初詣ルート1 両手に騎士
前後左右見渡す限り人だらけ。
これだけ混む場所に来るのはあまり無いので眩暈がしてしまう。
人酔いと着物の帯の締め付けのせいだろうと思っていると、ゴッさんが無言で水の入ったペットボトルを渡してきた。
「ありがと」
「凄い人だとは聞いていたが、本当に凄いな」
「うん。お陰で皆とはぐれちゃったけどね」
「電話しても無理か?」
「兄さんからメール来てたわ。無理に合流するのも危ないから、自由行動でいいだろうって」
その兄さんはどうやら魔王様と一緒らしいが、それなりに上手く応対できているようだ。
昨日は魔王様のカリスマオーラに圧倒されて冷や汗をかきながら会話をしていた兄さんだが、魔王様が物腰柔らかに接してくれているお陰で助かっているんだろう。
魔王様が風呂に入る前に、そのオーラを抑えてくれと頼み込んだ私の言葉が効いているせいかもしれないが。
「元はと言えば、時雄が急に駆け出したのがいけないのだがな」
「本人も反省してるみたいよ。なつみらしい姿見かけたからって、必死になって追う事無いのにね」
「お前は追わなかったな。時雄と同じように目の色変えるかと思ったぞ」
「なつみが行ったのはここの神社じゃないもの。もし嘘をついて彼氏と初詣デートしてたとしても、見逃すわよ」
年の初めから嫌な気分になりたくないのは私も同じ。
なつみが本当に友達と初詣に行ったとしても、こんな威圧を与えるような人物と一緒にいる限り近づこうとも思わない。
ゴッさんや魔王様がなつみに色目を使う心配よりも、一緒にいる友達に妙なプレッシャーを与えそうなのが嫌だったからだ。
外国人が二人に国籍年齢不詳の魔王様、麗しの爽やか美青年が一人に、素晴らしい魅了持ちの好青年が一人。
そこに冴えない兄妹を加えたとしてもそんな集団に誰が近づこうと思うのか。
女友達ならまだ黄色い声だけで済むかもしれないが、男友達だったら恋の芽を摘むことになりかねない。
「時雄が懸念するように、下半身だけで生きているような男だとしてもか?」
「そういうのは拒絶できるから大丈夫だと思うわ。それに、一緒に初詣に行くくらいだもの。邪魔したくないのよね」
「ほお。芽生えは踏み潰さぬのか」
「潰すとしたらなつみ本人だろうし」
くつくつと喉の奥で低く笑いながらゴッさんは楽しそうに笑う。
私がゴッさんと一緒に行動しているのは、はぐれてしまった私を彼が見つけてくれたからだ。
慣れない場所で一人きりというのは心細いが、私にはイナバもいる。
「うわぁ!」
「どうした?」
「イナバ、実体化してたんだった」
「あぁ。いつもの如くいると思っていたのか。まぁ、それで落ち着いていたのなら良かったではないか」
それはそうだけれど。
私は眉を寄せて溜息をついた。
ゴッさんから貰った水を半分程飲んだところで、背の高い男を見つけてしまう。
さりげなく視線を逸らしたと同時に彼がこちらに気づいたのを感じた。
結構前から彼に気づいていたらしいゴッさんは、私の様子を見て顔を逸らすと噴き出すように笑う。
「ゴーチェ、ここにいたのか」
「何故お前はここにいる? 時雄達と一緒では無かったのか?」
「勝手にはぐれた小娘を社長が気にしておられたからな。お前の姿もなかったから、一緒ではないかと」
「そうか。ならば心配する事など何も無いだろう。時雄からは自由行動だとメールが来た。魔王様もマスターが無事でいる事は分っただろう」
羽織の位置を直したり帯を触りながら私は周囲の風景と化す事に集中した。
視線を合わせるなんて馬鹿な事はしないが、ミシェルの言葉は相変わらず刺々しい。
さっさと戻れ、と心の中で念じていると一言も発しない私に苛立ったのか肩を掴まれた。
「新年早々迷惑なものだな」
