01 春休み
一度始めると中々キリがいいところまで終わってくれない。
区切れる箇所はいくつもあるけれど、どうしてもその先が気になってついついコントローラーが手放せなくなる。
昔に比べればシステムも使いやすく改良され、選ぶのに困ってしまうくらいの物語が溢れて顔がにやけてしまう日々。
据え置き機だけではなく、携帯機でも多数出るようにはなったが未だに私はそれを出先でやれた例がない。
もし、恋愛ゲームをやっている場面を誰かに見られでもしたらと思うと気が気ではなくなる。
顔見知りなんてとんでもない。けれど、赤の他人でも嫌だ。
周囲の目が気になって集中できなくなってしまう。
「……」
昨日の私は、ずっと出現させられずにいた隠しキャラをやっと攻略し、フルコンプ達成に満足しながら眠りについたはずだった。検索をかければ親切な攻略サイトはいくらでも出てくるけれど、それらを一切排除し自力でやるからこそ達成感もひとしおだ。
そうやって私はずっと、自力でフルコンプに拘っているせいで毎回クリアは遅い。
今は誰を落とすか最初に選び途中の選択肢でエンディングが決まるというゲームが多いので、そういう物はしらみ潰しにあたっていればそれ程時間をかけずにクリアできる。
だが、パラメーターやRPGと一緒になっている物もあって時間がかかる上にどこで分岐するのかが判らず一筋縄ではいかない。
RPGに恋愛要素がついて、キャラクターの数だけエンディングがあるゲームは今思い出しても良くやったと思える。普通にクリアするだけでも時間がかかる上に、攻略対象は十人を越える。
そしてキャラクターを操作して探索しなければいけないので面倒な事この上ない。入手するアイテムや、どこにいるかも判らない攻略対象を探して右往左往していたのは今になってはいい思い出だ。
最初は面倒で嫌だと投げそうになっていたゲームが、今では偶に引っ張り出してやりたいと思えるくらいになった。これはきっと上手いことそのゲームに教育されたお陰だろう。
ちなみに昨日で無事終わったゲームは乙女ゲームで、今日やろうと思っているのは同じ会社から出ているギャルゲームである。
女の子を落として何が嬉しいかと聞かれると困ってしまうが、可愛い女の子達を見ているのは癒されるし目の保養になる。
これが男の人たちが望む理想の女の子像なのか、と思いながらプレイするのも楽しい。
「ふっふふ~ん」
今回もいつものようにゲーム情報は事前にサイトで確認して、食い入るように見入ったキャラクターの中からどの順番で攻略していくかという計画を立てた。
後は、実際触ってみてからでなければ何とも言えないけれど第一印象がいい意味で裏切られる事は多い。
一番ショックなのは、合いそうな主人公の性格が全く受け入れられなかった時だ。
攻略対象に好みの子がいなかった時よりも地味にダメージが大きいが、今回のゲームは大丈夫だろう。
作る側は大変だろうなぁと思いながら、私はパッケージの裏に書かれている主人公の独白を読んでいた。
「は?」
気合もやる気も充分だった私が気がつけば周囲の状況が一変していた。
いつの間に眠っていたのか、目を開ければ見知らぬ天井が映る。
規則正しい電子音のようなものが聞こえ呼吸がし辛い。息苦しさに動こうとするが体が重くて上手く動かせなかった。
目だけを動かして口の辺りを見ると、酸素マスクらしきものをつけているので驚いた。
ドラマや映画でしか見たことが無いと変に興奮した自分を落ち着かせて、とりあえずゆっくり体を動かしてみることにした。
指、手、動く。
腕は、少し辛いかな。
足、両方ともちゃんと動く。よし。
どうやら五体満足らしく安心したが油断はできない。
「……はぁ」
ここはどこか。
恐らく病院だろう。
私は誰?
