177 魔王様と私
昔々あるところに、ある家族がいました。
優しい父と母。そして可愛い女の子。
三人はとても幸せに暮らしていました。
両親は共働きで忙しく、あまり家にも帰れませんでしたがそれでも大事な娘の為に母親はできるだけ彼女の傍にいる事を心がけていました。
それは父親も同じでしたが、母親以上に仕事が忙しく電話でのやり取りくらいしかできません。
ろくに家に帰ることもできない日々が続き、それにつれ母親の仕事も忙しくなってしまいました。
娘は両親が忙しい事を理解していたので彼らを困らせるような我儘はあまり言いませんでした。
彼女なりに両親が他の人たちにとても必要とされている事を感じていたのでしょう。
少しだけ寂しそうな顔を見るたびに両親も心が痛みましたが、今関わっている大きな仕事が片付けばゆっくりと時間がとれるはずだったのでそれは一生懸命仕事をこなしました。
「けれど、両親のそんな願いもむなしく娘はある日突然病に侵されます」
「そう。彼女はそのまま手の施しようがなくなって、死んでしまう」
「その後、研究による影響だと知った両親は自分たちを激しく責めます。特に、母親は」
「その通り。二人があの時娘に接触しなければ、娘はおろか自分の妹ですら亡くす事は無かった」
足元に広がる黄金畑と視界に映る光景は、私が最後にレディと会った場所そのままだった。
さわさわ、と穏やかな風が稲穂を揺らし未だ沈まぬ太陽が山から顔を出している。
鍋田さんと会話をした教室もこんな感じだったかと思いながら、私はにっこりと微笑んでこちらを見るその人に溜息をついた。
全ての壁を消したと思えばこれだ。
周囲に教授や榎本君の姿もない。
まんまと罠にはめられたか、と思いながらも不思議と危機感はなかった。
「研究による事故で汚染は世界に広がり、生き残ったのはその研究者夫婦だけって随分と出来過ぎじゃないですかね」
「鉱物持って逃走した研究者がいただろう?」
「あぁ、回収したとか言ってたはずですけど後の祭りですか」
「いいや。鉱物は欠ける事無く戻ってきたよ。問題は鉱物ではなく、その研究者だ」
それだけ嫌な想像が広がる。
あの夫婦や研究に携わる人々、研究所の上役はほとんど“何か”に感染していた。接触による感染で、その人物が適応者じゃなければ死に至るという恐ろしい不治の病。
鉱物、つまりパンドラ鉱石自体に害があるわけではなくそこからティアドロップを抽出する過程に問題があるとか言っていた。
教授や榎本君ならどういう事なのか分かるだろうけど、私は良く分からない。
それに、この世界の教授もだけれど雫の世界の教授や榎本君もパンドラ鉱石を研究していながらそんな危険な事になったなんて聞いたことは無かった。
世界が違うだけでそんなに変わってしまうものなのかと首を傾げてしまいたくもなる。
「その研究者による接触感染の拡大……。パンデミック、ですか」
「アレの恐ろしい所は原因が特定できなかったことだ。政府や研究所が機密扱いして漏れることは無かったからね。研究者から鉱物を受け取ろうとしていた国は、問題はその鉱石によるものだと喚いていたけど相手にされることはなかった」
「まぁ、そんな事言われても頭おかしいなこの人としか思いませんね。研究所を擁する国だって自国でそんな事やってると知られたらどうなるかなんて容易ですし」
暴動で済むならまだましだろう。
諸悪の根源として歴史に名を刻みたい国の代表たちなんて誰もいないはずだ。研究所の単独という事にして全てを押し付けるにしても、研究所には鉱物やそこから抽出した物質があるのだから下手に手を出せない。
強制捜査で抑えると言ってもその場でドカンとやられてしまえば終わりだ。
「体の中に爆弾抱えてるような状態ですか」
「そうだね。切り離しは不可能だから」
「軍が動きそうな気がするんですけどね」