「ミシェル、腹立たしいのは分るが気をつけろ。彼女は未だ私のマスターだ」
「ゴーチェもゴーチェだ。何故未だにこの女の下に甘んじている!?」
年の初めから、境内で痴話喧嘩。
そんな風にしか見えない状況に放心しそうになりながら二人を邪魔にならない場所まで引っ張ってゆく。
本当ならば無事に参拝を終えたかったものの、ああなっては仕方がない。
無理矢理連れてこられて不機嫌なミシェルも殺意を込めた目で見つめれば大人しくなった。
「はぁ。貴方が私を気に入らないのは百も承知よ。魔王様を気遣ってわざわざ探してくれたならば礼を言うわ。ありがとう」
「なっ、べ、別にお前の為ではないからな。社長の為だ」
「ミシェル。マスターは社長を気遣ってと言ったのだからそんな事は分っているぞ」
「う、うるさい! そんな事は知っている!」
背が高く、体格も良い外国人の男に挟まれて私は居心地の悪さを感じていた。
二人とも顔立ちが良い美丈夫なだけに、嫌でも注目を集めてしまう。
これではせっかく端に寄った意味が無いと溜息をつきながら、私はミシェルを見上げた。
「ならば、早く帰ればいいと思うよ。魔王様なら目立つから、見つけやすいでしょう?」
「……お前がどうしても、と言うのなら一緒にいてやっても良いが」
「あ、大丈夫。ゴッさんいるし。貴方も年明けから嫌いな奴の顔見て過ごしたくないでしょう?」
恩を売ろうとしているのだろうかと考えて、それは無いとすぐさま否定する。
ミシェルの事だからきっと素直に思ったままを口にしたんだろう。
そうなると、彼は私の事を心配してくれているという事か。
嫌いな相手を気遣うその精神に、相変わらずだなと苦笑して私はゴッさんの腕を取った。
ミシェルに肩を掴まれた際、さりげなく支えてくれた彼は少し驚いた表情をして私を見つめた。
「……」
「ミシェル?」
「はぁ……。マスター、この場は私に免じて三人で行動しないか?」
「え?」
「ゴーチェの頼みならば、仕方がないな」
「は?」
友情に亀裂が入って修復不可能だと思っていた二人は、私の予想に反してすぐに仲直りをしてしまった。
謝罪をしたかどうかは知らないが、元々親友だった時のようなやり取りをしている二人を見ていると本当に仲が良かったんだなと思う。
それにしても、ゴッさんの言っている意味が分からない。
私の事を嫌っているミシェルと何故一緒にいなければいけないのか。
そして、何故ミシェルが渋々ながら了承しているのか分らない。
「え? え?」
「一人暮らしで寂しがっていると前に話しただろう? すまないが、少し我慢してもらえないか?」
「だったら、二人で行動すれば? 私は一人でも平気だから」
「いや、そう言う訳にはいかない。いくら色気のないマスターと言えど物好きはいるだろうからな。一人にはさせられんよ」
一言多いんですけれど、と笑顔でゴッさんを見つめればコソコソと話している私達をミシェルが不審な目で見ていた。
コホン、と咳払いをしたゴッさんは私の背中に手を当てて歩き出す。
一日くらい大人になって我慢するべきか、と折れた私は何度も小さく頷いて彼の手を軽く払った。
列に並び直してお参りをするのは時間がかかりそうなのでやめる。
ミシェルが申し訳無さそうな顔をしたので、私はあまり混んでいない場所へと移動した。
「ほう、寺か」
「うん。二人はお参りできなくて残念だろうけど」
「いや、私は別に問題ない。空いた時間にまた来ればいいからな」
「私も同じだ」
古びた寺にお参りをして、おみくじを引く。
私は小吉だったが、ゴッさんとミシェルの二人は大吉だった。
私が引いた物と自分の物を見比べた時のミシェルの嬉しそうな顔にイラッとしたが、我慢する。
「……」
「どうした?」
「あ、ううん。何でもない」
