2014-2015 1 年越し
終わりの見えないループの日々も今は遠い昔のようになりながら、日々の生活を送る。
最初の頃はまた何かあるのではと警戒していたが、超えられない大学二年の五月五日を越えてから気が緩みっぱなしだ。
レディや別世界からやってきたお騒がせ夫婦にあれだけ酷い目に遭わされたというのに、あの頃ほど強い感情は抱いていなかった。
酷い悪夢のような出来事だったが、夢物語ではない。
あれが現実だと教えるように、イナバは未だ私のスマホを住処としてぴょんぴょん跳ね回り、レディや魔王様、ギンの管理者達とも頻繁に連絡を取っている。
前よりも不安定になってしまった世界の為、関係者となってしまった私や神原君はこちらの世界にある歪みを修正する役目を押し付けられた。
本来ならば管理者がやるべき仕事らしいが、彼らは手一杯でどうにもならないというので協力をお願いされたのだ。
魔王様やギンにお願いされても嫌な顔をして断っただろうが、レディにお願いされては仕方がない。
先の一件は彼女が元凶とも言えたのに私の中に恨みという気持ちは一切無かった。
悪いのは馬鹿夫婦であって、レディではない。
それなのに、未だレディは自分を責めている。
馬鹿夫婦が死の間際にあんな事をしてチャラだとばかりに消えていったせいもあるのかもしれない。
生き長らえる苦痛に耐えながら、レディは被害者ぶる事無く仕事に没頭しているとインレフリスから聞いた。
あまりにも働き過ぎて先日ついに倒れたらしい。
「守役が何やってんのよって、話よね」
「ん? レディの事か」
「そうそう。ギンは管理者と神原君の相棒を兼任してるから仕方ないとしてもさぁ」
「前から思っていたが、お前はナナシに厳しいな」
「そう? 普通だと思うけど」
何のための守役だと声を荒げた私にインレフリスは「あの人はレディには逆らえませんからね」と苦笑していたのを思い出す。
みかんを口に運びながら眉を寄せる私に、体格の良い外人が笑いながら三個目のみかんに手を伸ばした。
流暢な日本語を操りながら、当然のように私の部屋にいる彼はこたつに入って日本茶を啜る。
「はぁ……」
「何だ? 何かついているか?」
「ううん。まさかゴッさんとミシェルがこっちにいらっしゃるとは想像もしていなかったなと思って」
「またそれか」
また、と言われても仕方がない。
死霊術師として活躍していた夢の中の登場人物がこうして目の前にいる。
今までも、夢の中や領域内のみ呼び出すことが可能だった。
ならばどうしてここにゴッさんがいるのか。
それは内と外の境目が溶け合ったせいで影響が出ているのだろうと管理者達は言っていた。
詳細は不明との事でいまいち納得できないが、戦力としては申し分ないので文句は無い。
「仕方がないだろう。気づいたらこちらの世界にも来られたんだ。それに、御主人様は貴方しかいないんだがな」
「やめてよそう言うの。薄ら寒いから」
「ふむ……そうか」
ゴッさんが我が家にいる理由は簡単だ。
祖父母が世話になった恩人の孫で、こちらで仕事をする事になっていて部屋を借りていたがそのマンションが火事になり、落ち着くまで家に滞在するという設定になっていた。
何故祖父母の家じゃないのかと言えば、ゴッさんの仕事場には家の方が近いという事とイケメンの外人という情報に母親が食いついたせいだ。
ベランダに止まっていたギンが複雑な表情をしていたのは今でも覚えている。
「契約切れてないのはありがたいけど。嫌なら解放するから言ってね」
「は? 何を馬鹿な事を。お前と一緒にいるからこそ楽しめるというのに、私からその楽しみを奪おうと言うのか」