「無理だよ。パンドラ鉱石ひとかけらあれば、一個師団は優に壊滅できる。ティアドロップ三滴あれば一国が消滅できる」
「一個師団……」
「あぁ、一万人前後かな」
さらりと答えてくれたその規模が大きすぎて私は眉を寄せた。
どう見てもそんな害を与えるような物には見えなかったが、目の前の人物が嘘をついているとは思えない。
レディもこの場で同じような昔話をしてくれたからだ。
二人で口裏を合わせていたならまだしも、私を騙す意味などないだろう。
「その威力を誰よりも良く知っているのは研究者であり、下心を持ちながらその研究を秘密裏に支援してきた国だ。国というよりも、政府と言うのが正確かな」
「……いつだって、犠牲になるのはその他大勢の一般市民ですからね」
正直者が馬鹿を見て、救われることはない。
真っ先に犠牲になり軽く扱われる命。
「魔王様はどこまでご存知なんです? レディからも話は聞きましたけど、私はあまりよく理解できてないんですよね」
「どこまで……そうだね。その夫婦が知りえる範囲で、かな。私で良ければ答えるよ」
「そうですか」
魔王様は稲穂揺れる田んぼの真ん中に立ってそう言うと綺麗に笑った。
私はその様子を見つめながら畝に腰を下ろす。
目の前にレディを攫った人物がいるというのに私の心は落ち着いていた。自分でも不思議に思うが、魔王様に敵対意思が無いせいかもしれない。
ともかく、出会いがしらに一発殴るタイミングを失った私はもやもやとした気持ちを抱えながら息を吐いた。
最初に尋ねたレディの安否は無事にしているとの事で、神や魔王様が彼女を傷つけるわけもないかと苦笑する。
「神様はその研究者夫婦で、レディはその娘。それで合ってます?」
「あぁ、大体合ってるよ」
「大体……」
「彼らも色々と複雑な関係でね。それはそうと、ユウ。君にはあの神がどう見えた?」
「どう、と言われましてもねぇ」
もやもやしていて、はっきりとその姿が分からない。
見ようとすればする程その輪郭がぼやけてしまい記憶に残りにくい姿だ。
威圧感と本能からの恐怖は今思い出しただけでも震えてしまうというのに。
けれど、最後にアレを見たときはその姿がはっきり見えたような気がした。私の思い違いでなければ、の話だけど。
「私の知っている人物に見えた気もしますけど、それはそう見えるように操作されたからかもしれませんし」
「ほぉ?」
自分が見たものに関しては半信半疑。
けれど、何があってもいいように警戒だけはしていた。
相手もそれに気づいているような気もしたけれど、何も言わず知らない振りをしてくれたような感じがする。
その時点で私は上手く掌の上で転がされているのかもしれないけれど。
楽しそうに含み笑いをする魔王様は長い指を顎に当てながら切れ長の目を細めた。
嬉しい事や楽しい事、面白いものを見つけた時の表情だなと思いながらその表情一つで感情すら推測できてしまう自分に苦笑する。
思ったより、付き合いが長くなってしまったのは喜ぶべきなのか悲しむべきなのか。
それすら演技かもしれないじゃないかと自分に溜息をついていると、くつくつと笑い声が聞えた。
どうやら本当に楽しかったらしい。
「本人に確かめたりはしたかい?」
「するわけないじゃないですか。『貴方は神様とそっくりですが何か関係あるんですか?』って聞いて『はいそうです』なんて素直に答えてくれると思います?」
「聞いてみないことには、分からないよね」
「殺人事件の犯人、私分かっちゃったって単独行動して死亡フラグ立てる人にはなりたくないです」
犯人を脅迫したり、一人で確認するためにその人物を追いかけてみたり。
匂わす程度の情報だけを口にして後日死体で発見されるような役はごめんだ。
私の分かりにくかった例えが魔王様にとっては非常にツボだったらしく、腹を抱えて笑っている。
涙を浮かべるくらいに喜んでもらえて良かったが、そこまで笑い続けることはないと思う。