気のせいだろうと首を横に振った私は、ゴッさんの手に捕まりながら急な階段をゆっくり下りていった。
そんな私達を見ていたミシェルが、いつまでゴッさんをそうやって縛り付けておくんだと再び詰め寄ってきたので頭が痛くなる。
せっかくこっちが我慢して一緒に行動してあげているというのに、この態度は何だろう。
私はどこまで我慢すればいいのかな、と恨みがましい目でゴッさんを見上げた。
「ミシェル。お前は何か勘違いをしているようだから、この際はっきりと言っておく」
「何だ?」
「私は強制的に由宇に従わされているのではない。自分の意思で彼女に従っているのだ」
大きく息を吐いて静かにそう告げたゴッさんに、ミシェルの表情が固まる。
面白いくらいに動揺を見せた彼は、声を震わせながら洗脳されているのかと親友の事を心配し始めた。
この二人は親友だとは思うが、腹の内を見せ合うような中ではないのだろうか。
ミシェルは正義を愛し、悪を嫌悪する見た目通りの性格だがゴッさんは違う。
人格者に見えて戦闘狂であり、血に飢えた獣のようなものだ。
この世が歪みもなく平和になってしまったら、真っ先に敵として世界を混乱に貶めるような人物でもある。
「何を……何を言って……」
「貴方達は私の夢の中での存在だったからね。領域内で存在できても、こちらの世界に出てくるなんて不可能だったわ。だからいい機会だからその時にゴッさんとも契約を切ったの」
「一度解放したと言うのか?」
「そうよ。もう会う事もないだろうからって。でも、前とは違う世界の構成が原因で二人ともこちらの世界でも実体化できるようになったでしょ?」
いくら私の手を離れたからと言って、ゴッさんとミシェルの二人が管理者達の脅威にはならないだろう。
イナバを介して魔王様からそう聞いた時に、判断は管理者達に任せると言った。
それから歪みを修正する現場でゴッさんの突撃に遭い、もう一度契約して自分を使えと脅迫されたのだ。
ゴッさんは丁寧に頼み込んだと言っているが、あれは間違いなく脅迫だった。
「管理者に御主人様になってもらえばいいって、何度も言ったんだけどね。聞かないんだもの」
「彼らの下にいては気も休まらん。お前ならば今まで通りで私も動きやすく、管理者達も安心だ」
「私の心の平穏は?」
「色気のない下着を散らかしておける相手に何を言うか」
「し、下着っ!?」
反応するところはそこなのか、と心の中で突っ込みながら私は軽く足を開いて腰を落とす。
目の据わった私に慌てたゴッさんの鳩尾を狙って鋭く拳を叩き込んだ私は、軽く跳躍して後方へと退いた。
二、三歩よろけたゴッさんが咳き込みながら右手を前に突き出す。
「悪かった……。今のは、私が悪かった」
「下品だぞ! お前はそうやってゴーチェを誘惑したのかっ!?」
「そんなワケないでしょ? 洗濯物を取り込んだままベッドに放り投げてたのよ。人の部屋に勝手に入った時に見たんでしょう」
「ああ……その通りだ。ゴホゴホッ」
顔を真っ赤にしながら下品だと叫ぶミシェルを見ていたら、気持ちが冷めてゆく。
彼はこんなにも純情でからかいがいがありそうな性格だっただろうかと首を傾げる。
呼吸を整えたゴッさんが、申し訳なかったと頭を下げてきたので私も大人気なかったと謝った。
自分でやっておきながら大丈夫かと尋ねれば、彼は問題ないと笑みを浮かべる。
「洗濯物……部屋に、勝手に!? ご、ゴーチェ! 見損なったぞ貴様!」
「そうか?」
「なっ! 『そうか?』ではない! こんな女でも一応は女だ。女性の部屋に勝手に入るなどと……その上し、下着まで見つけるとはっ!」
「仕方がないだろう。マスターも言っていた通り、放り投げてあったのだから」
私がいないのにゴッさんが勝手に人の部屋にいるのは今に始まった事ではない。
