29 アネモネ
神原君との情報のやりとりは主に携帯でのメールで行っている。
前の様にパソコンでやり取りをしたらどうかと言えば、何故か難しい顔をされた。
はっきりした理由はいっていなかったが、文字化けしたメールの話を気にしているのかもしれない。
アドレスは間違いなく“震える虎”さんからのものだ。
神原君に何度も確認されたが、間違いは無い。
しかし、彼はそんなメールを送った覚えは無いとはっきり言っていた。
ループのし過ぎで忘れているだけかもしれないとも言っていたけれど。
確認しようがないので互いの証言を信じるしかないのが心細い。
もしかして神原君が嘘をついていたら。
彼は彼で、私が嘘をついていると思っているかもしれない。
『私は神原君を信じるよ。まぁ、私の記憶が間違ってるのかもしれないからね』
『えっ』
信じると告げた私に、彼は顔を上げて一瞬呆けた顔をした後で力強く頷いてくれた。
あどけなさの残る青年の強い意志を感じるような瞳。
もしかしたら裏切られるかもしれない。それならば少しでも早く先手を打たなければ。
そんな狡い考えから出た言葉にも関わらず、彼は素直に信じてくれたような気がする。
弱みに付け込んで裏切れないように縛り付けてしまったのは悪いと思っているが、やっと出会えた仲間を簡単に失うような真似はしたくない。
「最近あの子たち来ないな」
「ん? あぁ、神原君と沢井君?」
私の落下事故後くらいから彼らは店に姿を見せなくなった。
店に来れば嫌でも分かるろうからとメールでは何も言わなかったが、そう思っている内に犯人が捕まった。
教えたところで無駄に心配させるだけなので、言わないで良かったとホッとする。
しかし、こう姿を見せないとちょっと不安だ。
メールでのやり取りは毎日必ず、最低一回はしているので何かあったというわけでもなさそうだけど。
「色々、忙しいんじゃないの?」
「あぁ……なつみも忙しそうだしなぁ」
「あの子は中学からあんな感じだったから、別に凄く忙しそうってわけじゃないと思うけど」
それでも元来の世話好きとしっかり者の性格で、高校に入ってからもクラス委員を務める事になった。
生徒会に入るのかと中学の頃と同じような質問をすれば「そんな気はないよ」と笑って返される。
けれど、成績も良く運動もそれなりにできて、クラスのまとめ役の美少女となれば生徒会から勧誘がきそうなものだけど。
そこまで考えて私はつくづくシスコンだなと苦笑してしまった。
ゲーム通りならばなつみが生徒会に入るような事はない。
しかし、この世界ではそれもどうなるか分からないので断言できなかった。
後で神原君に聞いてみようかなと思っていれば、叔父さんがじっと見つめているのに気がついた。
「お前と真逆だよな」
「うん、よく言われる」
「いや……別にほら、差別とかそう言うのじゃないぞ? 勘違いするなよ?」
「変に動揺しないでください、マスター。分かってますから」
叔父さんも言ったように私となつみはまるで真逆。
明るいから暗いとかそういうわけじゃないけど、活動的ななつみに比べ私はのんびりしているのを好む。
昔から誰にでも可愛がられていたなつみは私達兄妹の自慢の存在だった。
比べられて心ない事を言われた事もあったが、気にしていない。
それが寧ろおかしいのか、と首を傾げていると眉を下げた叔父さんと目が合った。
「由宇……」
「そんな顔しなくても大丈夫だってば。なつみが可愛いのは昔からだし、可愛がりはしても憎く思った事はないよ?」
「そうだよな」
普通なら、劣等感を抱くなりするはずなのにそれが全くと言っていいほど無い。
そんな事を感じるよりも、全く似ていないのにしっかり血が繋がっているという事実に未だ衝撃を受けているのかもしれない。