「確かに。状況によってはその場でさっくりやられてしまうからね」
「それをしないのかと言う貴方の神経が相変わらずだな、と少し安心しました」
「……怒ってる?」
「いえ、別に」
どうしても魔王様を前にすると上司と部下の関係が復活してしまう。
自然にスイッチが切り替わる感じだ。
それはきっと、魔王様が魔王様の姿だというのも関係しているんだろう。
クラーに憑依したりしていれば姿が違うのでここまでピリッとした緊張感はない。
「ただ、レディをどうするつもりですか? 現状は充分に把握していると思いますが」
「もちろん」
「それと、私だけをここに引きずり込んだ理由は? 教授と榎本君がいても貴方に不利とは思えませんけど」
「言うね。分かっていてそんな事を言うんだからユウも相変わらずだ」
漸く辿り着いた扉の向こう側へ入った時に罠だと気づいた。
とっさに戻ろうとしたが気づけばこの場所へ飛ばされている。
周囲を見回せど二人の姿は見えず、思わず舌打ちをしてしまった私に魔王様がのんびりと声をかけてきたのだ。
笑顔を浮かべながら「やあ、よく来たね」なんて暢気な声で。
思わず拳を握った私が飛び出せなかったのは、それよりもレディの安否確認を優先したからだ。
それと、今までの関係性が壊れていたなら冗談でもノリでもいきなり殴りかかるのは非常にまずい。
気持ちとしてはそんな事は関係なくボコボコにしたかったけれど、冷静に力の差を考えれば私が不利だ。
それも、圧倒的に。
無理に対峙する必要はないと判断して、逃げながら他の道を探すしかないと思っているところに魔王様が昔話をしてきた。
レディから聞いた話と同じものを。
「さあ、何のことやら」
「……私は随分と、嫌われてしまったようだね」
「好かれている自信があったんですか?」
「厳しいねぇ」
敬愛しているがそれは好きとは違う気がする。
尊敬はしてますと告げれば、魔王様は顔を逸らしてプッと噴き出した。
本当に締まらないというか緊張感が無さすぎてこちらががっかりしてしまう。
足止め、時間稼ぎを考えながら私は頬杖をついた。
「魔王様はどちらの命令に従っているんですか?」
「さあ、どっちだと思う?」
「神様の命令なら、こんな面倒な方法取らずにさっさと私達を消すでしょうから、レディの可能性が高いとは思いますけど」
「しかし、君たちに危害を加えるなと命令されれば神という可能性もある」
「それはないでしょう。神にとって私はもう鬱陶しく纏わりつく羽虫のようなものですから。邪魔だと思うなら、先に潰してしまえばいいだけですし」
神原君の話のみで私はあれから神様たちに遭遇した事がないのでどうなるかは分からない。
けれど、神原君ですら眼中にないようだったなら私なんてそれ以下だろう。
それでもこうして彼らにとっての邪魔をする存在が懲りずに現れたら、さっさと消してしまえばいい。
私が逆の立場ならどうせ弱いんだからと言って放置はせず、あっさり潰してしまうだろう。
後顧の憂いは少しでもない方がいい。
「その羽虫ですら目に入っておらず、放置しろというのなら話は変るんじゃないかい?」
「万が一を潰さないほど馬鹿じゃないと思いますけど。一般人ならともかく、私は異常ですから」
予想していなかった人物のイレギュラー化。
世界のバグのようなもので、そのせいで上手くいかないなら無視できるような存在じゃない。
さっさと潰そうと思うのが普通だ。
それで潰せなかったから今の私がこうしてあるのかもしれないけど。
「ふむ。やはり、君を足止めするのは難しそうだ」
「そうですか」
その言葉にゆっくりと立ち上がった私は、呼吸を整えて真っ直ぐに魔王様を見つめた。
楽しくない下克上。
あぁ、こんな時にモモがいてくれたらなと思いながらこんな時にまで他人に頼ろうとしてしまう自分を嘲笑した。