「……いや、そうじゃないけど。私の立場も分かってくれてるし、助かってるけどさ。ミシェルが羨ましくないの?」
「全く。大義名分を掲げ、管理者のお墨付きをもらって暴れられる事以上に良い事などないだろう」
世界に点在する歪みを突き止め修正する際に、どこからともなく湧いてくる化け物達を倒すのも私や神原君の仕事だ。
偶に他の世界からこちらにやってこようとする存在もあるが、それは丁重にお帰りいただいている。
「この前は特に最高だっただろう?」
「私は最低だったんだけど」
「何を言っている。別世界とはいえ自分自身と対峙したのだぞ!?」
キラキラと目を輝かせ興奮した様子で拳を握るゴッさんに溜息をついた。
私にとっては最低最悪の事件を、最高だったと連呼する彼に私は眉を寄せる。
「由宇お姉さんは意外と繊細なんですよ〜ゴッさん」
「あぁ、そうだな。負の感情に染まりきった自分自身を容赦無く攻撃した我が主人は本当に繊細だ」
「……二人して馬鹿にしてるでしょ」
フォローをするように話に加わったイナバは、画面の中で大きくぴょん、と跳ねた。
世界の歪みを修正する私達を邪魔するように色々な化け物が立ちはだかる。
戦いも慣れてきた時に立ち塞がった相手は、よりにもよって途中で行方不明になっていた雫だった。
私の事も、私の内世界にいた時の事も覚えていない彼女は揺らぐ事の無い殺意だけを向けて襲い掛かってきた。
私より非力で戦いとなれば縮こまって隠れているのが精一杯だった彼女が、鋭く激しい攻撃でゴッさんと戦っている姿は今でも覚えている。
別人じゃないかという私の言葉に、イナバとレディは否定し続け最終的に私がトドメを刺した。
「まともにやり合ったら負けるって。あれは」
「だからって、直接引き千切るとは思って無かったですよ」
「そう? あれは雫が動かずにいてくれたからできたんだけどね。今では元の世界に戻って家族幸せに暮らしているみたいじゃない」
ゴッさんが雫を弱らせたところで動きを封じ、彼女の体の中に手を突っ込んで直接原因を取り除いた。
それだけ言うと非常に簡単そうに思うがこれが難しい。
相手が雫だから、ではなく如何に原因を迅速に切り離せるかにかかっているからだ。
侵食が進んでいると切り離しても助かる確率は低くなる。
雫の場合は汚染されている部分だけが他と隔離されているような状態だったので、やり易かったが動きを封じるまでが面倒だった。
しぶとく何度も立ち上がる彼女を見て、溜息をついてばかりだった気がする。
「はい! お父さんも喜んでらっしゃいましたよ。ただ、雫さんがお姉さんの内世界から弾き出されてからの記憶が無いのが気になりますね」
「それは管理者達の仕事だろう。我々が心配する事ではない」
「まぁね。面倒な事になりそうで嫌だけど」
「そんな辛気臭い顔しないでくださいよ! もうすぐ年も明けるんですから」
そうだ。
今日は大晦日。
大学三年の大晦日を越えてしまえば、最終学年に突入する。
就職活動をしようにも、管理者の手足となって働く事を考えたらまともに就職できるはずもなく。
私は相変わらず喫茶店でバイトをしながら今後をどうするか考えていた。
ゴッさんは、魔王様が経営する会社に勤めている事になっている。魔王様が会社経営、と微妙な気持ちになったが一度お店に遊びに行ったら結構儲かっているようで驚いた。
「魔王様の下でゴッさんが働くとはね……」
「お前がいないだけで、今までと大差ないだろう」
「そうかもしれないけど」
「ああいった仕事も中々楽しいものだぞ」
「ゴッさんに、ミシェルさん、そして魔王様……すごい絵面でしたもんね」
私とイナバは魔王様が経営している店を訪ねた時の事を思い出して小さく笑う。
