14 再会
動悸、息切れが激しい。
けれど残念ながら恋のときめきではない。
今の私は標的者を見つけた暗殺者の気分だ。
いや、それも訳が分からないかと首を傾げながら私はゆっくりと歩く。
同じ場所をぐるぐると回りながら怪しまれない程度に木々を見上げたり、空を見つめて大きく伸びをしたり。
離れた場所に座って相手の様子を窺ったりしている。
できるだけ自然に、そして相手に気づかれないように観察するのは難しい。
これは暗殺者というよりもストーカーか、と慌てて周囲を見回すが私を不審な目で見ている人は誰もいなかったので安心した。
「いい天気」
ぽかぽか陽気の晴れ渡る青空に沈んでいる気持ちも軽くなる。
鳥が囀り、穏やかな風に頬を撫でられながらぼんやりしていると、ここが病院であることを忘れてしまいそうだ。
これが春の力かと思いながら私はちらりと隅にあるベンチに目を向けた。
こんなにいい天気で気分も上がってしまうというのに、その場所だけ暗雲が立ちこめたかのように暗い。
どんよりとして、湿っていそうな雰囲気がどうしても気になって仕方がない。
けれど身の安全を考えると躊躇ってしまう。
話しかけて私の身に何か起こったらどうしよう。
でも話しかけないで後悔しながら死んでいくなら、声をかけた方がいいに決まっている。
いやしかし……。
先程から心の中で葛藤してばかりで無駄に時間が過ぎていった。
あー駄目だ。接触してから考えよう、そうしよう。
死んだらその時。またやり直せばいいわ。
どうせまた今回もどうせループするんでしょ、と溜息をついて私は腰を上げる。
羽織っているカーディガンのポケットに手を入れると、チョコレートが入っていた。
そうだ、これで釣ってみればいい。
彼は甘い物が好きだったはずだからきっと成功するだろう、と私は近づいてゆく。
「こんにちは、いい天気ですね」
見よ、この鍛えられたスマイルを、演技力を!
私は心の中で得意気に呟きながら、穏やかで優しい笑顔を浮かべてベンチに座る彼に声をかけた。
木々の下にあるベンチは木陰になっていてひんやりとしている。
日陰だからという以上に、座っている人物が発しているオーラのせいかもしれない。
陽気で暖かいはずなのに寒気が止まらなかった。
「ええと……」
カーディガンの上から腕をさすり、私は一向に顔を上げない彼に困ってしまう。
足音を立て、気配もさせて彼の視界に入るように話しかけたはずだから聞えていると思う。
もしかして具合が悪いのかと思った私は、彼の顔の前に手を突き出して軽く振る。
「うわぁ!」
飛び上がるように驚いた彼は私を見上げてその瞳を更に大きくさせた。
目の下の隈が酷く、私が知っている彼とはだいぶ違っている。痩せこけていて、人違いをしたかと思うほどだ。
半歩退いてしまった私は、表情だけは穏やかなものにしながら隣に座ってもいいかと尋ねた。
詰めれば四人ほど座れそうなベンチを指差して首を傾げる。
駄目ならこのまま退いて作戦を練り直す。
次回があるまで接触が無いなら、次回の為に念入りに考えればいいだろう。
私とベンチを交互に見比べる彼は、どこか怯えたような表情をしながら眉を寄せた。
不審者扱いされているかもしれないので、ここは退くのが吉か。
「ええと、駄目ならいいんだけど」
「あ、いや、そうじゃなくて……えっと、どうぞ」
あたふたと慌てた様子の彼が変な踊りを踊るようにくねくねと動く。
思わず笑ってしまいそうになったのを咳払いで誤魔化して、私は申し訳無さそうな表情を作った。
「無理言ったみたいで、ごめんね?」
「あの、いえ、ごめんなさい」
他にも空いてるベンチはあるのに何でわざわざここにくるのかと怪しまれてしまったのかもしれない。
これはやっぱり一回退いてから態勢を整えなければ。
そう思って立ち去ろうとした私は、引っ張られるような感覚に振り返った。
見れば、カーディガンの裾を彼が握っているではないか。
「あの……邪魔しちゃったみたいだからやっぱりいいかなと思って」
「いえ、ごめんなさい。そうじゃないんです。ごめんなさい」
暫く見つめ合った私と彼だが恋は芽生えない。甘酸っぱいときめきがこんな場面で発生しても困るけれど、と思っていれば彼が慌てたように手を離して謝罪の言葉を繰り返した。
何だろう? この怯え様は。
よっぽど私が不審者だったのか、それとも彼に何かあったせいか。
