18 夢と現実
【神原直人】
こんばんは、神原です。
今日も一日平和に終わりました。
妹さんとは羽藤さんと仲良くなったお陰で学校でも話すようになりましたが、イベントらしいものは起きていません。
彼女もお姉さんの患者友達という程度の認識で接してくれてるので助かります。
そちらはどうですか?
【羽藤由宇】
こんばんは、羽藤です。
あの一件以来は特に変わった事はありません。
今のところは平穏ですが、油断はできませんね。
何かあったら連絡します。
神原君も、何か変わった事があったらメールください。
神原君とのメールのやり取りもすっかり日課になってしまった。
すぐに返信しなくとも気にしない性格なのが嬉しい。
メールを作成しながら榎本君の事が頭を過ぎったが、まだ何かあったわけではないので報告はしなかった。
はぁ、と息を吐いて伸びをすれば視界の隅に映る積み重ねられたソフトの数々。
ループを続けているせいで、ほとんどやり尽くしてしまったそれらはどこか物悲しげに私を見つめている。
これから発売されるソフトもクリアしてしまったので、今では育成ゲームや兄から借りた物で遊んでいた。
入院中もずっとゲームの事が頭から離れなかった私らしくもない。
本当にあの時はおかしいくらいにゲームの事ばかり考えていたのに今ではこれだ。
「フラグさんは今頃どこにいらっしゃるんでしょうね」
神原君に助けられてから、何事も無かったかのように暮らしている日々。
一週間後を無事乗り越えられたからといって油断ができないのは良く分かっている。
だから、これだけ穏やかに過ごせる事が逆に怪しいとさえ思えてしまうのだ。
いつどこでフラグが立ってまた病院からやり直すはめになるのか。
確実に狙っているだろう死亡フラグに怯えながら過ごす日々は窮屈で辛かった。
「このまま来年の五月五日も越えられればなぁ」
このままの流れに乗っていけば何とかなるかもしれない。
淡い希望を抱きながらラグの上に寝転がって抱えていたクッションを投げる。
死亡フラグに対して受身でばかりはいられない。みっともなく足掻いてやろうと思ってもできる手は限られてしまう。
巨大掲示板に書き込んで情報収集をしようとしたが、神原君によって却下されてしまった。不特定多数の人物が書き込む中で本物を見つけるのは非常に難しいからだ。
それに掲示板に書き込んだ私の結末も案じてくれているらしい。
「うーん」
ごろり、と横になって水玉カーテンの柄を見つめて溜息をついた。
神原君が私をパスワードつきのチャット式掲示板に誘ったのも、私が本物かどうか見極める為だったらしい。
結局真偽が分からないまま終わってしまったと告げていた彼だが、連絡が取れなくなったのはこっちのせいではない。
「あの文字化けも気になるけど、覚えてないって言うからなぁ」
適当にかけていたテレビから賑やかな笑い声が聞こえる。
男性アイドルグループの一人が思い切り粉の海に飛び込んでゆく。
起き上がった彼は顔を粉だらけにして他のメンバーたちに笑われていた。
その場面に既視感を覚え眉を寄せる。
最近こんな事ばかりで頭が混乱し、おかしくなりそうだ。既視感だと勘違いしているのか、それとも本当にそうなのかさえ分からない。
眺めていたテレビを消す前にザッピングしていた私はニュース番組でその手を止めた。
「変わってる?」
今まで変化が無かった内容が微妙に変わっているような気がして目を凝らす。
ニュースキャスターが着ている衣装は何度も目にしたものなのに、トピックスに知らない話題が増えている。
ただ自分があまり覚えていないせいだろうかと首を傾げつつも私はスマホを取って神原君にメールをした。
すぐさま返ってきたメールに驚きながら、私はその簡素な文章を読んで額に手を当てる。
「マジか」
幸運なことに神原君も違う番組で異変に気がついたらしい。
見ていたバラエティ番組の出演者が一部変わっていたというのだ。
何度も繰り返された中での異変。
画面の向こう側で淡々と原稿を読むニュースキャスターは、兄さんが好きそうなクールビューティさんだ。
紺色のスーツを着こなして長い髪を綺麗に纏め上げている彼女の声は落ち着いて耳に心地よい。
人気があるのも頷けるが彼女は既婚者なので、兄さんが随分と落ち込んでいたのを思い出す。
いい女や男は早々に結婚してしまうものだと頷きながら、私は暫く神原君とメールのやり取りをしていた。
変わっているのは自分かその他か。
数で言えば完全に私と神原君でしかない。
飽きる程繰り返されてるとは知らない日常を、幸せそうに過ごすその他の人たちが羨ましい。
大学の庭を食堂から眺めつつぼんやりしていた私は、遅い昼食を食べていた美智に不思議そうな顔をされてしまった。
「由宇、大丈夫?」
「うん。平気平気。問題ないわ」
「そう? そう言うならいいんだけど」
「わぁ、由宇ちゃんも美智ちゃんもここにいたんだ」
ぱたぱたと可愛らしく近づいてくるのは芦村悠子、愛称はユッコと言ってモモとは違った可愛らしさを持つ人物だ。
そして、私の目の前で日替わり定食を食べた上にシメと言ってうどんを食べているのが田中美智。彼女の胃袋もエンゲル係数も想像しただけで恐ろしくなりそうな大食いだ。
もっとも本人は、他人より少しだけ食い意地が張っているだけと言っているが。
「授業終わり?」
「うん。美智ちゃんはお昼?」
「そう。朝、あんまり食べてこなくてさぁ」
