11 担当医
私が死ぬのは黄昏時が多い。
そのほとんどが綺麗な夕日を眺めながらの終わりだが、当然天気が悪い日だってある。
雨に打たれながら意識が薄れてゆくのは最悪だ。
いや、死んでしまうこと自体が最悪なんだけど、ただでさえ痛くて苦しいのに雨で体温は奪われるわ、雨が目に入って鬱陶しいわでロクな事が無い。
色々な死に方をしてきたが、今のところ五体満足のまま死んでいるのでマシなほうなんだと思う。
目を覆いたくなるような惨い死に方もしてきたかもしれないが、記憶にはなかった。
「ふぅ」
はるかちゃんはユキさんと一緒に散歩に行っているので、病室には私だけしかいない。
私も一緒にどうかと尋ねられたのだが、少し疲れてしまってと呟きながら視線を落とせば「無理しないでね」と心配された。
二人を見送ってから私はゆっくりとカーテンで囲いを作る。
張り詰めていた気が緩められる唯一の空間。
簡単に破られてしまう頼りないカーテンが私の大事な盾だ。
これがあるお陰で外の視線や感情を遮り、一人物思いに耽ることができる。
その盾に守られながらぼんやりと外を眺めて、私は赤く焼ける空に目を細めた。
「綺麗だなぁ」
今日の夕焼けも憎たらしいくらいに美しい。
夕焼けを見ると動悸が激しくなるのは、いつもこれからの時間帯で死を迎えているからだろう。
日が沈まなければ、と腹立たしくもあるのに、綺麗な夕陽は相変わらず綺麗でこの光景が好きだなと思った。
「あぁ、めんどくさい」
ぽつり、と口から出た言葉に溜息をついて頭を掻く。
死亡エンドループなんて一体どういう世界構造になっているんだと尋ねたいが、肝心の相手がいない。
家族や先生に言ったところで、頭がおかしいと認定されて病室を移される展開が待っている。
だから私は一人で考える。
一人だけで、何度も何度も同じ事を考えた。
私がこうなっている原因には、何か理由があるのではないか?
つまり、どこかでフラグを立て忘れているせいでこうなっているんじゃないかと考えた。
他に同じ境遇の仲間がいないかと探ってみたが、全く見つからない。私一人では探すにも限界があるので、結局孤独に耐えかねて発狂ばかりしていた。
私ばかりこんな馬鹿げた事を繰り返さなければいけないのか。
立て忘れたフラグはどこにあるのか。何をすれば死を乗り越えられるのか。
何度生き返って考えても、答えは出ない。
発狂する気力すら起こらず怠惰に繰り返す日々を送るようになったら、少しだけ気持ちが楽になった。
「私だけか……」
何らかの理由があって、私がループしてるのなら解決の糸口は死ぬまでの期間内にあるはず。
きっと、私には何か運命付けられたものがある。
ゲームのし過ぎだと突っ込みを入れられるような事を思ったこともあった。
けれど、どこからも音沙汰が無いまま月日は過ぎ去り私が死んでまた生き返る。
「悪い夢ならさっさと覚めてくれればいいのに」
死んでもまた生き返るこの身を、不死と言ってもいいんだろうかと首を傾げながら私は頬を抓った。
死を繰り返す内に得られたものと言えば、大抵の事には動じない心の強さと観察眼くらいか。
そのお陰で随分と面の皮が厚くなったものだと思う。
死ぬ前の記憶は細かく覚えているわけではないが、経験として蓄積されてるらしい。
この私が意識しないで咄嗟にあんな演技ができてしまうくらいだから。
本心を隠して感情を作り出し、相手を騙せばこっちのもの。わざとらしく見えないようにするのが中々難しいがその辺りは勘だ。
「何だっけ、これ」
兄さんに買ってきてもらったパズル雑誌は暇潰しと小道具には丁度良い。
携帯を弄れたら良かったが病室では原則禁止だ。
使用可能エリアまで移動して使わなければいけないから、病室で考え事をしたい時には使えない。