この時期に病院を訪れるようなイベントは無かったはずだと考えながら、ブツブツと何かを呟いて俯く彼を見つめ、ベンチに座る事にした。
間に一人分の空白を開けて座った私に、彼は驚いたような顔をする。
「えっと、何かついてる? それとも、変な人って思われちゃったかな」
「い、いえ」
退こうとしたら引き止められたので、チャンスかと思って座った。
けれど、こんなに驚かれるという事はやっぱり退いた方が良かったんだろうか。
何か上手い言い訳を考えなければ。
暗い顔してたから気になって。
見ず知らずの女にいきなり馴れ馴れしく話しかけられて、簡単に受け入れられる子がいるか。いないな。
第一私はそんなキャラじゃないので却下。
私、羽藤なつみの姉です。なつみから君の事を聞いていたから……。
問題外。
なつみと接触があるかも分からないので外した場合の言い訳が面倒くさい。
何より死亡フラグがダッシュで駆けて来そうな予感がする。
今回は私とも出会ってすらいないんだから頭がおかしいと思われてしまうだろう。
何回目かの時に前世の記憶があるって言った時も変な顔をされてしまったし。
いや、分かっている。それが正しい反応だっていうのはよく分かっている。
あの時は可哀想なものを見るような目で、何も言わなくて良いですって優しく諭されたような気がした。
懐かしいなぁ。
「ごめんね。変な人だね。落ち込んでるようだったから気になっちゃって。ごめんね、迷惑なお節介だよね。一人にして欲しい時もあるのに。嫌だったらすぐに立ち去るから言ってね」
「あ、大丈夫です」
だったら一人にしてください。
私の知っている彼はそんな事を言うタイプではない。
目の前にいる彼の本心はどうなのか分からないが、とりあえずこうして傍にいる事は許された。
さて、問題はこれからだ。
前世の記憶持ちだと告白するか、なつみの姉だと告げた時点でフラグが立つのは経験済みだ。
だから、後でなつみと出会うにしても私は知らない振りをしなければいけない。
試されるのは私の忍耐と演技力だ。
「あの、お姉さんはどこか悪いんですか?」
「え?」
「あ、すみません。悪いから入院してるんですよね、ごめんなさい」
「あぁうん。気にしないで」
どうしてこんなに怯えているのかが謎だ。
私の外見が強面なら分かるがそんなわけがない。けれど、彼はチラチラと私を見ながら縮こまっている。
見えない何かに怯えるように俯き加減で話す彼は、さっきから私と目を合わせようとはしなかった。
そわそわして落ち着かないし、トイレかな?
「家でいきなり気を失っちゃってさ。気づいたら病院だったの。漫画とかドラマみたいでしょ?」
「大丈夫なんですか?」
「うん。検査の結果が出たら退院できると思う。この通り元気だから問題ないと思うけどね」
「そうですか」
退院できてからも気が抜けないのが難点だ。
五月五日エンドループが偶に大晦日エンドループになり、今では病院エンドループ。
どうせまたこの場所に戻ってくるんだろうと思うと憂鬱で仕方ない。
けれど退院できると思うだけでやっと楽になれると思うあたり、ハードルも随分下がったものだ。
大変なのはその後も同じだというのに。
「あ、ごめん。自己紹介がまだだったね。私は羽藤由宇。高校卒業したてで、これから大学生になるところ」
「僕は神原直人と言います。中学卒業して、今度から高校生です」
「あら、うちの妹と一緒だわ」
さり気なさを装ってそう告げると微妙な笑い方をされてしまった。
これはなつみを知っているという反応なのか、それとも小馬鹿にしているのか。
神原君に限って人を馬鹿にする事はないと思うから、なつみを知ってると考えるのが妥当だろう。
さて、一番の問題はどうして彼がここにいるのかだ。
直球で聞きたいがこの雰囲気ではちょっと難しい気がする。
いやしかし、私が理由を話したから彼も話してくれるかもしれない。
嫌がってそうな雰囲気だったらすぐに話題を変える事にしよう。
そう思いながら彼を見つめると、組んだ手の指を動かしながら小刻みに足を動かし落ち着きが無い。
彼はこんなに痩せぎすだったかな、血色も悪いし目は血走ってギョロリとするくらい痩けていただろうかと心配になった。
「神原君は病気?」
「いえ、あ……でも、そんなものだと思います」
怪我か病気かという意味で聞いただけなのにどう取ったらいいのか分からない返答を貰ってしまった。これは一体どういうことか。
一回否定しようとしたってことは、病気じゃない?