羽藤由宇大学一年生。家族は母、妹、私。ペットは年々巨大化している金魚のキンちゃん。
よし。
こういう状況で良くある記憶喪失という心配もなさそうだ。
しん、と静かな室内に不安を覚えて誰かが来るのをじっと待つ。一眠りすれば看護師さんが来るだろうと思ったが、再び目を開けても室内は静かなまま。
もしかして、私が眠っている間に来たのかもしれない。このままではどうにもならないので、誰かを呼ばなくては。
頭を動かしてナースコールを探すと、枕元にそれを見つけた。
腕を伸ばせば届く位置だが上手く体が動いてくれるかどうか。そんな心配をしながらナースコールに左手を伸ばすと思ったより滑らかな動作で動いた。
『羽藤さん? 羽藤さん?』
「あの……おはようございます」
確かめるように何度も呼ばれる名字に何と返せばいいのか分からなくなる。
「助けて」は違うし「すみません」というのも何だか変だ。そんな事を思いながら酸素マスクをずらし、普通に挨拶をしてみたのだが、ナースコールの向こう側が何やら騒がしくなった。
それからの出来事は、まるでドラマを見ているかのよう。
出演者の一人になったような気分になりながら他人事のようにその様子を見ていた私は、連絡を受けて駆けつけたらしい家族を見ても同じ事を思う。
「由宇!」
「あ……どうも」
私の名前を呼ぶ家族がどうしてそんなに心配そうなのかと疑問で仕方ない。
五体満足で意識もはっきりしており、どこも変なところは無いと私は思っている。
だからどうしても家族との間に温度差が出てしまうが、どうしようもなかった。
「どうも、じゃないわよ。全くあんたって子は……」
「すみません」
こういう時はとりあえず謝っておけばなんとかなるだろうと、私は今日やるはずだったゲームの事を考えながら頭を下げる。
計画まで立てて気合充分だっただけに、早く退院してゲームがしたい。
泣いて私の目覚めを喜ぶ家族を前にしてそんな事を考える私は、やっぱりどこかおかしいのかもしれない。
それも乙女ゲームをフルコンプした日から一ヶ月弱経っているなんて聞かされたら不安なんて吹っ飛んでしまった。
「い、一ヶ月!?」
「大体そのくらいよ。もう、良く分からないわね貴方も」
「娘に対してそれは酷いと思うけど」
どこも異常は無いからできるだけ早く退院させてくれ、と担当医師に頼めば苦笑されてしまう。無理をするな、大学のことは心配しなくていいと言ってくれる母親に、早く帰ってゲームがしたいのだなんて口が裂けても言えない。
妹はその目に涙を溜めて私の腕に縋りつくようにして離れない。あぁ、なんて愛らしくて可愛い我が妹だろう。
しかし、姉である私の頭を占めるのはゲームの事ばかりだ。
自分でも不思議に思うが、どこまで必死なんだろう。
これは何かの呪いか、病気だろうか。
「お姉ちゃんが無事で本当に良かった。中々起きてこないから見に行ったら、泡吹いて倒れてるんだもん。びっくりしちゃった」
「ごめんね。衝撃的な場面見せちゃって。全く記憶に無いのよね」
第一発見者は自慢の妹であるなつみだ。
彼女が言うにはどうやら私はその時点で心停止していたらしい。そこから病院に運ばれ一命は取り留めたものの意識が戻らずにいた、というわけだ。
原因不明だと告げられてはそれ以上何も聞くことはできず、麻痺が残らなくて良かったと言われて「はぁ」と頷く事しかできない。
テレビである奇跡的な回復というやつだろうか、と他人事のように思いながら精密検査の結果を聞いたのは昨日。
どこも異常なしだと言われて家族がホッとしていたのを思い出し、胸が痛んだ。
「大学が春休み中で良かったわ」
「もう、お姉ちゃんたら!」
駄目だ、私は駄目人間だ。
何故だかゲームの事ばかり考えて自分の事などどうでもいいと思ってしまう。異常は無いと言われたけど、やっぱりどこかがおかしいとしか思えない。
肉体ではなく精神に問題があるのだろうかと思ったが、それを口にすれば更に退院が遠退く気がしてやめた。
退院が遠退けばそれだけゲームソフトが積まれる。
黙々となつみが差し入れしてくれたイチゴのムースを食べながら、春休み中にフルコンプさせておきたかったゲームが頭に浮かぶ。
あぁ、困った。プレイするソフトの順番も考え直さなくてはならない。古いものから順にと思っていたけど、新しいのをやってから古いのに戻るのもいいかもしれない。
「うおおおお!」
「お姉ちゃん!?」
「ごめん、ちょっと……荒ぶりたい気持ちだった」
「先生呼ぶ?」
「ううん。大丈夫」
病室ではゲームができないので、本を読んだり病院内を散歩したりして暇を潰す。
そして、私は毎日様子を見に来る先生にいつ頃退院できるのかと尋ねては毎回苦笑されていた。
もう少し様子を見ようね、と子供を諭すように告げる眼差しと口調は優しいができれば具体的に教えて欲しい。
