21 Fortuna
喫茶店《Fortuna》
商店街大通りから一本逸れた通り沿いにある喫茶店。
何か特徴があるメニューを扱っているわけでもなく、非常に安価というわけでもない。
それでも何か一ついい所をと言われたら、いつでも空いているという事だろうか。
一度冗談でそう言ったところ、流石に叔父さんから睨まれてしまったのでそれ以来は心の中だけで言うようにしている。
マスターである叔父さんがイケメンダンディだったならば、それ見たさで客が増えていたかもしれない。
「オーダー。ホットワン、ブレンドです」
「了解」
大通りの方にはファミレスや喫茶店が多く立ち並ぶせいもあって、わざわざここに通うような人物はいない。
ほとんどが、会社に近いからとか混んでいるのが嫌いだからという理由で利用する人達だ。
後は、商店街の店主達だろうか。
こんな状態で経営は大丈夫なのかと心配しているのに、叔父さんはこの渋い外観の建物とこの場の雰囲気が気に入ったから他に移る気はないらしい。
以前もこの場所は喫茶店だったらしく、リフォームするだけで済んだと喜んでいたがそのリフォーム代が結構高かったようだ。
具体的にどのくらいかは教えてくれなかったが、高級車が数台買えるくらいだろうと母さんは言っていた。
カップやソーサーが並ぶ棚や、艶が美しいカウンターは元々置いてあったもので叔父さんはコーヒーの香りが染みているとご満悦だった。
通りに面した席には大きな窓ガラスがはめられており、外の景色が綺麗に見える。陽の光がそこからも差し込むので店内も明るい。
日差し避けに今年も順調に成長しているゴーヤが、そのうち目に優しいグリーンカーテンとなってくれるだろう。
「由宇、そろそろブラインド下げてくれ」
「分かりました。半分でいい?」
「そうだな」
店内に流れている音楽はジャズ、クラッシック、ボサノバとその日の気分で叔父さんが決めている。
店の外観が寂しいからと、鉢植えの花やプランターを置いて女性客も気軽に入れる雰囲気を作った。
最初はそんなに興味がなかった叔父さんも、今では時期によって花を変えたりハーブを育てたりしている。
料理、園芸と近所の奥様たちとの共通の話題ができて、最近ではそれを楽しみにお茶をしにくるオバサマ方も増えている。
話が盛り上がって声が大きくなる彼女たちをやんわりと窘めるテクニックはいつもながら見事だ。
私が注意してしてもいいのだが、こんな小娘に注意されてはどんなに丁寧に言われても癇に障るというもの。
しかし、叔父さんが申し訳無さそうな表情をして注意をすればしおらしくなるのだから不思議だ。
このテクニックを何故他の異性に使用できないのかと尋ねれば、仕事とプライベートは別だからという言葉が返ってきた。
何が違うのか残念ながら、私にはよく分からない。
「いらっしゃいませ。二名様ですね? お好きな席へどうぞ」
カランと鳴るベルの音に笑顔を浮かべつつワントーン高い声で接客をする。
窓際の席に座った二人の女性にお冷を運び、メニューが決まったら呼んでくれとお決まりの言葉を口にした。すると、一人の女性から引き止めるように声をかけられる。
「あの、ここのオススメは何ですか?」
「そうですね。当店のオススメは日替わりケーキセットですが、他のオススメメニューはこちらをご覧下さい」
「日替わりケーキセットかぁ」
毎回そう聞かれるからオススメの一枚メニューもある。
人が入らなくて暇な期間が長かったので、オススメのメニューを作成するまで随分と時間がかかってしまった。
作成の際も叔父さんはあれもこれも入れたいと言って最初はただのメニュー表になってしまったのを思い出す。
結局、全部のメニューを入れたがる叔父さんを無視して、私と常連さん達でオススメメニューを完成させた。
これがあるお陰で初めて訪れた人も何を頼んだらいいのか困らずに済むし、評判もいいので作成した私も嬉しくなる。
「わぁ、凄い。迷っちゃう」
「ねー。ケーキセットもいいけど、パスタも美味しそう」
「グラタンにも心惹かれちゃうけど、お昼食べて来ちゃったもんね」
