姫君の失墜
月人は月精の加護を受けて進化したとされているが、厳密にはこちらは浄族と呼ばれる下位種に限られる。
月人の上位種──ルディ達は、皇族と呼ばれ、その起源は郷星ではなく、天に浮かぶ四つの月と言われている。
月精そのものから生まれたとも言われる皇族は、その外見の特徴として、守護月と同じ色の髪と瞳が挙げられる。これは、単なる色素ではなく、それ自体が固有属性の月路として機能しており、体の回路も浄族に比べて複雑かつ規模が大きい。
そして、内部の特徴──並列されたの二つの脳と、〝炉心〟と呼ばれる、守護月の月精を自ら生成する器官であり、旧人や浄族の心音が〝鼓動〟と呼ばれるのに対し、皇族の心音は〝駆動〟と呼ばれる。
こうした身体構造を持つ故か、皇族の平均体重は、成人男性で三百ルギス、成人女性で二百ルギスにも上るが、皇族は旧人はおろか、浄族を遥かに上回る身体能力を有し、強力な月精を行使することが出来る。しかし、皇族たる所以は、それだけではない。
ルディの全身の月路──手足はもちろん瞳と髪の毛先まで、生成された月精が回っていき、ルディの全身が紫月精の光を放った。
炉心の駆動を意図的に臨界突破させることにより、守護月の月精生成量と身体能力を爆発的に増大させる強化形態──炉心を持つ皇族だけが成し得る、〝月煌化〟と呼ばれる力である。
「劣等相手に、よくもまあ」
アイールは素直に感心した。
「偉大なる皇族の誇りがど~たらこ~たらで、出し惜しみすると思ってんだがな」
「敗北よりは良い」
麻痺した月路が、月煌化で復帰したのを確かめながら、ルディは言った。
「予定は狂ったが、結果が伴えば同じことだ」
紫紺に輝く瞳をアイールに向ける。敗北の意識は消えている。今なら、例え龍が相手でも負ける気はしない。
「光栄に思え、劣等。私の知る限り、月煌化を引き出した旧人は、貴様が初めて」
「へいへい、とっても光栄でございますです、へい」
アイールは、欠片のやる気も無い態度でルディの言葉を遮った。
「んじゃ光栄ついでに、もうちょっとだけ付き合ってやるよ」
「付き合ってやるのは」
ルディは腰を低く落とし、
「こちらの方だっ!」
全身をバネにして床を蹴り、間合いに入った瞬間渾身の力で剣を振り下ろす。瞬きの速さを何倍も上回って繰り出された一連の動きは、旧人であるアイールの反応を遥かに上回る──はずだった。
「‥‥‥」
アイールが、ルディと目線を合わせた時には、彼の右手がルディの二の腕に添えられていた。
模擬剣が空を切り、視界が反転したのはその直後で、次の瞬間には壁が眼前に迫っていた。
身を翻すが間に合わず、背中から激突した。壁が大きく陥没する。
「くぅっ‥‥‥」
衝撃で頭が揺さぶられる。それを強引に抑えつけ、床に着地して剣を、
「え」
構えられなかった。
剣だけでなく、右腕そのものが、そこに無かった。
「あ、ぎ、あぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
思い出したように激痛が襲い、噴き出た血がルディの周りに広がっていく。血溜まりの中に膝を着いたルディ。その上から、さっと陰が差した。
顔を上げると、アイールが棒切れのようなものを振りかぶっていた。
ルディの右腕だった。
「あ、ぎ、がっ?」
立て続けに三度打ち据えられ、四度目でアイールは、腕を投げつけた。それを鼻先に食らったルディは仰向けに倒れ、
「ぎゅ、ぶっ!」
今度は腹に、衝撃と激痛──アイールが、ルディの腹を踏み潰したのだ。
喉の奥からせり上がる苦みと、生臭い味にせき込む。その勢いで吐き出され血が、内臓の痛手を示していた。
「‥‥‥」
そんなルディから、アイールはあっさり離れ、そのまま出入口へと向かう。
「どこへ行く、上等兵?」
出入口の前から退かず、ユスティが呼び止めた。
「貴様の勝ちだ。そこの娘を犯すなり痛めつけるなり、好きにして構わんのだぞ? 人目が気になるなら、私は出ていくが?」
犯すなり痛めつけるなり──そんな約束を思い出して、ルディは跳ねるように身を起こした。
「ま、まだだっ!」
痛みを堪えながら、残った左手で転がっていた剣を拾う。
だが、
「さっきも言ったがな、俺はあんなのにゃ興味無えよ」
アイールが、今相手にしているのはユスティだった。ルディの方には、目もくれない。
「そうか? 姿形だけなら、私の目から見ても上物だと思うが‥‥‥それとも貴様は、いわゆる男色か?」
「それ以前だ」
揶揄するように言うユスティに、アイールは鼻で笑った。
「俺は、カスとヤる程飢えてねえし、悟ってもいねえ」
アイールが笑ったのは、ユスティの揶揄に対してだった。
「ふざけるな‥‥‥」
ルディに対しては、侮蔑も嘲笑も──優越感すらも無かった。
旧人にとって、皇族は、ザコにも劣ると言っているのだ。
文字どおりの──〝カス〟だと、言っているのだ。
「ふ、ざけ、る、なぁあああああああああああああああっ!」
消えかけていた月路の輝きが、前以上の輝きを放つ。
「きさ、まころす、ご、ろ、じてや、るっ!」
「へぇ‥‥‥」
アイールは、思い出したようにルディの方を見やった。
「カスにも一応の根性ってか」
「がぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
獣じみた叫び──あるいは、悲鳴?──を挙げ、ルディは獣のようにアイールに躍りかかった。
「でもよ」
と、アイールは面倒そうに、突き出されたルディの拳を引き千切り、続く右足の蹴りを軽く受け止めてそのまま捻じ切った。支えを失ったルディの体は、その勢いで転倒する。
「お前みてえなカスに、誰が殺されてやるかっつの」
吐き捨てながら、アイールは転がったルディに、左腕と右足を投げつける。右腕はルディの横で転がり、右足はルディの鼻先に落ちた。
「あ、ぐ‥‥‥」
左足だけのルディは、もはや起き上がれない。月煌化も、既に解けていた。それでもまだ、意識はあった──激痛が、嫌でも繋ぎ止めていた。
「けどまあ」
と、アイールはルディに歩み寄り、
「約束は約束だ、守ってやるよ」
拾った左腕で、ルディの頭を打ち据えた。