19 恋バナ
「いらっしゃいませ」
大学が終わればバイトの時間が始まる。
叔父さんの喫茶店は相変わらず空いているのだが、ここ最近は少しずつ人が増えてきたように思えた。
すっかり窓際の席が定位置になった神原君と沢井君は、今日も甘いものを食べながら漫画やゲームの話に花を咲かせている。
今日彼らが注文したのは日替わりケーキセット。
ケーキはラム酒が効いたフルーツケーキだが、ラム酒が苦手な人はシフォンケーキにも変更できる。
アプリコット、レーズン、オレンジピール、くるみが入ったフルーツケーキは常連さんの間でも人気の品だ。
ラム酒が染みたレーズンがたまらない、と高橋さんはいつもお持ち帰りしてくれる。
粗く切られた胡桃がいいアクセントになって、まさに大人のケーキと言えるだろう。
私は材料の下ごしらえを手伝い、調理は全て叔父さんが行う。
閉店してからケーキを作る様子を見ては自分でも真似てみようと挑戦してみるのだが、いまいち上手くいかなかった。
どうやら、分離してしまったり混ぜ方が足りなくて失敗してしまうらしい。
電動を使えばいいよと言われているので生クリームを泡立てる時は飛び散らないように気をつけてやるようにしている。
「日替わりケーキセット二つです」
「はい了解」
初体験のフルーツケーキは高校生二人の口にも合ったようで、二人は顔を見合わせて「すげぇ」「美味い」と同じ言葉を繰り返していた。
その様子を調理しながらさり気なく見ていた私はついニヤニヤしてしまう。
「浩介君も、由宇ちゃんも、まるで父娘みたいだね。同じ顔しているよ」
「え!」
「まぁ、叔父と姪ですからね」
今日は珍しく定位置である窓際隅の席ではなく、カウンターに座っている常連の宇佐美さんが苦笑しながらそう告げた。
指摘された私と叔父さんは顔を見合わせ、微妙な笑顔を浮かべる。
嬉しくないわけではないが、私にとって叔父さんは父親というよりは兄のような感覚だ。
父親がいない私は、父親というものがどういうものなのか良く分からないけど叔父さんのような感じなんだろうか。
「父親代わりが板についてるって事かな」
「やめてくださいよ。可愛げのない娘なんてごめんです」
「それはそれは、申し訳ありませんでしたね」
にっこりと謝罪する私に、ふざけ過ぎたと思ったのか叔父さんが慌てて言い訳を始める。
そんな様子を見ていた宇佐美さんは、羨ましいと呟いて小さく笑った。
その色香にちょっとだけドキッとしながら、私は出来上がったパスタをトレイに乗せて運んでゆく。
常連の宇佐美さんもまた、悲しいかな複雑なことに【TWILIGHT】から出ているゲームの登場人物だ。
宇佐美秀恭、四十五歳独身。和泉先生と同じく『妖精』の登場人物であり攻略対象の一人。
思い出したくないが、一人暮らしをした際に私を軟禁してしまう人物でもある。
ゲーム内ではそんな部分は微塵もない、とてもダンディで素敵なオジサマだったというのに人は見かけに寄らないという事だろう。
軟禁心中エンドがあった後は、彼を見かける度に怯えていたが今は平気だ。
今日も見ただけで上質だと分かるスーツを着ているが、あれは贔屓にしている仕立て屋のものだろう。
会社を経営している宇佐美さんのマンションは見るからに住む人が限られていそうなもので、その室内も広々として洗練されており上品なものだったのを覚えている。
軟禁され、終いには心中する事になった相手だがあまり私を傷つけるような事はしなかった。
正気に戻ってからの説得が大変で、それに失敗したから心中という終わり方を迎えてしまったがそこで説得に成功しても彼は死亡し、私も後日死んでしまうので回避はできない。
「由宇ちゃん? 具合でも悪いのかな?」
「いえ、大丈夫です。すみません」
随分前の回での出来事だが、こうも鮮明に思い出せてしまう自分の記憶力が腹立たしくなる。