大量にネギを盛り付けたうどんを美味しそうに啜っていた美智の隣にユッコが座る。彼女はふわりとした可愛らしい春色のスカートを履いてブランド物の腕時計を反対の手で撫でた。
「あ、時計買ったの?」
「うん。シゲちゃんから貰ったの」
「うわっ、あんたそれ高いやつじゃない」
うふふ、と可愛らしく笑うユッコはどれどれと顔を近づける美智にうふふふと微笑む。
見えやすいように袖を軽くまくって腕時計を見せると、満面の笑みで惚気出した。
「うわぁ、凄いわ」
「見るからに高いと素人の私達でも分かるわね」
「だから恐ろしい」
円形のフォルムに鏡面仕上げのケースがぷっくりと膨らんでいる。文字盤は薄っすらと上品な桃色で青い針はサファイアだろうか。
リューズの部分を保護するようなデザインになっているのも珍しく、可愛らしい。
美智の驚きと時計の見た目から相当高いんだろう。
そんな高価なものを簡単に買えてしまえるユッコが恐ろしい、と眺めていれば彼女が首を傾けてニコッと笑った。
「そんなに高くはないよ。シゲちゃんからのプレゼントだし」
「確かにそうだけど……現実に戻っておいで」
「あぁ、そういうこと」
お金持ってる子って恐ろしいよね、と美智が溜息をつきながら同意を求めてくるので私も大きく頷いた。
ユッコは高級時計を愛おしそうに見つめて優しく撫でる。
うふふふ、と思い出し笑いをしながら幸せそうな表情をしている彼女は正しく恋する乙女だ。
そう言えば最近モモと一緒に買い物に行くと聞いたなと呟けば、美智が小声で教えてくれた。どうやら相手の男が女の子らしい可愛い格好が好きなのだと言う。
モモほど突き抜けてはいないが、それでもレースやフリルをあしらったスカートやブラウスを良く着るようになった辺り、相手が与える影響というものは大きい。
「シゲちゃんて、ユッコが今はまってる?」
「そう。他のゲームしても彼は殿堂入りしてるみたい。追加シナリオであの時計に似たものを貰うのよ」
「ユッコには勧めるべきじゃなかったって、凄く反省してる」
「同じく。ここまで中毒になるとは思わなかった」
教えたのは失敗だったんじゃないかと思いながらも、それにしては影響されすぎだと頭を抱えた。
ユッコと美智の二人が恋愛ゲームにはまるのに、通常ならもっと時間がかかる。
一年目の夏休みにちょっとした興味と暇潰しを兼ねてプレイしてみたら、胸にズッキュンと来てはまった事になっている。
しかし、二人は友達になってから日も浅い内にモモからの勧めで、モバイルの恋愛ゲームをするようになっていた。
これも今までとは違う点である。
あれだけ馬鹿にしていたような彼女たちはそこにはおらず、何となく興味はあったけど手は出せなかったという雰囲気で否定する事無くやっているのだ。
別に悪いという訳ではないし、幸せそうなユッコを見ていると教えて良かったとは思う。
「恐ろしい……財力って恐ろしい」
「うん。本当にそう思う」
そのお陰で市場は回り、経済が活性化するからいいのかもしれない。
だが意中の相手に貰ったプレゼントだからと言ってもそれは所詮画面の中での出来事だ。
実際にお付き合いしているわけでもなく、プレゼントを渡されたわけでもない。
けれども現実でそうされたかのように、ユッコは躊躇いもせず偶にこういう事をしてしまうから頭が痛い。
興味本位でユッコに時計の値段を聞けば「シゲちゃんが言うには」と前置きをして、このくらいだと教えてくれた。
中古の軽自動車が買えてしまう事実に震えながら、ブランド物の時計ならまだ安い方だから大丈夫と訳の分からない事を思う。
「私もやってみたい……真似できるわけないけど」
「分かる。私も、お金の限り食べてみたい」
「食べ放題で出金になった美智が言うと、哀しいからやめて」
「ごめん」
お家がお金持ちというのは本当に考え方も違っていて分かりません、と私が再び頭を抱えていればうどんを食べ終わった美智が盛大な溜息をついた。
その目はどこか虚ろで、天気の良い庭を散歩しているカップルへと向けられる。
「でもさ……画面の中ではとっても幸せなのに、ふとした瞬間に現実を感じると凄く空しくなるわよね」
「それ言っちゃ駄目だから」
「そうかなぁ。私は幸せだよ? シゲちゃんは裏切らないもん」
「ユッコ……」
恋愛ゲームにはまっているモモでさえ熱く語ったりはするが、現実とゲームの区別はきちんとついている。
しかし、頬を両手で包むようにして甘い声で笑うユッコの姿を見ていると、現実でロクでもない男に引っかかるよりはマシかと思ってしまった。
失恋の痛手を少しでも癒せればと思って勧めただけなのに、ここまでどっぷりはまってしまうとは。
「大丈夫だよ。シゲちゃんは、私の事だけ見つめてくれるし、浮気しないし、会う度にお金渡さなくてもいいもん」
「……普通は、そうだって」
「ユッコ……」
「私の事『可愛い可愛い』って愛してくれるし、凄く甘えさせてくれるんだから。我儘言っても『しょうがないな』って聞いてくれるし」
どうしてだろう。何故か涙が出てきた。
ユッコはどうして残念な男ばかりに引っかかってしまうんだろうか。優しくて尽くすタイプだから、そこに漬け込まれ惚れた男に遊ばれてしまうんだろうけれど。
恋は盲目と言うけれどユッコの盲目っぷりは目を背けたくなるものばかり。
彼女に比べれば自分の恋愛なんて可愛いものだ。ファッション程度のお付き合いにしろ、後腐れなく別れたのだから幸せじゃないか。
今までのユッコの恋愛遍歴を思い出して、私はそっと目頭を抑えた。




