最底辺からの再起
首を切り落とされても生き延びられる、とまで言われる皇族の生命力である。千切れた手足も、潰れた内臓も、ストラガイゼルの医療班によって修復され、二日もすれば軍医から完治と告げられた。
なのに──四日目になっても、ルディは医務室の寝台から動けないでいた。
傷が疼くように痛む一日目は、怒りと憎悪が激しく渦巻いていた。脳裏に浮かんだアイールの間抜け面を、何度も切り刻んでやった。
だが、痛みが薄れていくにつれ、それらは急速に虚しさに変わっていった。そして、良くも悪くも冷静になった頭が、アイールとの一件を振り返る。
何度も。
嫌でも。
(こんなはずでは‥‥‥)
三文芝居の追い込まれた小悪人がよく使うセリフが、いつの間にか頭の中で繰り返されるようになった。
アイールを切り刻む想像は、いつしか自分が凌辱され、蹂躙される光景に取って代わった。必死に振り払おうとすると、逆に想像の方から迫ってくる。逃げようとしても、自分の手足は千切れて動くことすらできない。
『カスが』
嘲笑すら浮かべないアイールが、そう吐き捨てて自分を小虫のように踏みつぶした──そんな夢を見たおかげで、二日目の夜からはまともに眠ることも出来なくなった。
三日目の夜には、想像が現実にならないで安心するようになっていた。僅かに残っていた怒りは、そんな腑抜けた考えをする自分への激しい嫌悪に変わった。
(これは現実ではない‥‥‥)
鬱積が溜まった思考は、ついにそちらへ逃避を始めた。アイールへの怒りも皇族の誇りも、今はひどく遠い。
「ここは宿泊施設ではない」
芝居がかった声が響き、強い衝撃が体を打ち据えた。のそのそと身を起して顔を上げると、今は一番見たくなかった面を目にしてしまった。
「怪我が治ったならさっさと研修に戻れ、五体満足の輩の不貞寝を許すほど我が師団は甘くは無い‥‥‥だ、そうだ」
ユスティの口真似などしながら、アイールはひっくり返した敷布を畳んで寝台に戻す。その時になって、ルディはベッドから落とされた事に気づいた。
「‥‥‥にしても、ひでぇ面だな。さっさと身繕いしろ」
今のルディには反発する気力も無く、よろよろと身を起こすと、据え付けの洗面台に向かう。寝返り以外ではまともに動いていなかった体は、思った以上に固まっていたらしく、節々が軋みを上げる。
「え」
鏡の前に立ち、四日ぶりに見た自身の顔は、涙の跡や濃いクマのおかげで、アイールの言う通りひどい事になっている。
だが、ルディを愕然とさせたのは、そんな事ではない。
「な、え‥‥‥」
自身の髪をいじる──腿のあたりまで届いていたはずの紫紺の髪が、肩口に届くか否かの位置まで短くなっていた。
それ自体が月路として機能する、皇族の髪である。短くなれば、当然月精術の効果は低下する。そのため、長髪は皇族の象徴の一つでもあり、髪を切るのは皇族を捨てると言っても良い。
「それでも並の月人を上回ってるらしいぜ。だから安心しろ」
鏡越しに、アイールは言った。
「それと、もうお前の異動申請は受け付けられねえとさ。だから研修期間中のお前の面倒は、俺が見ることになっちまった」
心底嫌そうに鼻を鳴らし、
「まあお互い不愉快だろうが、せいぜいよろしくな──カス子ちゃん」
不快と嫌悪をたっぷり込めた響きに、消えかけていた怒りと憎悪が、沸々と湧いてきた。
「~~~~~~っ!」
振り向いた時には、既にアイールは部屋を後にしていた。閉じた扉に向かって、枕を思いきり投げつけてやった。
とはいえ──おかげで、何とか動き出すことは出来た。
ルディは身繕いを済ませ、医師に礼を告げて医務室を出る。そこでは、アイールが待っていた。
「付いてこい。准将が直々に御命令下さるとさ」
さっさと歩き出したアイールに、しかたなくルディは続き、通路を進んでいく。その途中で、二人の教練生と擦れ違った。
「それでさ~」
「お、おい‥‥‥」
ルディに気づくなり、彼らは慌てて話を止め、ワザとらしく視線を逸らす──が、ルディ達が通り過ぎるなり、無遠慮な眼を向けて来た。
「あら」
「へぇ‥‥‥」
昇降機の前でも、そうだった。
降りてきた三人の女子教練生は、アイール達に──特にルディに、お世辞にも好意的とは言えない眼を向けてきた。そのうちの一人などは、
「ふん‥‥‥」
昇降機の扉が閉まる時、あからさまに蔑むように鼻を鳴らしてきた。