輸入家具、雑貨の店なのは魔王様の趣味らしいが、そのお陰でゴッさんやミシェルが働いていても違和感はない。
寧ろ、遠目で見てその入りにくさに思わず回れ右をしそうになったくらいだ。
見慣れている人達ばかりなのに、場所や格好が違うとあんなに避けたい存在になるとは思わなかった。
セレブマダムに囲まれながら穏やかな笑みを浮かべ接客をしていたミシェル。
近寄りがたい雰囲気だが、とても丁寧に対応してくれるゴッさん。
そして、カリスマオーラを隠そうともしない魔王様の三人が揃ってしまっているのだ。
知り合いではなかったら、素敵な紳士がいる場所として私もこっそりマークしていたかもしれない。
「あれ以来、中々遊びに来ないだろう? オーナーが寂しがってたぞ」
「会社経営ごっこに熱入れるから、レディの守役が疎かになるのよね」
「それはギンにもインレフリスにも言われたそうだ。結局、守役に徹したところで逆らえないから下にいろと二人に追い出されてしまったようだがな」
「なんて不憫な魔王様……」
イナバはそう言うが、私には不憫に思えない。
追い出されたとは言ってもギンやインレフリスを信用している魔王様の事だ、レディは彼らに任せてこちらでの暮らしを楽しんでいるに違いない。
「そろそろか」
「ん?」
「社長が、こっちに来ると言っていてな」
「それを先に言って!」
のんびりとみかんを食べてテレビを眺めていた私は、動きやすいルームウェア姿の自分を見て慌てた。
無理矢理ゴッさんを部屋の外へと追い出せば、何故か廊下でウロウロしていた兄さんがいる。
ぎょっとした顔をする兄さんにゴッさんを押し付けて素早く着替えた私は、溜息をつきながら部屋のドアを開けた。
壁に寄りかかって腕を組んでいたゴッさんが目を開けると、私を見て息を吐く。
「色気づいたか」
「礼儀よ礼儀」
「私はいいと言うのにか?」
「だらしない姿も知ってるゴッさんとは違うでしょ」
流石に親しくさせてもらっているとは言え、ぼさぼさ髪のルームウェア姿を見せるわけにはいかない。
何より母さん達に恥ずかしい思いをさせてしまうだろう。
それだけの話だというのにどうやらゴッさんは自分の時との違いに不満があるらしい。
「由宇。仲がいいとは言え、お前だらしなさ過ぎだぞ?」
「あーうん。今ちょっと反省してる」
「気を遣わせたな、時雄」
「いやいや、ゴッさんの優しさに甘えすぎてるこいつが悪いんです」
それに動じないゴッさんはやっぱりゴッさんだなぁ、と思ってしまう。
だからこそまるで身内のように彼の前でもだらしない格好で過ごしてしまうんだろう。
着替えた私を見て、やればできるじゃないかと呟く兄さんを軽く睨んだ。
「社長さんが来るんだって?」
「うん。あぁ、それでソワソワしてたの?」
「いや……まぁ、それもあるけど」
「そうか。時雄はうちの会社と取引したがってたな」
「俺がって言うより、上がね」
こうして見るとゴッさんは兄さんよりも背が高く体格もいい。これで似たような年齢なのだから驚きだ。
兄さんもゴッさんやミシェルのように筋トレをし始めれば、彼らのようになるんだろうかと考えて笑ってしまった。
肩を震わせながら笑いを堪えていると、玄関が騒がしくなる。
「賑やかな年越しになりそうだわ」
「由宇、ボーっとしてないで早く来い」
「はいはい」
「時雄も大変だな」
自宅にいるのに仕事モードの表情へと切り替わった兄さんに、適当に頷いて玄関へと向う。
呼吸を整えて階段を下りていった兄さんの姿を見ていたゴッさんは、眉を寄せて同情するように呟いた。
「……っ! あの馬鹿魔王、なつみに色目使って!」
「マスターも相変わらずだな」




