遊戯会再び
予定通り、二人を乗せた竜車は川沿いの道に入った。道と言っても、竜車の物と思しき轍がうっすらとあるだけで、大小の突起した岩が立ち並ぶ荒れた場所だった。
「またこれか‥‥‥」
ルディは、渡された手錠を見ながら、肩をすくめる。
こんな所で、急に竜車を止めるから何を始めるかと思えば、ストラガイゼルでやったあの鬼ごっこであった。
「こんなお遊びに興じてる暇があるなら」
「こんなお遊びもまともに出来なかったカス子が、グダグダぬかすな」
ルディのぼやきを遮って、アイールは続ける。
「今回は制限時間が無え。代わりに、お前は三度印を付けられたら負けだ」
アイールは、手にした毛筆を掲げて見せる。
「印を付けられたら、怪我とみなしてしばらく動くな。硬直時間は、俺の姿が視界から消えるまで。それとその剣だ」
と、ルディの右手にある剣を示した。鞘に納まった状態で鍔元と鞘が縛られており、抜くことは出来ない。
「一応縛っちゃいるが、間違っても抜くなよ。それ以外なら好きに使え。んじゃ、こいつが川に落ちたら始めるぞ」
アイールは、拾った小石を川目がけて放り、ルディはそれを目で追う。小石は緩やかな放物線を描き、川面に小さな飛沫を上げた。
「?」
アイールの方に視線を戻した時には、彼の姿は影も形も無かった。小石が放られてから川に落ちるまで、五秒と無かったのに。
この辺りは、特に突起した岩や起伏がいくつもある。隠れる場所には事欠かないが、音もなく隠れるなど、
「早速ひと~つ」
耳元で囁かれた。
「っ!」
振り返るのと、左頬に筆が走るのは同時だった。
「今回はちょいと積極的に行くぜ。せいぜい頑張れ、カス子ちゃん」
筆を手の上で回しながら、アイールは岩の向こうに消えた。
ルディはすぐにアイールを追って、その岩を飛び越えた。月人の膂力なら、月精に頼らずとも五ヌーラそこらの高跳びなど、造作もない。
飛び越えた岩の足元に、アイールはいた。彼はルディに気づいておらず、後頭部を無防備に晒している。
もらった──飛び越えた岩の壁面を蹴り、落下の速度も加えてアイール目がけて突っ込む。手錠を嵌めようなどとは考えていない。まずはねじ伏せる。
振り向かないままのアイールの首筋目がけて剣を振り下ろし──ルディの視界は反転し、それと認識した時には、眼前に岩の側面が迫っていた。
ルディは空中で身を翻し、その場に着地するが、
「だっ──?」
面白いほど足が滑った。今度ばかりは受け身も取れず、ルディは尻と背中をしたたかに地面に打ち据えてしまう。
「~~~~~~っ」
涙目で地面を見れば、ぬめりのある液体がまき散らされていた。鼻につく臭いから、油だと分かった。
「積極的に行くっつった矢先に、これだもんな」
アイールはルディの右頬に筆を走らせると、
「んなことじゃ、いつまで経ってもカス子だな」
冷笑を残して、岩の向こうに消えた。
「っ!」
炉心を全開──全身が、紫紺の光に包まれていき、
「遅ぇって」
静かな声と、脳天の衝撃は同時だった。紫紺の光が、急速に消えていく中、ルディの頭の上から拳大の石が転がり落ちる。
(何故、こうも‥‥‥)
アイールがそれなりに強い事は、今更疑っていない。けれど、所詮相手は、
「所詮劣等種、なのに何で歯が立たない‥‥‥そんなところか」
今まさに考えていた事をそのまま言われ、ルディははっと顔を上げる。目の前で、アイールが筆先を突きつけていた。
「鬼ごっこはやめだ。最後の一回は、まともにやってやる」
と、アイールはルディから数歩離れ、
「‥‥‥来い、カス子」
指で招いた。
剣を構え直したルディは、すぐさま地面を蹴った。
初手から最大の速さで肉薄し、剣を振り下ろす。だがそれはあくまで陽動。ギリギリ届かせず、間髪入れずに本命の二撃目を見舞う。
その筈だった。
「バレバレだっつの」
アイールの方から一歩進んだことで、一撃目の間合いがずれた。剣はアイールの頭に振り下ろされ──それを、アイールは指先だけであっさり止めた。ルディは間髪入れずに右膝を突き出す。アイールは左脚を割り込ませて受け止め、逆らわずに飛び退く。その足が地面に付く前にルディは踏み込み、左の拳を突き出した。空中にいるため避けようがないアイールは、それを片手で受け止める。同時に身を翻した。
受け流された──そう思った瞬間には、鳩尾に大きな衝撃を受けた。間髪入れずにやってきた激痛に、しかし、膝を着くのはどうにか堪える。
(まただ‥‥‥)
もう、気のせいではない。手応えが無いというより、こちらの攻撃が完全に無力化されているのだ。
(なら‥‥‥)
ルディは炉心駆動を臨界に、
「マジで学習しねえよな、お前は」
顎を打ち上げられ、ルディの体は宙を舞い、背中から叩きつけられた。仰向けになったルディの首筋に、アイールは筆を走らせ、
「知ってんだろ。月煌化するときゃ何も出来なくなるってよ」
「な、に‥‥‥?」
目を見張ってアイールを見やる。そんなルディに、アイールは逆に怪訝な目を向けた。
「炉心を臨界駆動して、全身の月路に月精を回さにゃなんねえ。つまり、月煌化をやる時は、どんなに短くても数秒間は無防備になる‥‥‥まさかお前、皇族のくせに知らなかったっつうんじゃ?」
もちろん、知っている。今の今まで忘れていたなど、口が裂けても言えないが。
「知っちゃいたが、今の今まで忘れてたってとこか」
しかし、アイールはあっさり見破った。
「誓って言うが、俺は旧人だぜ。能力差で言ったら、お前の方が圧倒的に決まってんじゃねえか。しかも、お前は皇族。比較自体に意味が無えさ」
「ならば、何故こうも相手にならないっ?」
「その前に、お前はどう思うんだ?」
苛立つルディの問いに対して、アイールは静かに問いを返した。
「どうして相手にならない‥‥‥お前自身は、ちゃんと考えてるか?」
「才能、あるいは経験だろう。もしくはその両方か」
「‥‥‥」
「特殊な訓練か?」
「‥‥‥前から思ってたがよ」
アイールの答えは、失望を多分に含んだ嘆息だった。
「お前って、マジで〝才能〟しか能がねえのな」