そして決意、あるいは執念
交錯は一瞬で、次の瞬間には二人は背を向け合っていた。
「ヒュ‥‥‥っ」
膝を着いたルディの首元から、鮮血が噴き出した。ルディの手から、刃先を半ばから失った剣が、滑り落ちる。
「‥‥‥、──っ!」
呼吸ができない──取り込んだ空気が、ヒューヒューという音を立てて首から出ていく。立ち上がろうにも、急激な失血のおかげで力がまるで入らず、視界も暗くなる。声帯はもちろん、頚動脈まで断たれていた。脊髄に達していないのは、せめてもの幸運か。
「~~~~~~~~っ」
月煌化を止め、代わりに翠月精で首の止血と生命維持を行う。月煌化の光が消えたせいで、再び周囲は闇に覆われていく。
「やりゃあ、出来んじゃねえ、かよ‥‥‥っ」
振り返ったアイールの顔が、苦悶に歪む。
アイールの左脇腹には、断たれた剣の刃先が食い込んでいた。決定打には程遠い浅い傷ながら、それは確かな一撃だった。
「そうよ。やれば出来るのよ」
当然と言わんばかりの同意が、二人の頭上から投げかけられた。
灰色の甲冑──形容するなら、そうした物体だった。
重厚ながら流線的な装甲で全身を覆い、その周りを鈍く明滅する光が包みこんでいる。如何なる力によるものか、アイールの傍に静かに降りてきた甲冑は、着地することなく、ギリギリの位置で滞空した。
「仮にも神童と呼ばれた娘なのよ」
言いながら、甲冑がルディの方を向く。顔を覆うその仮面は、忘れようがない。ましてや、その声を聞き違えるはずがない。
「その気になれば、この程度は当然ね」
仮面がせり上がり、露わになったのは、やはりエネイヴァルの顔だった。
「こいつの場合、それが一番の、問題、だ‥‥‥っ」
足がもつれ、傾きかけたアイールの体を、エネイヴァルが抱き上げる。
「やらされるばかり、与えられるばかり‥‥‥そんなんじゃ、その気になる必要なんざ無えよ。その結果が」
アイールの視線が、ルディに移る。いつもの、憐む目に変わっていた。
「こんな〝カス〟の出来上がり、てな」
「‥‥‥っ」
ついさっき、嫌というほど自覚した傷を抉られて、ルディは思わず呻く。もっとも、それも乾いた吐息に変わってしまったが。
「よっぽど、紫月皇家の教育や環境が悪かった‥‥‥いや、逆に良すぎたのか、この場合」
アイールは、非難するような目を、ルディの背後の暗がりに向ける。
「全くだな」
その暗がりの中から、溶け出るように歩み出ながら、ユスティは頷いた。
「もっとも、宮の連中は、未だに気づかぬ輩の方が多いようだが」
言いながら、ユスティは後ろに向けて手を振る。現れた兵士がルディに駆け寄り、翠月精を施していく。
彼だけでない。姿こそ見えないが、既にこの場所は、数十名の兵士に包囲されていた。
「あの時の小娘か。話には聞いていたが」
エネイヴァルを見据え、懐かしむようにユスティは言った。
「色々な意味で見違えたぞ。まさか、そんな代物まで生み出していたとはな」
その讃辞の言葉に、皮肉も敵意も無い。
「嬉しい言葉だけど、残念ながら、まだまだなのよね」
なので、エネイヴァルは満更でもなさそうだったが、謙遜には明らかに含みがあった。
「それでも、まだ満足していないというのか?」
「この程度で満足できるほど、私は謙虚じゃないわ」
「なるほどな‥‥‥まあ、立ち話もなんだ。その辺も含めて、詳しい話は我らの船で茶でも飲みながら聞かせてもらうとしよう」
ユスティが剣を抜く。
「是が非でも、な」
茂みの向こうの闇の中で、月精の光がいくつも灯る。
「悪いけど」
だというのに、エネイヴァルは、さも申し訳なさそうに肩をすくめ、
「それは、無理ね」
「そうか」
ユスティの手が、さりげなく振られる。直後、一斉に兵士達が光条を放つ。それらは、ただの一つも違わずにエネイヴァル達に向かい、
「!」
その全てが、エネイヴァル達に届く前に大きく湾曲し、木を貫き、あるいは茂みを薙ぎ払い、あるいは夜空に消えていった。
「‥‥‥それでも満足出来ないとは、な」
感心を通り越して、呆れたようにユスティは言う。
「当然よ」
と言いながらも、どこか誇らしげなエネイヴァル。その顔が、再び仮面で覆われる。代わりに、背中に折りたたまれていた突起が翼のように大きく広がり、エネイヴァル達は上昇を始めた。
「‥‥‥、──っ!」
アイールが、行ってしまう。
叫ぼうにも、声帯は断たれている。
立ち上がろうにも、失血のおかげで力がまるで入らない──それが、どうした。
「おい、無茶はよせっ!」
翠月精を施す兵士が、何やら喚いている──それが、どうした。
「──────────────────────っ!」
開いた首の傷から血が噴き出す──それが、どうした。
炉心を再び臨界駆動、生成された紫月精を放出する。
そのおかげで、傍にいた兵士は弾き飛ばされる──それが、どうした。
『必ず追い付いて、貴様の肉の一片も、血の一滴も、精神も、命に至るまで奪い尽くすっ!』
物理的な威力は無いに等しい。だが、紫月精に乗せられたその意思は、その場の全ての人間に、叩きつけるように響いた。
『何から何まで奪い尽くして、貴様の何もかもを私のモノにするっ!』
ユスティでさえ、瞠目してルディを振り返った。
『必ずだっ、レイヤ・ソーディスうぅぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!』
「へぇ‥‥‥」
そんな必要などないのに、エネイヴァルは上昇を緩め、
「ほら、ちゃんと返してあげなさい」
と、肩に抱えたアイール──否、レイヤを促した。
「‥‥‥レイヤは、アイールほど甘くねえぞ」
レイヤは、強がるように言った。
「せめて〝ザコ〟くらいにはなっておけよ、カス子」
その言葉を確かに耳にして、ルディの意識は途切れた。