ルディは気付いた──今まで向けられた畏怖や敬意が、侮蔑と嫌悪に取って代わったことに。
「話にゃ聞いてたが」
昇降機が上昇を始めたところで、アイールは小声で言った。
「随分と嫌われてたんだな、お前」
誰のせいで──ルディは、責めるような眼を、隣のアイールに向ける。それを受けながら、アイールは、
「俺を責めるのは筋違いだぜ」
不快を通り越して呆れたばかりに、鼻を鳴らした。
「劣等種に叩き潰された~なんてのはな、単なる切っ掛けだ。まだまだ、こんなもんじゃ済まねえぞ?」
「どういうことだ?」
ルディの問いに、しかしアイールは黙って肩をすくめるだけだった。
こんなものでは済まない──アイールが言わなくても、ルディはすぐに思い知ることになるのだった。
「本題に入る前に、ヴィオール教練生には、非常に残念なお知らせがある。これを見ろ」
ルディ達が執務室にやって来るなり、ユスティは、手元の操作盤に指を走らせて壁の映写機を起動した。
「っ!」
表示された静止画に、ルディは息を呑む。
寝台で毛布を被る姿に始まり、医療班に担架で連れて行かれる姿、医務室で施術を施される姿──映っていたのは、そうしたルディの姿だった。
「曰く、野蛮人に徹底的に犯された挙句、調教されて奴隷にさせられたとか何とか‥‥‥そんな話が、こうした映像と共に、皇都の宮の方でまことしやかに囁かれているそうだ。これ以上説明は必要か、次期紫月皇候補オルディライア殿?」
〝秩序の光〟という意味を持つルディの真名を、ユスティは敢えて口にした。それでルディは全てを理解する。
神童と呼ばれるその才能を幼い頃から開花させ、次期紫月皇候補の筆頭と目されていたルディである。ヘルトリーに限った話ではなく、宮においても期待と羨望を集めていた。
それが一転して覆ればどうなるか?
ここに来るまでに擦れ違った教練生達ですら、嫌悪や侮蔑、そして失望の視線を向けてきた。こんな状況で宮に帰れば、更にひどい悪意に曝されることになりかねない。それどころか、宮の敷居を跨げるかどうかも怪しい。
今回の一件は、そうなるには充分過ぎる出来事なのだ。野蛮人に犯され奴隷にされ云々などという噂が流れているのが、その良い証拠だろう。
もう、宮には帰れない──その結論までに、一分とかからなかった。気づけば、縋るような眼をユスティに向けていた。
「叔母の取りなしを期待してるなら、諦めろ」
そんなルディを、ユスティは冷たく突き放した。
「私が宮を放逐されて久しい身だということは、その経緯含め、貴様も聞き及んでいるだろう?」
ユスティは、自嘲を含んだ笑みを浮かべる。
宮内でユスティの〝醜聞〟を知らぬ者はいない。ルディもその話を面白おかしく聞いて、好き勝手に語ったものだ。
その新たな醜聞の中心が自分だという現実を理解して、ルディは目の前が暗くなるような錯覚に陥った。
「では、本題だ──貴様たちの任務を伝える」
ユスティは、一将官の顔つきで告げた。
半ば自失したまま、ルディは居住まいを正す。一方のアイールは、億劫そうに頭をボリボリと掻いていた。
「ノルフェス州南部のフォルマンテ地方で盗賊団が横行しているという情報が入った‥‥‥と、ここまでなら他所の管轄なのだが、その首魁がレイヤ・ソーディスを名乗っていてな」
「‥‥‥ソーディス?」
その名を繰り返して、ルディは我に返った。
「失礼。ソーディスというと、まさか‥‥‥」
「そうだ。あの、だ」
ルディの問いに、ユスティははっきりと頷いた。
「知っているなら、話は早い。我々は、特務としてソーディスに関する追跡調査を行っている。貴様達は現地に向かい、このレイヤ・ソーディスを名乗る輩を追え」
「そ、それでは」
「ここまでで、何か質問はあるか?」
「いえ」
声が弾みそうになるのをどうにか抑える。先ほどまでの絶望感が、一瞬で消えた。
「全身全霊をもって、任務を遂行」
「質問が、山ほどありまくりだ」
ルディとは対照的に、アイールは面倒そうに返した。気合に水を差されたルディは睨みつけるが、アイールはどこ吹く風で続ける。
「どう考えても、相手が悪すぎるぞ」
「本物ならな」
「‥‥‥ああ、そういうことか」
要点を欠いたユスティの答えだったが、アイールは納得したように頷いた。
「他に何かあるか‥‥‥よろしい。では、早速任務に当たれ。最低限必要な物は、既に輸送艇の方に載せているが、それ以外は現地調達のつもりで。幸運を祈る」