣幕は怖かった。

 勉強していたなつみも慌ててそれに加わり、兄さんが落ち着いた頃に警備会社の人が駆けつける。

 近所でも何件かやられた所があると知ったのはその後、事件を聞きつけた刑事さんたちが来た時だった。

 目の前にいるこの刑事さんも、別件で私の担当になっているからと心配して来てくれたのだ。

 

「丁度、お宅に寄らせてもらおうと思ってたから送るよ」

「……いや、兄が迎えに来てくれるんで」

「塩谷はもういないよ。アイツは遠くに飛ばされた」

「えっ!」


 何も言っていないのに見透かしたかのように告げられた言葉に私は思わず声を上げる。

 思った以上に響いた声に慌てて口に手を当てるが、談笑していた他の人々は一瞬こちらを見ただけで終わる。

 変に目立たずに済んだと安心していると、困ったような顔をした刑事さんがテーブルに額をつけるような勢いで頭を下げた。


「非常に不愉快な思いをさせてしまってすまなかった。警察として謝る。謝罪しても気が治まらないとは思うけど」

「いやいや、尾本おもとさんのせいじゃないですよ」

「しかし、あれも警察官だというのは事実だからな。私としても気分が悪いが……」


 警察内部も一枚岩ではないのだろうか。

 色々な人がいるのだから、性格が非常に好かない存在がいてもそれはしょうがない。

 確かにあの時は、腹が立ちすぎて逆に冷静になってしまったけど。

 無表情の顔が恐ろしかったと兄さんが言っていたが、そういう兄さんも凄い剣幕だったのを覚えている。


「まるで、ドラマみたいですよね。笑っちゃいましたよ」

「うう……すまない。でも、あんな奴ばかりじゃないんだ。それだけは分かって欲しい……無理かもしれないが」

「大丈夫ですよ。そのくらいは分かっているつもりです。まぁ、全体的な印象は悪くなりましたけどね」


 激しい取調べや、心無い言葉はドラマや架空の世界のできごとだとどこかで思っていた。

 しかし、実際にあんな態度を取られ馬鹿にされてしまうと、こんなクズでも“正義を守る仕事”ができるんだと笑えてしまう。

 正直者が馬鹿を見るのはどこでも一緒なのかと思いながら笑っていた私を、気味が悪そうに見ていたあの顔は結構面白かった。


「辞めさせられないの分かっているから、あんな態度をとっているんだとばかり」

「まぁ、恥ずかしいがその通りだな。情けないよ本当に」

「しょうがないですよ。どんな正義を振りかざして、それが正しかったとしても結局強権の前には意味がないんですから」


 それにしても、憎まれっ子なんとやらと言うので、無駄に長生きするんだろうなと思っていたのに拍子抜けだ。静かに沸き立つ感情を抑えながらあの時のことを思い出していたが、まさか左遷とは。

 それをすんなりと受け入れるような男には思えなかったが、少なくともここにはもういないという事なんだろう。

 展開が早くてちょっとついていけない。


「それにしても、早過ぎませんか?」

「私はよく分からないんだが、どうやら上の判断らしくてね。今まで見ない振りをし続けていた上が即断即決したという事は相当な力がかかったんだろう」

「え……」

「君はどうやら、良い友人や知人に恵まれているようだね」


 何かを含むような笑みを浮かべた尾本さんに、私は眉を寄せて首を傾げる。

 そんな素晴らしい人と知り合いになった覚えは無いと、自分の交友関係を探って一つ気になる事を思い出した。


「まさか」

「さぁ、私は何とも分からないからなぁ」


 まさか。

 私が我慢すれば済むだけの話で、そんな人は世の中に数え切れないほどいる。

 けれど、思い当たる人物は一人しかいなくて苦笑してしまった。


「あ……あぁ。確かに、愚痴ってしまったような気がします。ごめんなさい」

「いやいやいや。情けない話だが、お陰で署内の空気も良くなったよ。上司も肩の荷が下りた様に朗らかになってね」

「そう簡単に切れない、ものですか? やっぱり」

「そうだね。人間関係と組織っていうのは複雑なものだからね。面倒だよ、本当に」


 そこに介入できてしまったという結果を思うと、恐ろしい。

 私としては非常にありがたいし、あの顔や声を二度と見なくて済むなら万々歳だけど。

 今度会ったら、それとなく聞いてみた方がいいんだろうか。

 それとも知らないふりをして今まで通り過ごすのが吉か。

 向こうから何も言ってこないなら知らん振りをしてるべきかな、と眉を寄せた。


「助けて力になるはずのこっちが、逆に助けられるなんて情けなくていかんね」

「あははは。でも良かったです。そういう事なら、お手数ですが送っていただけると」

「あぁ、その方が手間も省けるからね。いいよ……っと、ちょっと待って。仕事だ」


 電話をしてくる、と席を立った尾本さんを見送って私はゆっくりと息を吐いた。

 そしてスマホを取り出すと、モモと神原君にそれぞれメールを送る。

 モモには塩谷という刑事が遠くに飛んでいってもう戻ってこない事、神原君には色々話したいことがあるからどこかで会えないかという内容を作成して返事を待った。

 待っている間に、兄さんに尾本さんと病院で会って家まで送ってくれる事になったと連絡する。

 何故か尾本さんに対する兄さんの信頼は高く、不思議に思っていたのだが父親が行方不明になった時からの縁だと教えてもらって納得した。

 そして、尾本さんの奥さんと母さんがその頃からの付き合いで仲が良く、今でも一緒に買い物に行ったりするというのを私は初めて知った。

 家族が好きで大切に思ってきたつもりだが、よく考えてみると知らない事が多い。

 全てを知っていたいというわけではないが、知っててもいいような事を知らなかった自分にショックを受けた。

 

「今も、自分の事だけで頭がいっぱいか……」


 ループを抜け出す事だけを必死に考えて突っ走ってきた。

 そのせいで、ほとんど周囲は見えていない。私としては見えているつもりだが、恐らく全然見えていないんだろう。

 こうして冷静に自省できるのは、少し余裕が出てきたということか。

 余裕と言うにはまだ遠い気はするが、変に落ち着いてしまったのかもしれない。

 知らない光景が増え、暗闇を怖がる事もなくなってきた。

 常に背後を気にし、相手の行動を察知して無駄に回避行動を取ることもなくなってきた。

 それは油断とも言えるから危ないのかもしれないけど。

 

「え?」


 スマホが震えてメールの着信を告げる。

 差出人は神原君からだったが、本文を見て私は眉を寄せてしまった。


「なにこれ」



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