これだけ紳士的で気遣いを忘れないオジサマが未だ独身なのには驚くが、それも『妖精』の攻略対象だからだろうか。
攻略対象なのに恋人がいるという人物には今のところ出会っていない。
普通なら何人もそんな人物がいてもおかしくないのに、それが無いという事は主人公の影響力が大きいのか。
確かめるにしても、四六時中宇佐美さんたちに張り付くわけにもいかない。
それに主人公でもない私が最優先すべきは、どうやったら二年目の五月五日を越えられるのか、だ。下手な親切心を出して他人に介入してもいい結果にはならないような気がする。
「まだ病み上がりなんだから、あまり無理はしないようにね?」
「すみません、大丈夫です。ちょっと、新生活がまだ慣れないだけなんで」
「あぁ、そうか。大学生になったんだね。立派な大人の仲間入り、か」
「宇佐美さん、コイツはまだガキですよ。親元もロクに離れられないんですから」
宇佐美さんが少し遠い目をするかのように私を見つめる。優しい眼差しに苦笑していると叔父さんが馬鹿にするように肩を竦めた。
確かに実家暮らしで楽をしているかもしれない。でもだからと言って一人暮らしを始めても余計に面倒な事になるだけだと私は知っている。
だから、食器を洗いながら私は社会人になったら考えると言って軽く拗ねてみせた。
「家族揃って暮らせるのが一番ですから。貯蓄ができたら一人暮らしするわよ」
「いや、別にそこまで言ってないだろ」
「浩介君が意地悪ばかり言うからだよ。女の子は特に難しいと聞くんだから、もっと優しくしないと。ね?」
「宇佐美さんが父親だったら良かったですよ」
「ははは、私が由宇ちゃんの父親か。そうか、そうだね。君くらいの娘がいてもおかしくない歳だ」
本当は兄さんも就職を機に一人暮らしをする予定だった。
しかし、芯の強い人だけと寂しがりやなところもある母さんを思って一人暮らしをやめたらしい。
無理をしてるんじゃないかと心配した私に、兄さんは羽藤家の長子、長男として家を守っていかなければいけないんだと強く告げたのを覚えている。
父親がいなくなってからの兄さんは幼いながらも、父親の代わりを必死で務めようとしていた。自分以外は女ばかりで自分が守らなければと思っていたんだろう。
そんな事があるから恋人を作る気にもならないのだろうか。
だとしたら、私達は兄さんの足枷になってしまっている。
私は洗い終えた食器を丁寧に拭いて、来店を告げるベルの音に笑顔を浮かべた。
「ふぅ」
広い食堂は小洒落たカフェのような落ち着いた内装になっており、値段も手頃なので一般の人たちもよく食べに来る。
昼時になると混雑してしまうが、座れないという事はあまり無い。
それは、近くにできたベーカリーカフェに流れているせいもあるだろう。
焼きたてのパンを提供するベーカリーカフェは、テラス席もあって中々の人気だと聞く。私も帰りにパンを買っていったりはしているが、これが結構美味しい。
月毎に新作が登場し、季節限定のものもあるらしくなつみへのお土産によく買っていく。
叔父さんにもおすそ分けとして持っていったら美味しいと言って食べてくれたが、パンをじっと見つめて密かな対抗心を燃やしていたような気がするのは気のせいか。
「今日もご飯が美味しくて幸せです」
「本当にねぇ。お代わり無料だけど、迷惑かかると嫌だから三杯で我慢しておこうっと」
「……我慢って何だっけ?」
今日の昼食は日替わり定食Bだ。
日替わり定食はABCの三種類あり、Aは和食Bは中華か洋食になっている。
本日の日替わり定食Bのメインはデミグラスソースのハンバーグだ。
ご飯と味噌汁、サラダと漬物がついてワンコインしないというのだから恐ろしい。ふわふわのハンバーグは学生の間でも人気があるらしく、日替わり定食にハンバーグが出ると売れ切れてしまう場合が多いらしい。