兄妹だと言えば必ず驚かれ、本当に血が繋がっているのかと疑られる。
もう慣れてしまったが、嫌な思いをしないわけではない。
私もどこをどうしたらあんなに可愛い子が生まれるんだ、と不思議で仕方がないくらいなのだから。
兄さんは苦笑しながら「父さん似だからだろ」と言っていたが、父さんはそんなに美形だったんだろうか。
「兄さんは、なつみは父さん似だからだろうって」
「あぁ、そうか。そうだな。確かに、お義兄さんに似てるからなぁ。でも、姉さんいる前でそう言うと不機嫌になるんだけど」
幼少時に失踪してしまった父親の姿は朧気ながらにしか覚えていない。
母さんは、思い出すと腹が立つからという理由でアルバムを封印している。
私もなつみが生まれてからのアルバムさえ見れればそれで充分なので、気にした事はなかった。
よく考えてみると、父親に対して何の思いも抱いていない事に気がつく。
普通は思うはずだ。寂しいとか、会いたいとか、懐かしいとか、腹が立つとか。
どんな容姿をして、どんな声でどんな性格だったんだろうかとか。
失踪したのが幼い頃だったので、何かを思う間もなかったのかもしれない。
あとは、母さんに聞きづらいから察して避けるようにしている部分もあった。
突然失踪して腹が立つ、と父さんの話が出るたびにそう怒っていたけれど封印したはずのアルバムを眺めながら泣いていた母さんを思い出す。
「辛いんじゃないかな……今でも」
「姉さんはお義兄さんの事、何だかんだ言って愛してたからな」
数人しかいないお客さんたちはそれぞれ自分の時間を味わうようにコーヒーを飲んでいた。
ゆったりと流れる音楽に私と叔父さんの会話は掻き消され、私は洗い終わったカップを丁寧に拭いてゆく。
夕食の時間帯も過ぎて、閉店まであと一時間ほど。
私を突き落とした犯人が捕まったのでモモに世話になったのも昨日までだったが、店でご飯を食べて帰って行った。
事件の事を詳しく聞かせてとせがむ彼女を躱すのは面倒だったけれど、警察から言われていると告げれば唇を尖らせながらも引き下がってくれた。
面白いことが起こると思っていたのにとは言っていたが、多分心配して様子を見にきてくれたんだろうと思う。
「……そう言えば、誰かに父さんの事聞くのって初めてかも」
「そうか。何となく避けてた話題だったからな」
「いや、そういう訳じゃないんだけど、父親に関しての記憶があんまりなくて何と言うか……言い方悪いけど、何とも思ってないって感じなんだよね」
「……お義兄さん、不憫だな。娘にこんな事言われたら、俺だったらへこむね」
母さんも、祖父母も詳しく話したがらない父親の行方不明。
祖父母はきっと、母親が気落ちするのを見ていられないからだろうけど。
私も聞いたところで父さんが帰ってくるわけでもないしと思っていたので特に聞く事はなかった。
そう思うと、小さい頃から随分と冷めた性格だったなと思う。
一体どんな人で、私や兄さんの事を可愛がってくれたのか、と想像したりするがどれもピンとは来ない。
あまりにも遠過ぎる過去に消えてしまって、私にとっての父親はいなくなってしまった時点で過去の人になったんだろう。
あれから年月が経ち過ぎているから、どこかで土に還っているに違いない。
「姉さんが、失踪宣告しない時点でおかしいと思わなかったか?」
「何で?」
「申し立てをすれば、お義兄さんの財産や生命保険がおりてお前たちを育てるのに苦労はしなかったはずだ」
そう言われてみれば。
身重の自分と小さな子供二人を考えれば時間がかかるにしても、やっておいて損はないはず。
それにそこまで待って戻ってこないのならどうしようもないと諦めるのが普通だ。
警察に届出はしているが、失踪宣告なんて考えた事も無かった。
兄さんは知ってたんだろうか。