「実はまだ入りそうだったりして?」
「ね?」
うふふふ、とメニューを見て楽しそうに笑い合う二人に私も笑顔になってしまった。
決まったら呼んでくださいと丁寧に告げて、二人の会話の邪魔にならないようにカウンターへと戻る。丁度出来上がった品物をトレイに乗せてそのまま常連の宇佐美さんの元へと向かった。
「ご注文のサンドイッチセットです」
「あぁ、ありがとう」
サンドイッチセットは、たまごサンド、ベーコンレタスサンド、ポテトサラダサンドの三種類がお皿にどっさりと乗っている、中々ボリューミーなセットだ。
それにサラダ、スープ、デザート、コーヒーか紅茶がついて七百円である。
分け合って食べても構わないせいか、女性二人組みがよく頼んで一緒に食べているのを見かけた。
宇佐美さんはノートパソコンから私に視線を移し、にっこりと微笑んでそう言うと再び画面に視線を戻した。
キーボードの上を滑るように動く指に軽快な音。
近くには資料らしきものが置かれていて、今日は珍しく忙しそうだった。
珍しく、なんて失礼だったかと心の中で詫びる。
「お忙しそうですね」
「ちょっと急ぎの仕事が入ってしまいましてね。全く、隠居同然だと言うのに困ったものですよ」
「そんな、宇佐美さんはまだお若いんですから隠居なんて」
「ありがとう。いつもここを仕事場にしてしまって申し訳ありませんね」
「いえいえ」
会社や家で仕事をするよりも、ここで仕事をする方が捗るのだと言う宇佐美さんはテーブルの上に広げていた資料をソファーへとおろす。
一区切りついたのかノートパソコンを閉じて同じくソファーに置くと、新しく持ってきたおしぼりで手を拭き並べられたサンドイッチセットを嬉しそうに見下ろした。
「デザートはバニラアイスなので後でお持ちしますね。何かありましたら、お呼びください」
「ありがとう。いただきます」
一礼をして席を離れた私はいつもより少々人が多いなと小さく息を吐いた。
当然、お客様方には見えぬようにだが褒められたことではない。
分かっているけれどバイトをもう一人増やしたほうがいいのでは、と思うくらいだ。
まだ二人で回せるが、これ以上忙しくなってくれば確実に手が足りなくなる。なつみに手伝ってもらうという手もあるが、あの子も部活や勉強で忙しい。
それに、あの子がここでバイトをするとあの子目当ての客が増えそうなので姉としては避けたい。
なつみに変な虫がついたら困ると思うのは叔父さんも同じだろう。
親族以外で、となるとバイトにトラウマがある叔父さんが問題になってしまう。
あの一件は随分と深く叔父さんの心に傷を残しているようで、それを考えるとバイトを募集するのは余程切羽詰ってからになりそうだ。
そうなると、身近にいて時間に余裕があり、叔父さんも安心できるような人物か。
随分と限られてしまうがモモ達はどうだろうと考えて、私は首を傾げた。
「お待たせしました。海老グラタンと、コーヒー、ミルクティです。ケーキは後ほどお持ちしますのでお呼びくださいませ」
「はーい」
「うわ、美味しそう。エビが! エビが!」
「分かったから」
結局、女性二人組は心惹かれていたグラタンを頼む事にしたらしい。二人で分け合って食べるのだろうが、うちのグラタンは結構な大きさがある。
お昼を食べてきたと言っていたのでちょっと心配だ。
ちなみに、私のバイト先に興味があると冷やかしに来たモモたちはたくさん食べて、たくさんお金を落として帰ってくれたのでありがたい。
まぁ、美智が一人でたくさん食べていたせいもあるのだが。
サンドイッチ、パスタ、グラタンを食べた上にデザートにパフェを頼んでしっかり完食した光景は、あの場にいた他のお客さんまでもが驚いていた。
どれもこれも迷ってしまうから、気になったものを全部食べると意気込んでいただけあって美智はとても満足していたが。
バイトを頼む候補として、彼女たちならば叔父さんも承諾してくれるかもしれない。
「何思い出し笑いしてるんだ?」
「あ、ごめんなさい」
「あら、あらあらあら」
「高橋さん?」
「思い出し笑いするような事って、ラブ? 由宇ちゃんにも春が来たのね」