看護師さんにも毎回聞いているせいか、何かあるのかと言われてしまった。
早くゲームがやりたいんです、なんて馬鹿正直に言えるわけがないので笑って誤魔化す。
自分の体よりもゲームが大事なんて何度考えてもおかしい。
けれど、頭の中では積んでいるゲームの事ばかり浮かんでしまう。
ゲームをするにも体が資本だからね、と笑いながらなつみに言われた事を思い出して何とか自分を納得させた。こうやってゲームの事ばかり考え過ぎて、口にしてしまえば禁止令が出されるかもしれない。
倒れたのはゲームのせいだと本体とソフトが取り上げられてしまっては困る。
詰んでいるゲームもまだあるし、これから届く予定の物も、既に届いている物もある。
自分でも異常だと思うくらい、恋愛シュミレーションゲームは私の日常になくてはいけないものになっていた。
完全なる中毒者だと衝撃を受けながらスプーンを咥えていると、なつみがそっと自分の為に買っていたのだろうプリンを差し出してきた。
どうやら物足りない顔をしていたらしいが、ありがたくもらっておく。
「お姉ちゃん、ゲームし過ぎなんじゃないの?」
「え? でもそれとこれとは関係ないと思うよ」
我が妹ながら中々に鋭い。
一瞬頭の中覗かれたのかと思ってお姉ちゃんびっくりしちゃったよ、と乾いた笑みを上げた私をなつみがじっと見つめる。
これは完全に疑っている目だ。
「現実との区別はついているから大丈夫。私、そこまで変人じゃないから」
「まあ、それは心配してないけど。倒れる前も何だか奇声上げてなかった?」
「ハハハハ、気のせいじゃないかな」
あぁ、それは多分隠しキャラがやっと出現した嬉しさにクッションに顔を埋めながら叫んでいたせいだ。
夜だからなるべく静かにと思っていたけど、興奮が抑えきれなかったのよね。
流石に転げ回る事はしていないからそんなにうるさくなかったとは思うんだけど……うん。
「いいんだけどさ。お姉ちゃんもいい大人なんだし」
「そうそう。大人大人。オットナー」
「いい大人が休日は篭ってゲーム三昧ってどうなのかなぁ。花の女子大生がさ」
「ブフッ!」
それは言わないで下さいお願いします。
思わず噴き出した私を面白そうに見るなつみに、これはからかっているなと直感した。お姉ちゃんをからかうとは何事か。
しかし、なつみの言うことも事実で何も言い返せなかった。
私はそれで満足しているけど、他から見たら時間を無駄にしているようにしか見えないのかもしれない。
「そんなビクビクしなくても大丈夫だよ。同室の影山さんは散歩に行ってるんでしょう?」
「うん、中庭。よく一緒に散歩してる」
私がいる病室は四床一部屋なのだが、私ともう一人の入院患者しかいない。いつもは一緒に散歩をしたりしているのだが、なつみが来ているので一人で散歩に行ってしまった。
なつみが来たから気を利かせてくれたのだろう。窓際にある私のベッドからは中庭が見えるのだが、ベンチに腰掛けてのんびりと日向ぼっこをしている彼女の姿を見かけた。
ぼんやりとした性格の彼女は入院患者の中でも人気らしい。
ただ二人で散歩をしているだけなのに、あちこちから声をかけられてびっくりしてしまった。
「そっか。気を遣わなくてもいいのにねぇ」
「そう言ってるんだけどね。姉妹が羨ましいって言うから、私たちが話してるの見るのが辛いのかもなぁ」
これは完全に私の想像でしかないけれど。
なつみより年下の影山はるかちゃんは小さい頃から入退院を繰り返しているらしい。詳しい病状は判らないが家にいるよりも病院にいる方が長いかもしれないと言って笑っていたのが忘れられなかった。
薄幸の美少女とはこういう子を言うのだろうなと眺めながら、私でよければいつでも姉になると偉そうな事を言ってしまったのを思い出した。
ふざけた口調で告げたのだが、変な人だと思われてはいないだろうか。それが心配である。
「でもお兄さんいるよね? ちらっと見たことあるけど爽やかないい人だなぁって、私はそっちの方が羨ましかったよ」
「悪かったわね、こんな姉で。まぁ、でもやっぱり兄と姉では違うんじゃないのかな」
「そっか。私はどっちもいるから幸せだねー」
「私は兄と妹しかいないから、なつみの気持ちもあんまり判らないかなぁ」
姉がいたらまた違ったのだろうかとも思うが、いないのだから仕方がない。
そして兄という単語を口にするたびにむず痒い感覚になってしまうのは、胸に引っかかっているものがあるからだ。
私が微妙な顔をしていたのか、なつみは溜息をついて肩を落とす。
「お兄ちゃんも可哀想だよね。凄く心配してた妹に『あなた、誰?』って真顔で言われるなんてさ」
「あぁ……あぁ、うん。それはその、まだちょっと夢見心地でね」
なつみは私の真似をしながら唇を尖らせた。可愛いが、その事を蒸し返されると私は何も言えなくなる。
そして非常に気まずくなってしまった。