大きな誤算
ユスティ曰く、
「真剣では、私も万一の責任は取れないのでな」
というわけで、場所を組み手用の鍛錬場に変え、二人は模擬剣を与えられた。これで何かあっても、訓練の名目が立つ。ルディは構わなかったし、アイールもそれで頷いた。二人の同意を確認したユスティは、出入口の扉を塞ぐように立った。
「もう気取る事も気負う事も無いぞ。遠慮なく来い」
と、ルディは手招きなどしてみせる。例えこの男がどれほど速く動こうと、掠めることも出来ないのだ。
「挑んできたのは、お前の方だろ?」
それが分かっていないはずもないのに、アイールはこの期に及んで余裕ぶった──というか、面倒そうな態度のままだった。
「その強がりがどこまで続くか」
言い切る前に、ルディは踏み込み、
「見せてみろ、劣等」
その一歩で間合いに入り、模擬剣を振り下ろす。力任せに振り下ろしただけの、技も何も無い一撃だが、月人の力任せは旧人の骨を砕くには充分な威力がある。
一方のアイールは、右手の模擬剣を真横に構え、振り下ろしを受け止める。鈍い音が響き、僅かな間を空けてアイールの模擬剣が、衝突した個所を中心に砕けた。そのまま、ルディの模擬剣は剥き出しのアイールの頭に打ち下ろされ、
「な‥‥‥」
空いていたアイールの左手──それも、人差し指と中指だけで受け止められた。まるで、木の葉でもつまむように。
呆けながらも、ルディはすぐに離れようと身を引く。それに合わせて、アイールは指を離した。その結果、勢い余ったルディは、背中から転倒した。
すぐに起き上がってアイールの方に向き直るが、彼はルディの方になど目もくれず、柄だけになった模擬剣を手の平で回していた。
「っ!」
再び斬りかかり、アイールの首の右筋目がけて真横に払う。アイールの視線がこちらに向く前だったので、これはかわせない──なのに、模擬剣は空を切った。
僅かに身を傾けた姿勢のまま、アイールは右の人差し指で、ルディの右肩口に軽く突いた。
「~~~っ!」
間髪入れずに次の斬撃を放つが、これもかわされ、代わりに左肩口を小突かれた。
次も、次も、その次も──拳や蹴りも含め、矢継ぎ早の攻撃は全てがかわされ、あるいは軽く受け流され、その度に体のあちこちを小突かれた。その間はずっと、アイールはルディの方を見向きもしないまま。
「~~~~~~~~~っ!」
そのやる気のない面に拳を突き出すが、アイールはそれを、軽く受け止めた。
(‥‥‥な、何だ?)
水──いや、真綿でも打ち据えたように、手応えが感じられない。もちろん、アイールには傷一つ無い。
「貴様、旧人ではないのか?」
「いや」
ルディの問いに対して、答えたのはアイールではなく、ユスティだった。
「その男からは、月精は一切感じられない。心音も旧人のそれだ」
言ってから、ユスティはからかうように付け加える。
「私の感覚が狂っていなければ、の話だがな」
「っ!」
ルディはアイールの手を払いのけ、飛び退いて剣を構え直す。
「では、貴様は何だっ? 旧人の反応速度で月人の攻撃を見切れるはずが無いっ!」
「いちいちうるせえんだよ」
不快そうに、アイールは吐き捨てた。
「旧人、劣等‥‥‥二言目にはそれだな、皇女サマ」
今や見下されているのは、ルディの方だった。ルディの頭に血が一気に上り、細かい理屈を追い出す。
「‥‥‥旧人にしては強い、という事は認めよう。だが、劣等は所詮劣等だ」
アイールに向けてかざした左腕の月路に、蒼月精を走らせる──いや、走らせようとした。
「これが、我らに有って貴様らに無い──え?」
腕の月路が、反応していなかった。
腕だけではない──全身の月路が、弱々しい明滅を見せるばかりで、殆ど働いていない。月路が働かなければ、当然月精術は使えない。
「〝大幹〟ってのを座学で習ったろ?」
困惑するルディに、アイールが呆れたように言った。
「それが」
何だ──言いかけて、ルディは気づく。
月人の体の各所には、月路が集中する〝大幹〟と呼ばれる部位がある。ここが麻痺すると、当然ながら月精の巡りが妨げられ、月精術の使用に大きな影響が出る。思えば、アイールが先程の応酬で突いた箇所は、全て大幹の位置ではなかったか。
「別に永久に使えなくなるわけじゃねえよ。人にもよるが、十分もすれば元通りだ。安心しろ、皇女サマ」
「‥‥‥っ」
一時的とはいえ、月精が使えない──ただそれだけの事実が、ルディの精神を強く圧迫してきた。ましてや、十分という時間は、勝敗を決めるのに充分過ぎる時間だ。
「‥‥‥で、一つ提案なんだがよ」
アイールは、折れた模擬剣を掲げながら、月路が走らないルディの左腕を指差し、
「今なら、分けに出来るぜ。こっちは続行不能、そっちは体調不良、てな」
「ふ、ふざけるなっ」
アイールにかざしていた左手を剣の柄に戻し、ルディは構え直した。
「この程度で、勝った気になっているのかっ!」
「勝ち負けじゃなくて、分けだっての」
駄々っ子でも相手にしているように、アイールは諭すように訂正した。そんな事は、ルディにだって分かっている。だが、それはルディにとって負けと同義だ。
得物を破壊されただけのアイール。
一撃も当てられない上、月精を使えなくさせられたルディ。
判定なら、どちらに旗が上がるか考えるまでもない。
「お前の体だの仕事を辞めるだの──そういう損得が成立したから付き合ったがな、俺はお前にゃ興味無えし、今の仕事にしたって、元々辞める事になってんだ」
今までのふざけた態度とは打って変わって、親身に言い含めるようにアイールは言った。
「だから、勝っても負けても大した事ねえよ。だが、お前はどうなんだよ?」
「‥‥‥っ」
ルディにとって、決闘だ勝負だなどというのは口実であり、小生意気な劣等を叩きのめすための、一方的な私刑になるはずだったのだ。
目を瞑っても勝てる──その事を、微塵も疑っていなかった。
負けるかも知れない──微塵も浮かばなかった想像が、じわりと広がっていく。
絶対に負ける筈が無い、苦戦すら論外の勝負で敗北を意識した時点で、既に自分は負けているのだ。
「つうわけで、もっぺん言うぞ」
ルディの考えを見透かしたかのように、アイールは言った。
「分けにしねえか?」
敗北を意識した思考が、そうした方が最も楽だと告げていた。
「‥‥‥良い気に」
だが──自尊心が、その選択を許さなかった。
「なるなぁっ!」
ルディの体から、紫紺の光が弾けた。