食堂に近い場所で講義を受けていたモモに場所取りと発券を頼んでいて正解だったと思いながら、私は店で出すようなハンバーグを頬張る。
「はぁ、幸せだ。あの値段でこの美味しさが楽しめるなんて」
「本当に。学食で食べ放題してくれないかなぁ」
「それは無理でしょ」
私の突っ込みに心底残念な表情でフォークを握る美智。
美味しいものが好きで先日見つけた駅前のカレー屋さんで、新記録を達成し顔を覚えられてしまったと溜息をついていた。
それが嫌なら止めれば良かったのに、美智が言うには「カレーが私を呼んでいた」らしい。
「それよりも、あの二人あのままでいいと思う?」
「……いやぁ、下手に止めようとすると逆に燃えるんじゃないかと思って」
「あぁ、あるある」
向かいに座っているモモとユッコは楽しそうに食事をしながら会話に花を咲かせている。
可愛らしい二人が笑いながら会話をしていると、本当に花が咲いているように見えるのだから不思議だ。
ひそひそ、と小声で私に問いかけてきたのは最近夢見がちなユッコを心配している美智。
ちなみに彼女の今日の昼食は、日替わり定食Aと日替わりパスタ単品だ。今日もシメにうどんを食べるのだろうかと思いながら私は苦笑してモモたちを見る。
恋バナをしている彼女たちはとても幸せそうなのだが、内容が内容だけにどう反応していいのか困ってしまった。
「でねーシゲちゃんがね……」
「わぁ、格好良いね。さっすがユッコの彼氏ですなぁ。うりうり」
「きゃあ。恥ずかしいよ」
普通に聞いていれば惚気は他所でやれと言えるが、彼女達が話す相手は全て架空の人物。
下手に止めようとしても障害があればあるほど燃え上がるかもしれないので危険だ。
モモにユッコを止めてもらうのは無理だ。
ユッコがゲームにはまり過ぎていて危ないとに話した時も、モモは本人が幸せならいいじゃないと言っていた。
確かに、重課金のお得意様なだけで未だ酷い事にはなっていないが。
「誰かまともで、ユッコのこと大切にしてくれる人いないかな」
「依存傾向のある恋愛中毒みたいだものね。私の知り合いにフリーな奴いたかなぁ」
「でも、ユッコはお嬢様だからそれなりの人とお見合いとかあるんじゃない?」
「あ! いや……それも逆に燃えるだけかもよ。障害として」
「シゲちゃん似の人が見合い相手だったら、一発なんだけどね」
「そう上手くいったら……あ、そっか」
苦労はしない、と続けようとしたらしい美智は何かに気付いた様子で携帯を取り出した。片手で携帯を操作しながらもう片方の手で器用に食事をする様は結構面白い。
私も熱々のハンバーグが冷めてしまわないうちに、と可愛らしい二人の惚気を聞きながら食べ進める。
「よしっと」
「なに? どうしたの?」
「ふふふふ。まぁ、どうなるか分からないけど、ちょっとこの件は私に任せて」
「うん。それはいいけど」
何か妙案があるらしい美智は、キラリと目を光らせて甘ったるい空気に包まれているモモとユッコを見つめていた。
私はサラダを食べながら、サトルの話をしては自分もそんな風にしてもらいたいと唇を尖らせるモモに苦笑する。
サトルというのは現実に存在する人物ではない。
比較的飽きっぽい性格のモモの中では不動の一位に存在するゲームキャラクターで、『ちょこっス』に登場している男の子である。
それを考えたらモモとユッコの話が合うので、止めようと思わないのも当然か。
「大丈夫なの? 手強いけど」
「詳しくは後でメールするわ」
軽くウインクをした美智は「美味しかった」と言ってフォークを置く。
一体いつの間に平らげたのかとその速さに驚いていれば、彼女はデザートを買ってくると言って席を立った。
ちなみに今日のデザートは、とろろそばだったがそれはデザートじゃない。
私が何度そう言っても彼女はデザートだと譲らなかったが。