私はクルクルとペンを回しながら、レポート用紙に単語を書き込んでゆく。
ヒントを元にマス目を文字で埋めてゆくパズルは、雑誌に直接書き込まない。何故なら、なつみが終わったらやりたいと言っていたからだ。
「えーと、スパカリじゃなくて……」
死亡回避すべく、少しでも延命できる方法を書き残したりしても無駄というのは痛い。
今まで何度も思い出せるだけ前に経験してきた事をノートに書いたり、パソコンに保存したりもした。
バイト代を貯めて買った小さな金庫に書いたノートを厳重に保管した事もあった。
けれども、それらの情報は次回には持ち越せず存在自体が無くなっている。
机にこっそり刻んだ文字も、跡形もなくなって綺麗なものだった。
そこで私が知ったのは、死亡してからまた目覚める時に持ち越せるのは、どうやらこの身一つだけという事だ。
「エビとか、カニにある……アシタじゃなくて」
私は記憶力にそれほど自信はない。
だから途中で何度目なのか数えるのも億劫になってしまった生活の中で、自分がどんな行動をしてどのエンドを迎えたのかがはっきり分からない。
ただ、危険人物と避けた方がいい箇所くらいは覚えている。
ここでの判断を間違うと早くお迎えが来てしまうというのに、同じ事を何度か繰り返した事もあったように思えるから当てにならないかもしれない。
何かのきっかけがあれば大抵思い出すことができた。しかし、思い出した時には既に手遅れというのが毎回で嫌になってしまう。
「アスタキサンチン、かな?」
「あ、先生」
足音が聞こえてきたのは分かった。
それがこちらに近づいているのも分かった。
カーテンの向こうから答えをくれる声に、私の口からは自然と驚いた声が出る。
事前にちゃんと誰が来るのか分かっていたのに勝手に反応してくれるのだから便利な体になったものだ。
先生は了承を取ってから、静かにカーテンを開けると私に微笑み調子はどうかと聞いてきた。
食欲もあって元気ですと答えてから、はるかちゃんとユキさんに会ったと教えてもらう。
あの二人は談話室で他の患者さんたちと話に花を咲かせているらしい。
「暇そうだね」
「そうですよ。元気なのにまだ退院できませんからね。はるかちゃんと離れるのは寂しいですけど」
「ふふふ。それだけ元気ならもう少しで退院できるだろうね」
笑顔が優しくて院内でも評判の良い医師の和泉晋一。
彼は私の担当医であり、老若男女問わず人気があるらしく先生を名指ししての予約も頻繁に入っているようだ。
ただし、私にとっては多忙なせいで婚約者には逃げられ一見可哀想に見える独身の四十三歳である。
そして年齢制限有りの乙女ゲーム『フェアリーテイルを歌って』通称、妖精に登場する攻略対象だ。
和泉先生は一見穏やかそうに見えるが、サドっ気がある。
笑顔を浮かべながら本心は全く違う事を考えていたりするのだから、お腹は真っ黒だ。
私のゲーム知識で詳しく覚えてるのはキュンシュガ、ドキビタぐらい。
他のゲームはやった事あるけどよく覚えていないのでその事で頭を抱える事もある。
本当に、キュンシュガとドキビタだけで勘弁して欲しい。
今までの作品をギュッと一つに纏めました。
そんなキャッチフレーズが頭に浮かんだ私は眉を寄せながらペンを握り締める。
普通ならそのフレーズに心躍らせてお得感に浸れるのに、ちっとも嬉しくないのは何故だろう。
面倒くさくてややこしいからか。
「はるかちゃんとのお兄さんとも、仲良しみたいだね。若いっていいなぁ」
「あははは。同じはるかちゃんが好きな同士として話が合うんですよ。妹好き同士としても」
「あぁ、そうか。二人はどっちも妹さんがいるんだね」
こんな通常会話にも、死亡へと繋がる分岐点があるんじゃないかとビクビクしてしまう。
