15 同士
鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔をしている神原君に、私は不安になった。
迂闊なことなんて言っていないはずだ。
そんなヘマをやらないように日頃から気をつけているつもりだが、もしかしてやってしまったんだろうか。
喫茶店に来てはいないから初対面で、自己紹介までちゃんとできたと思う。
不審者扱いされないようにチョコレートで釣る作戦も上手くいったと思うけれど、余計怪しかったかな。
「僕、甘い物好きなんて言ってません」
「え? 嫌いだった?」
「好きですけど……どうして羽藤さんが知ってるんですか?」
「……え?」
え?
どういうこと?
え? 何が?
警戒するように目を細めて見つめてくる神原君に私は首を傾げながら言葉の意味を考えた。
甘い物好きなんて言ってない。つまり、甘いものは苦手?
いや、だったらチョコレート作戦が成功するはずがない。久しぶりとは言っていたけど、嫌いだとは言っていない。
人の好意を無碍にできなかった、という事?
いや、違うわ。何か違う。
「甘い物が好きって一言も言っていないのに、どうして甘いものが好きだって分かったんですか?」
「え?」
言動には気をつけていたはずなのに、やってしまったのか私は。
やばい。
やばい、やばい。
フラグさんがウォーミングアップを始めてらっしゃる。
「な、んとなく甘い物が好きかなーって思ったの。ほら、チョコレートだってほとんどの人が喜んで食べるじゃない?」
「はぁ……」
「それに体にも色々といい効果をもたらすって言われてるじゃない?」
「そう、ですね」
「食事制限されてないって言ってたし、男の子でも甘いものが好きな子が増えてるからきっと貴方もそうだと思ってしまったのね。ごめんなさい」
繕う為に早口になっているけど今更直せない。
こうなったらこのまま無理矢理立て直して畳み掛けるしかない!
「貴方くらいの歳なら尚更、お菓子とか好きでしょ? チョコ渡した時に苦手だって言ってなかったし」
「はぁ」
「久しぶりだなって嬉しそうに言ってたから、あぁ好きなんだなって思ったのよ」
「普通、好きならいつも食べてるとは思いませんか?」
「先生から止められてるって事もあるじゃない」
けれど食事制限されていないと言っていたから大丈夫だという事になる。
冷や汗を必死に押さえながら少し困った表情をして首を傾げた私を、神原君は探るようにじっと見つめてきた。
変な女みたいでごめんね、と謝れば彼は慌てて首を横に振った。
お人よしなのはゲーム内と変わらないようなので、狡いがそこを突くしかない。
「あの……僕のこと、覚えてますか?」
「え?」
「僕のこと分かりますか?」
「神原君よね、神原直人君。今度高校生になる」
首を傾げてそう告げると彼は眉間に皺を刻みながら私を見つめた。
背筋を駆け抜ける悪寒に震えながらもそれを表には出さず、それがどうしたのかと尋ねた。
もどかしそうな表情をする神原君から私は違和感を抱く。
彼はもしかして……。
「そうじゃなくて!」
「ご、ごめんね」
「あ……すみません」
堪りかねたように両拳で自分の膝を叩いた神原君の剣幕は凄いものだった。
思わず体を震わせて身構えてしまった私に、彼は慌てて謝る。
神原直人と言えば、穏やかで優しくて、優柔不断でちょっと苛々しちゃうような普通の男子高校生だったはず。
まぁ、それはキュンシュガ内での話だから非常に酷似してる世界のここでは違うのかもしれないけど。
それにしても殺気立ってこんな怖い顔の彼が見られるとは、ちょっと得した気分になってしまった。
性格悪いなぁと思いながらどうやって話題転換しようか考える。
「僕に前世の話してくれたじゃないですか。チャット式掲示板や他の掲示板でも書き込んでて」
「え? え? 誰かと勘違いしてない?」
「何でですか? どうして、知らないふりするんですか?」
あぁ、やっぱり。彼も、か。
その質問に答えてあげたいのは山々だけど、フラグさんが準備万端でこちらを見つめていらっしゃるので不用意な発言はできない。