目をキラキラと輝かせて手を組んだ高橋さんは、身を乗り出すようにして小声で何があったのかと聞いてきた。
友達の大食いを思い出してました、と素直に告げたら美智のイメージが悪くなってしまう恐れがある。
どうしたものかと悩むように笑みを浮かべ唸っていると、隣から刺さるような視線を感じた。
「変な男じゃないだろうな? 何かあったら、叔父さんに言うんだぞ?」
「大丈夫だってば。子供じゃないんだし」
「お前はいつまで経っても子供です。成人したからって、調子に乗るなよ?」
調子に乗っているつもりはない。
白い皿に乗ったケチャップ色をしたチキンライス。叔父さんは仕上げのふわとろ卵をフライパンで器用に作成中だ。何度見ても眉を寄せてしまうくらいの手並みに、私はどうしたらあんな風にできるのかとつい睨んでしまう。
何度やっても上手くいかない私と違って、器用ななつみは「こうでしょ?」と可愛く笑って簡単に披露してくれた。
あの兄でさえ、綺麗なオムレツが作れるのは私にとって非常に衝撃的だった。それを言ったら失礼過ぎるとデコピンされてしまったが。
別に私はメシマズではない。普通程度で、ちょっと不器用なだけだ。
唐揚げは上手く作れる自信があると自慢したら「オムレツ作ってんだろ今。作ってみろほら」と高圧的に兄から見下ろされたのは今でも忘れない。
焦げ目をつけず、ふわふわとろりのオムレツを作るのはシンプルだが中々難しい。やはり私が不器用だからなのか、と出来上がったオムライスをトレイに乗せ、笑顔でテーブルに運んでゆく。
皿を揺らしただけでプルプルと震えるオムレツに、注文した中年男性は子供のように目を輝かせ、奥さんらしい女性に苦笑されていた。
こういう光景って、いいですよね。
誰にでもなくそう心の中で呟いた私は伝票を持って立ち上がったお客さんの姿を見て、レジへと向った。「ありがとうございました」のお礼の後に「美味しかったよ、また来るね」と言ってもらえて笑顔にも磨きがかかる。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
私の声と、少し遅れてから叔父さんの声が重なる。
美味しかったよ、とそう笑顔で言ってもらえるとこちらとしても嬉しい。例え私が作っていなくともだ。
そして叔父さんにはやっぱり「お前作ってないだろ」と突っ込まれたが気にしない。
「そう言えば、今日は由宇ちゃんいつもより早い入りなのね」
「今風邪が流行ってるらしくて休講が多いんですよ。その分レポート増えますけどね」
「あら、そう言えば私の周りにもマスク族が増えたわ」
思い出したように告げる高橋さんに私は眉を寄せながら答える。
兄さんの会社でも風邪で休んでいる人が増えたと話していたのを思い出すと、叔父さんが苦笑した。
「お前は風邪引かないもんな」
「休んでられないでしょう。具合悪いなら仕方ないけど、そうなったら大学は仕方ないにしろ困るのはマスターです」
「あ……そうか、そうだな。よし、今日のお昼はニンニクたっぷり使ったやつを作ってやるからな」
「いや、接客だからそれはやめてね。本気でやめてくださいよマスター」
「あ……そうか」
お年頃だなぁなんて呟いているけど、そういう問題ではない。
接客業で口臭は身だしなみと同じく気をつけなければいけない事だ。
私と叔父さんのやり取りを見ていた高橋さんは、笑いを堪えきれず俯きながら大きく肩を震わせていた。
店も落ち着きを取り戻し、一段落ついた頃に私はお昼休憩を貰ってバックに引っ込む。
「今日も美味しくいただきます」
今日のお昼ご飯は、雑炊とスープ、デザートはキウイだ。
雑炊はふんわり卵と、長ネギ、ニラがたっぷり入っていて優しい味がする。生姜がいいアクセントになっていて、家でも手軽に作れそうな感じがした。
これなら卵の出来を心配する事もないし、私でも美味しくできるだろう。
スープは店でも出している具沢山のミネストローネ。
風邪を引かずに抵抗力をしっかりつけろと言われているようなメニューに私は苦笑した。