確か、先生が探るような目で見てくるときは危なかったような気がする。
先生に殺される事もあったかどうかは忘れてしまった。
けれど、こうして話しているだけで肌がピリピリするということは、多分あったんだろう。
「もう、可愛くて可愛くて。妹に変な虫つくのも心配ですし、早く退院したいです」
「おやおや。でも、お兄さんもいるだろう?」
「兄だけじゃ頼りになりませんから」
「結構酷い事言うね。由宇ちゃんは」
「普通です」
眼鏡を押し上げながら先生は笑う。
いつの間に私を下の名前で呼ぶほど親しくなったんだとか、いくら親しくなったとしても名字で呼べとか言いたい。
けれど、演技をしなくても外面は良く保とうとする私には無理な話だ。
鋭く細められていた目が穏やかになったのを見て、ユキさんとの事を探られていたのに気づいた。
先生にはとても素敵なヒロインさんがいる。だからそっちに狙いをつければいいと思う。
とは言っても、そのヒロインが先生に接触してこない限り出会いも無いのだが。
彼女の人生を大きく捻じ曲げてしまうようで申し訳ないが、私の平穏の為にも早く出会って欲しいと祈ってしまう。
「なつみちゃんも高校一年生か。女子高生、いいね」
「あの、そういうのはやめたほうがいいですよ」
ここで「先生は人気があるんだから」と付け足してしまうと好感度が上がってしまう。
ステータス表示も親密度も何も見えないけれど、無駄に繰り返してきた経験からの勘だ。
いつまで経っても数字を表示してくれないのなら自分で覚えるしかない。
何となく、という曖昧な匙加減ばかりで嫌になるが相手を良く観察していれば分かる。
そう分かるまでどのくらいかかっただろうと考えようとして、やめた。
「由宇ちゃんも、ついこの間までは女子高生だったわけか。次は女子大生にランクアップ。いいね」
「アップしたかは知りませんけど……やめた方がいいですってば。セクハラだって看護師さん呼びますよ」
「おや、それはまずい」
まるで、ゲームの中のやり取りのようだと軽く眩暈がした。
ループに気づいた最初の頃はどうして良いか分からず面白いくらいに混乱していた。
そして、押し寄せるフラグの波に為す術も無く溺れたのも一度や二度ではない。
今では何とか回避する術も身につけて、這いずりながら生き延びている状態だがそれでも結末は変えられなかった。
自分がゲームのヒロインになったかのような感覚に、乙女ゲームを体感できるなんて素敵と思っていた自分が憎らしい。
「うちのなつみに、色目使わないで下さいね」
なつみに何かしようものなら、その前に立ち塞がるつもりだ。
例えバッドエンドが迫ろうが直結しようが気にせず突き進むぞ、と目に力を込めて見つめれば先生が驚いた顔をした。
慌てて首を横に振って否定し始める。
「しないよそんな事! 娘でも良いくらいの歳の子に」
「世の中にはそういう人もいますし。そういう人ほど、自分は違うと言いますからね」
「だから違うってば。由宇ちゃん、目が怖い。そして勘違いだ」
ロリコン。
声を出さずに口を動かせば和泉先生は面白いくらい首を左右に振った。
心なしか顔が青褪めている。
サドの先生が表情変える姿は新鮮でいい。でも調子に乗りすぎると逆につけ込まれるから気をつけなければ。
モモがこの場にいたら、キラキラ輝く表情でこのやり取りを見ていたんだろうなと思ったら少し気持ちが楽になった。
「分かってますよ。でも、気をつけてくださいね」
「了解しました」
わざとらしく敬礼をして去ってゆく先生を見送った私は、盛大な溜息をついた。
体が小さく震えて、どっと汗が出る。
病院はこんなに気の休まらない場所だったろうか。
そんな事を思いながら私は燃えるように赤く染まる空を見つめ、早く帰りたいと呟いた。