「まぁ、うちの両親が子供には未だに甘いっていうのもあってやらなかっただけかもしれないけどな」
「お祖父ちゃんたち、小金持ちだよね」
「あの人たちの所には何故かお金が集まるんだよ。金の方から寄って来るっていう恐怖だ」
「お金にあんまり執着ないから、それなりに寄って来るのかもね」
そう言う叔父さんもこんな経営状態なのによく店を続けられるなと思う。
テイクアウトの品が売れてるとは言っても、原価かかり過ぎて利益が少ない気がする。
私はただのバイトなので、店の内情まで詳しく首を突っ込むつもりはないけど、やっぱり身内としては心配だ。
そんな状態で閉める気がないって事は、叔父さん何か副業でもやってるのかもしれない。
そっちで儲けているから、店は道楽のような感じなんだろうか。
「父さんの財産なんて、微々たるものだったからかもしれないよ?」
「お前、きつい事言うなぁ」
「ま、気持ちの整理つける必要が無かったんじゃないの?」
「ん?」
「母さんは、父さんがいつか必ず帰ってくるって思ってんだからそれでいいんじゃないのかな」
甘いとか、馬鹿らしいとか呆れて溜息をつかれてしまうような事だけど幸い泥水を啜るような生活を送る事は無かった。
パートをしながら内職もして、一度倒れた母親と祖父母が喧嘩をしていたのも懐かしい。
仲裁にきたはずの叔父さんがとばっちりを食らって、散々だったがあれはあれでいい思い出になったような気がする。
まぁ、そんな光景を見ていたからこそ、兄は早く就職してしまいたかったんだろうけど。
残念ながら大学に入れという母親と祖父母の説得に折れて、私が通ってる大学に入学した時は非常に不機嫌だった事を思い出した。
就職したかったのに邪魔されて反発した兄さんが、高校の時よりバイト増やして過労で倒れた時も大騒ぎだった。あの時も母さんと兄さんの取っ組み合いに巻き込まれた叔父さんがとばっちりを食らっていたような気が擦る。
周囲の援助があって酷い苦労もなく暮らせているせいか、母子家庭だというのを忘れてしまう。
「俺もそう思う。警察も捜してくれてるみたいだけど、未だに見つからないみたいだしな」
「浮気で蒸発?」
「絶対無いな。由宇に『お父さんて呼ばせる!』って燃えてたくらいだから」
「あー、何かそんなのあった気がするわ」
お父さんとは呼ばずに「オトー」と呼んでいたと母さんが泣きそうな顔で笑っていたのを思い出した。
私がオトーと呼ぶたびに「さん、までつけなさい」と、父さんは何度も言っていたそうだ。
残念ながら私は全く覚えていないけれど。
「俺の事なんて『こーしゃん』って呼んでくれてそれはもう……っ。大きくなったなぁ」
「まだ店空いてるんだから泣かないでよ、マスター」
「だって、あの小さかった時雄が既に大黒柱になって、お前は無事成人したし、なつみに至っては高校生だぜ? 信じられるか?」
いや、そう言われてもあれから何年も経っているんだから当然だとしか答えられない。
けれど、幼い頃から知っているせいなのか、叔父さんが私達を自分の子供のように気にかけてくれているのはありがたいと思う。
確かにありがたいけれど、いい歳をしたおっさんが目を潤ませて本気で泣きそうなのはどうなのか。
いくらお客さんが少ないからといっても、まだ営業中だ。
「俺も、歳取るわけだよなぁ……っぐす」
「マスター。みっともないので顔洗ってきてください。後の応対と片付けはやっておきますから」
「うぐっ……すっ、ごめん」
鼻声で喋らないで欲しい。
異変に気づいたらしい宇佐美さんが困ったような顔をしてこっちを見ている。
状況が全く判らないお客さんから見れば、私が叔父さんを苛めて泣かせてしまったようにしか見えないだろう。
違うんですよ、そうじゃないんですよ、と私は営業スマイルに気持ちを込めながら心配するな視線に笑って返した。