最初は驚いて怒ったが、下着や服の駄目出しをされた上に私のゲームコレクションを眺めつつ鼻で笑われ恥ずかしくて堪らなかった。
馬鹿にされるかと思えばそうでもなく、自棄になって恋愛ゲームをしていれば興味深そうにテレビ画面を見つめる。
初めの頃は身奇麗にしていた私が今ではルームウェアにボサボサの髪で彼を出迎えるくらいになってしまった。
女としてそれはどうなんだと毎回言われるが、右から左へ流している。
「お前もお前だ! 何故鍵をかけない!」
「鍵をかけたら、誰かさんに壊されましてね。魔王様に弁償してもらいましたけど」
「……ゴーチェ」
「仕方がないだろう。時雄は私に慣れたとは言え一緒にいれば気が抜けぬだろうし、マダムやなつみといれば私が気を遣う。気兼ねなく過ごせるのがマスターの傍なのだから仕方がない」
それはつまり私には気を遣わなくてすむという事だろうけれど。
彼の前で緊張感の無い格好をして恋愛ゲームなんてしている私がそれ以上文句が言えるわけもない。
それにゴッさんは祖父母の恩人の孫という設定がある。
「いい機会だからゴッさんも、一人暮らししたら?」
「私がいなくなればマダムも寂しがるだろうな」
「母さんを理由にしないで」
「生活費はいくらか入れているはずだか」
「そういう問題じゃないでしょう」
転居先を探すまで、少し落ち着くまでと言ってから一体どのくらい経ったのか。
うちの家族の一員としてすっかり馴染んでしまったゴッさんと別れるのは、母さんも兄さんもなつみも寂しがるだろうが仕方がない。
「ずるいぞ、ゴーチェ! 私だって、家族の温もりが欲しい!」
「は?」
「しかし、もう一人増えるとなるとマダムにも時雄にも迷惑だろう。諦めてくれミシェル」
「お前はいつもそうだ。私が羨むものばかり簡単に手にする」
「そう拗ねるな。マスターの家の隣が空き地なのは知っているか?」
しょんぼりと項垂れて唇を尖らせるミシェルに苦笑していると、ゴッさんが顎に手を当てながら空を見つめた。
嫌な話の流れに割って入ろうとしたが、ゴッさんの右手に制されてしまう。
「それは、知っているが。だから何だ?」
「社長がそこに自宅を建てるそうだ」
「はぁ!?」
「だから、何だ?」
「敷地は広い。社長に頼んでお前の部屋も作ってもらえばいいだろう」
確かにゴッさんの言う通り、家の隣は広い空き地があって猫の集会や子供達が良く遊んでいる。
売地の看板が最近撤去されたなとは思っていたがまさかそんな事になっていたとは。
母さんやなつみが喜ぶだろうが、兄さんと私のストレス値が酷い事になりそうだ。
「しかし……」
「社長なら既にそれを考えて動いておられる。じきに立派な家が建つことだろう」
「だったら、ゴッさんもそっちに移るわけよね?」
「そうだな。だからと言って、もうそちらに行かないわけではないが」
「ですよねっ!」
やっぱりそうか、と溜息をつく私を見てゴッさんは嬉しそうに笑う。
ミシェルも「隣か……いい条件だ」と変な事を呟きながら何度も頷いていた。
「と言うわけだ。本年もよろしく頼むぞ、マスター」
「まぁ、お前が仲良くして欲しいならそうしてやってもいいが。一応、よろしく頼む」
「強引俺様とツンデレなんて……勘弁して欲しいわ」
「マスター。本音が出てるぞ」
「出してるのよ」
言葉の内容を理解しているゴッさんは、そういう枠に括られるのかと軽く肩を竦める。ミシェルは聞き慣れない単語に眉を寄せながらゴッさんに説明を求めていた。
とりあえず私一人でショックを受けているのは嫌なので、兄さんにメールを送る。
魔王様を前にして、私からもたらされた情報に恐怖する兄さんを思い浮かべたら少しだけ気持ちが楽になった。