でも、その後すぐに似たようなものだって言ったからやっぱり病気なんだろうか。
「そっか。お互い早く退院して入学式迎えられるといいね」
「そう、ですね……」
「もしかして、高校入るの嫌?」
反応が薄いのは私と会話しているのが嫌なのか、それとも話題が嫌なのか。
警戒されないように気をつけながら、手探りで話しかけては彼の反応を見る。
高校という単語を聞いたとき、彼の目が一瞬細くなったような気がしたのは気のせいか。
なつみの名前を聞いた時に心底驚いた表情をしていたのも気のせいなのか。
それともただ、中学から高校という環境変わるから心配事が多いんだろうか。
だとしたら、心配はいらないよ。見た目チャラ男な沢井君の方から声をかけてきてくれるし、強制イベントで可愛い女の子たちとも出会えるんだからと言ってあげたい。
正に憧れの高校生活がこれから貴方を待っているんですよ。
「違います、けど。僕なんかいてもどうしようもないって言うか」
「そんな。まだ入学もしてないのに。もっと前向きに考えようよ」
「それはっ……!」
今まで俯いて歯切れの悪かった彼が、急に顔を上げ力の篭った目で私を見る。
眉を寄せて口を半開きにした神原君は悔しそうな表情をして、私が何か言う前に再び顔を下げてしまった。
ごめんなさい、と弱々しく呟いた言葉に首を傾げながら、能天気な発言をしすぎたかと反省する。
彼と私には大きな温度差があるようだ。
それを知りたい私に対して、彼は壁を作りながらこちらの様子を窺っている。
これは長期戦になりそうだなと思いながら、私はゆっくりと息を吐いた。
「何か辛い事でもあった?」
「言っても、無駄です」
「そっか。それは残念」
ここはゲームの世界に酷似してるけど、そうでもないという事か。
私がこれだけループ繰り返してる時点で、似ているけど違う世界なのは確定だろうけど。
でもゲームの設定や登場人物が気持ち悪いほど出てきてるから同じだと錯覚するのも仕方ない。
例え似通っているだけで同一じゃないとしてもだ。
もしかしたら、ゲームの中に取り込まれたんじゃないかという恐怖もある。
だとしたら私も家族も世界も、当然隣にいる神原君も0と1の羅列なんだろうか。プログラムが自我を持ったとかいう映画があったのを思い出しながら私は眉を寄せた。
「何も知らない方が、楽ですよね」
「え?」
「何も知らないでいられれば、どれだけいいかって最近はそんな事ばかり考えます」
「お年頃かしら」
どっかで聞いたことのあるような言葉だけど、どこだっけ?
何か、似たような光景を見たような。
いつ? どこで? 誰が?
思い出せそうで思い出せないこのもどかしさに苛々する。
私が内心で頭を抱えている中、神原君は自嘲するように口の端を上げて自分の手を見つめていた。
ガサガサして、ささくれ立っている彼の手は所々引っかいたような痕もあって荒れている。
一体何をしてそこまで手がボロボロになってしまったんだろう。
私はポケットの中からチョコレートを取り出してタイミングを窺った。
「はい」
「え?」
「あげる」
スーパーで売られている袋入りミルクチョコレート。
飾り気が無くシンプルだけど生クリーム入りで美味しくてお得。
三角形のイチゴチョコとミルクチョコレートの二層になっている物や、派閥争いが起こる物も病室の冷蔵庫に入っている。
その中でも美味しくて安いのはこれだ。
もしかして神原君には音符チョコの方が良かっただろうか。
ホワイトチョコレートとミルクチョコレートの二層になってる音符チョコは兄さんが買ってきてくれたものだ。
「食事制限とかされてる?」
「いえ、大丈夫です」
「そう」
嬉しいような、困ったようなそんな変な顔をしているので嫌いなのかと思ってしまった。
喫茶店で美味しそうにパフェを食べたりしていたから、甘いものが好きなはず。
公式設定には甘い物が好きとは書かれていなかったけれど。
それはゲーム上、できるだけプレイヤーが主人公に感情移入できるように、あっさり薄味のキャラに仕上げてあるからだ。
名前、誕生日、血液型はデフォルトがあるものの自分で自由に変える事が出来る。
神原直人というのはデフォルト名だ。
「どうしたの?」
「いえ、チョコレートも甘い物も久しぶりだなって思って」
「え、そうなの? 甘い物好きなのに?」
わざわざ学校から遠い叔父さんの喫茶店を選んでまでパフェやケーキを食べていたのに。
食べてる時の顔なんて、いつも幸せそうだったのにそう言えばここ最近のループでは見てないな。
寧ろ、あれだけ頻繁に来ていたのにあまり来なくなったような気もする。
食事制限を受けてて甘いもの禁止なら私が悪いんだけど、それならそうと彼が言うだろう。
ん? 何でこっち見つめて変な顔してるの?
やっぱり医者から禁止令が出されたりしてたのかな?