ああ、足止め用の器具に足を置いて感触を確かめてらっしゃる姿が見える……見える。
「また僕は……ひとりぼっちなんですか」
諦めたような笑みを浮かべている私の耳に入ってきたのは、寂しそうに呟かれる言葉。
今にも泣きそうな顔をした神原君が、膝に置いた手でパジャマを握り締め小刻みに震えていた。
口を真一文字に結んで、充血した瞳からは抑え切れなかった滴が零れ落ちる。
声を押し殺しながら自分の足を睨みつけるように俯いて泣く姿に、私は瞬きするのを忘れてしまった。
これは、いつかの私だ。
そう思うと何だか笑えてしまう。
泣いている彼に失礼だとは思ったけど、湧き上がる笑いを堪え切れずに私は顔を逸らして手の甲を口に押し当てた。
くっくっ、という声が漏れてしまうのはしょうがない。
腹筋がピクピクし始めた頃、異変に気づいた彼のぶっきらぼうな声が聞こえた。
「なんで、笑うんですか。僕がおかしいからですか」
「あはははは。ごめんごめん」
「頭がおかしい事を言ってる自覚はあります。いいですもう。何でもないです。僕には関わらないで下さい」
あらら、拗ねちゃった。
それにしても驚いた。まさか、彼もだったとは。
仲間を見つけた嬉しさと驚きが綯い交ぜになり、語らえる時間の少なさに寂しさを感じる。
私は、なつみに対してそうするように神原君の頭を撫でた。
喫茶店で彼を見た時に、サラサラしていい手触りだろうなと思っていた黒髪は今ではゴワゴワしている。
栄養が偏っているのか、ストレスの現れなのかは分からないけど勿体無い。
綺麗な天使の輪ができて可愛いかったあの頃を思い出すと、胸のが少し温かくなった。
「何ですか今更。あの後いくら話しかけても知らない振りしてたじゃないですか」
「それはちょっとね。まぁ、お互いに色々聞きたいことがあるとは思うけど先に私から言っておくわね」
「なんですか」
機嫌が悪いのにちゃんと人の話は聞く。
いい事でいい子だ。
弟がいたらこんな感じなんだろうか。
そう思いながら私は手を下ろして彼と向き合った。
浮かべている笑顔をそのままに、私はさっきと同じ穏やかな口調で告げる。
「私、あと一週間後が命日だから。それよりもっと早まるかもしれないけど」
「え?」
「前に貴方に前世の事を話した時があったじゃない? あの時はその一週間後に死んでたの。掲示板に書き込んでたりしてた時は、翌日だったけど」
「え、え?」
訳が判らないと目を白黒させている彼を見つめ私は溜息をついた。
虎さんに話したり掲示板に書き込んだりしてた時は翌日だった。暴露した内容によって日数が延びたり早まったりするが一週間以内に死亡するのは変わりない。
さて今回はどっちに入るんだろうかと思いながら、話を続けた。
「二つの違いは、恐らく現状を話しているか否か。前者は前世の事しか話題にしていなかったけど、後者は自分の置かれてる状況を正直に話したわ。まぁ、相手にされなかったけどね」
「一週間後と、翌日……ですか」
「そう。そう考えると、現状を正直に告白する事の方が危険度が高いってこ」
最後まで言い終わらない内に体が傾いて後頭部に強い衝撃を受ける。
痛みに呻きながらも、随分早いご到着で、とフラグの到着を冷静に受け入れている自分がいた。慣れたものだと苦笑していれば、何かに圧し掛かられていることに気がつく。
ん、何?
痛みに顔を歪めながら私が大きく瞬きを繰り返していると、私の上に乗っていた神原君が慌てて身を離した。
どうやら神原君が私に覆いかぶさっていたらしい。
今回の殺人者は彼なんだろうか。焼け付くような痛みはまだ無いけど、絞殺か?
「す、すみません。危なかったので、つい」
「危なかった?」
「はい。あれ……」
上体を起こした神原君がベンチの向こう側を指差すが、背凭れが邪魔で見えない。
まだちょっと圧し掛かられてる私は、そのままの体勢でベンチの隙間から覗いてみた。
ベンチの隙間から神原君が指した方向を探すと、木の幹に何か刺さっている。
キラリ、と反射する鋭利な何か。
ん? あれは、ガラスの破片?
