任務開始の前に‥‥
「幸運を」
敬礼しながら、操縦士は輸送艇を飛び立たせ、ルディ達の上空を通過するストラガイゼルへと戻っていく。それを見送ったルディは、一緒に下ろされた〝最低限必要な物〟の一つに目を向ける。
「またずいぶんと時代遅れな乗り物だな」
二対の車輪と幌が着いた荷車に、それを牽引するランゴと呼ばれる四足竜が一頭。俗に〝竜車〟と呼ばれる代物で、現在では前時代的な乗用物である。ルディも宮にある儀礼式典用の代物しか見たことは無い。
「月精機が使える月人にとっては、だろ? 俺ら旧人は、今でも普通に使ってんだよ」
竜車の各部分を点検しながら、アイールは言う。
冷暖房機や調理器具から艦船に至るまで、機械と名のつく代物は〝月精機〟と総称される。その名の通り、起動時に蒼月精を必要とするため、旧人が使うことは不可能だ。
「それよりお前、何だその恰好は? 本気でそんなんで行くつもりか?」
「そういう貴様は、随分と小汚くなったな」
鼻で笑うルディが着ているのは、軍用の野戦服だった。
対してアイールは、色褪せたズボンにシャツ、袖の無いベスト──アイールの今の恰好は、良く言えば簡素で無難だが、ルディにしてみれば貧相でしかない。
「‥‥‥ったく」
ぼやきながら、アイールは御者台に飛び乗り、竜車を出発させた。ルディが乗っていないにも関わらず。
「ちょ、こらっ!」
ルディは、慌てて荷台に飛び乗る。頑丈な荷車だが、二百ルギスの重量物の衝撃で、大きく軋んだ。
「お前さ、自分がこれからどういう所に行くか、ちゃんと分かってんだろうな?」
積み荷の間を抜けて御者台に顔を出したルディに、アイールは訊ねた。
「当然だ」
すぐに出立だったので時間はさほどなかったが、それでも少しは下調べしていた。
フォルマンテは、ノルフェス州の南部州境の高地帯である。起伏の多い地形と強い気流、そして脆い地質の関係から、飛行乗用物が着陸出来る場所が、非常に少ない。なので、ここからは竜車を使って陸路で進む。
「川沿いの道に入り、情報収集のためにエルトという名の町を目指す‥‥‥だったな?」
輸送艇の中で確認した事を繰り返すと、アイールは頷き、
「そんじゃ次‥‥‥そのエルトって町がどういう所かは、ちゃんと知ってるか?」
「旧人どもが寄り集まって出来た町なのだろう?」
「その寄り集まった旧人達ってのは、いわゆる反月人思想の連中が殆ど‥‥‥ここまで言や、お前でも分かんだろ」
「‥‥‥ああ」
月人を快く思わない旧人が多い事は、ルディも知っている。そこに思い至ったルディは、ようやくアイールの言わんとしている事と、自身の失敗を悟った。
今回の自分達の仕事は、追跡調査だ。現地の住民との交流は、必要不可欠である。反月人思想の町で、見るからに皇族で軍人の格好をした自分が歩き回れば、調査どころか、最悪町そのものを敵に回しかねない。そうでなくても、ルディの紫紺の髪と目が悪目立ちするのは、目に見えている。
それを考えれば、竜車のような前時代的な乗り物や、アイールの貧相な恰好の方が適しているに決まっている。
「まあ、服はエルトで買ってやるが‥‥‥にしても、初っ端から不安になってくるよな。大体お前、レイヤ・ソーディスについてどんだけ知ってんだ?」
「特一級の手配を受けている凶悪な犯罪者集団の一員だ」
「凶悪な犯罪者ねぇ。一体、何をやらかしたんだ?」
「貴様が知る必要はない」
「あっそ。で、そのレイヤ・ソーディスってのは、どんな奴なのよ? ああ、首魁サクラ・ソーディスの息子だとか、幹部級じゃ唯一の男だとかは端折って良いぜ」
「な‥‥‥」
アイールが言った話は、今正にルディの頭に浮かんだ答えだった。
「例えば、背格好とか体格とかは? 主な役割は? 他の連中じゃなくて、レイヤの、だぞ?」
背格好、体格、役割──ルディは色々考えるが、ことレイヤ・ソーディスに関しては、アイールが口にしたこと以外は、出てこなかった。
「つまり、そういうこった。レイヤ・ソーディスは名前ばかり出回っちゃいるが、詳しい事はあまりよく分かってねえのさ。存在自体が、連中の流したガセだって話もあるくれえでな」
「‥‥‥まさか」
本物ならな──ユスティの思わせぶりな言葉が、ルディの脳裏で繰り返された。
「レイヤ・ソーディスを名乗る件の盗賊団の首魁は、名を騙っているだけでの偽物だと?」
「偽物か本物か、その見極めが、この仕事の主旨ってわけだ」
「なるほど‥‥‥て、ちょっと待て」
見極めと言えば聞こえは良いが、早い話が、
「ただの使い走りではないかっ!」
「相手はあの、〝蒼の惨劇〟の容疑者だぜ。教練生程度なら、使い走りだって上等じゃねえか」
「貴様‥‥‥」
ルディは、ぎょっとしてアイールを見やる。
蒼の惨劇──十六年前、蒼月皇家が統治するフォルセア大陸の西南端沿岸部にて、当時の次期蒼月皇とされていた皇族が死亡した事件である。
次期蒼月皇の陣頭指揮の元、現地に存在した遺跡に反乱分子に追い込んだものの、反乱分子は隠し持っていた爆弾を起爆させた。その破壊力は、周辺一帯を消滅させ、地形を大きく変化させる程で、次期蒼月皇と傘下の部隊は死亡、または行方不明となった。
故に、ソーディスはフォルセアを統治する蒼月皇家はもちろんの事、他の三皇家からも指名手配を受けている特一級容疑者である。
とはいえ、
「どこでそれを」
これは極秘事項であり、四大皇家内でも知ってる者は限られている。〝蒼の惨劇〟という呼び名はまだしも、その詳しい内容をアイールが知っているはずがないのだが。
「どこも何も、知ってる奴ぁみんな知ってる〝伝説〟なんだがな‥‥‥ともかくだ、そんな伝説級の相手を、教練生の研修でやらせるわきゃねえよ。今回、俺らが追っているレイヤ・ソーディスってのも、〝偽者〟って目星を付けられた奴なんだろうぜ。多分な」
気合いが大きく減退していくのは、気のせいではないだろう。
ソーディスという特一級容疑者を追う任務に達成すれば、汚名返上して宮に戻れる──その望みが、儚く消えていく。なまじ期待していただけに、使い走り程度の任務と知っては、余計に気が削げてしまう。
「おい、何考えてるか知らねえが、仮にもこれは任務だろ。たかが使い走りだと思ってんなら、尚更きっちりこなせよ、上級士官候補生」
「分かっている。下郎の群れが相手でも手を抜くつもりは無い」
「‥‥‥下郎の群れ、ね」
アイールの目が細まる。何か企んでいそうな目に、ルディは身構えた。