「何でガラスがあんなところに?」
「分かりませんけど、急に派手な音が響いたと思ったら飛んで来たので……」
「派手な音?」
私にはさっぱり聞えなかったが彼が嘘をついているようにも見えない。
破片が幹に刺さっているのを見れば飛んで来たのも嘘じゃないと分かる。
これはフラグか。
彼に押し倒されていなかったら、私はあれに突き刺されて死亡していたのかもしれない。
最近はいきなりフェードアウトばっかりだったからここに来て痛いのとかは勘弁して欲しい。
ただ単にループして欲しいならもっと穏やかにしてくれ。
「危なかったです。怪我は無いですか?」
「あぁ、うん。ありがとう」
後頭部と背中が痛いけど、あれが突き刺さる事を想像したらかなりマシだ。
それより神原君の方が怪我してしまっているので、申し訳ない。
早く手当てをするべきだと言う私に、彼はただのかすり傷だから大丈夫と言って笑った。
頬も痩け、私が知っている神原君とは遠い見た目になってしまっている彼だけどこういう場面での彼はゲームの主人公を思い起こさせた。
やはり、彼はキュンシュガの神原直人なんだなとしみじみ感じながら私は苦笑する。
「それでね……退いてもらってもいいかな?」
「ぅあ! ご、ごめんなさい」
「ううん。わざとじゃないって分かってるから大丈夫。寧ろ、ごちそうさま」
顔を真っ赤にして飛び退く神原君は耳まで真っ赤にして可愛らしい。
私はグッと親指を立てて彼に大きく頷いた。
神原君は顔を手で覆って「うわー」と叫んでいる。
木の幹に刺さっているガラス片は勝手に抜けてまた私の方に飛んでくるんだろうか、と思っていれば病院のスタッフがやってきた。
突然窓ガラスが割れて破片が飛び散ってしまった事を説明し、詫びた彼らは神原君と私が指差す方向を見て青褪める。
それはそうだろう。神原君が身を挺して庇ってくれなければ私にグッサリ刺さって、陽気な昼下がりには相応しくない惨状になったところだ。
処置が間に合うのと、急所外れてれば死ぬこともなさそうだけどフラグさんはわりと本気で殺しにくるから希望なんて抱けない。
絶対急所どんぴしゃコースに決まってる。破片を取り除く処置中に不幸な事故が起こるなんて事もあり得るから恐ろしい。
「多分ね、今のがそうだと思う」
「え? だって、翌日って……え?」
「いつ死亡するかは、決まってないみたいなのよね。確実にこれがフラグだって証拠はないけど、何となく分かるのよ。あぁ、来たなって」
スタッフが回収していったガラス片は充分凶器になる大きさで、ゾッとする。
例えその破片が小さかったとしても数で勝負してきそうで嫌だ。
眉を寄せてスタッフの後ろ姿を見つめていると、神原君が顔を歪めて俯いてしまった。
怒ったり泣いたり、照れたと思ったらまたしょぼくれた顔して表情豊かで羨ましい。
「僕のせいですね」
「違う違う。あれは元から? のようなものだし。神原君のせいじゃないよ」
どうしてそう思うのかは知らないけど、それは違う。
私を殺す人物に彼は入っていないし、関わりもないはずだ。
関わるとしたらなつみと交際する場合くらいだろう。
だからそんなに落ち込む必要がないのに、どうしてそこで頭を抱えているのか。
私の死亡フラグを回避してくれた救世主だというのに。
「昼間……か」
そう言えば今は昼下がりで黄昏時には程遠い。
毎回死ぬのは決まって黄昏時ばかりだったので、妙に落ち着かなかった。
今まで黄昏時にばかり死亡するのは単なる偶然だったのか、それともどこかで何かが変わっているのか。
確かめようにも術がない、と唸る私の隣では神原君が頭を抱えたまま深い溜息をついていた。




