答え合わせ
ルディがやって来たのは、本島北側──森林訓練区の更に北端部だった。そこは、海流で崖にぶつかる波の音が絶え間無く聞こえる、断崖絶壁である。
周囲を見回し、自分以外誰もいない事を確かめて、ルディは肩をすくめる。
「外れか‥‥‥いや」
ルディは、全速力で直進してきた建物やら置かれた資材類やらも、気にせず飛び越えまでした。いくらなんでも、体力的時間的に考えると、先に着くのは自分の方だ。
「っ!」
茂みの向こうから聞こえた枝葉が擦れる音を耳にして、ルディは手近の木の陰に身を隠した。
茂みを割って現れたその人影は、投光器で周囲を照らしながら場所を確認すると、木の一本に駆け寄った。
投光器をその場に置き、人影は木の根元に屈んで洞に手を突っ込む。結果、投光器の光の中に人影が入り、その顔を照らした。
いや──月人の目なら、星と月の光だけで十分だった。投光器の光は、自分の考えが正しかったことのダメ押しだった。
もう、認めるしかない──サクラは木陰から踏み出した。
「少しだけ、話に付き合ってもらぞ‥‥‥劣等」
ルディの気配には、気づいていたのだろう。足音を耳にしても、話を始められても、人影──アイールは気にせず、木の洞の中を探る。
「十六年前の〝蒼の惨劇〟についてだ」
〝蒼の惨劇〟を語る上で、まず挙げられるのが当時の蒼月皇家の皇太子と、事件の首謀者たるサクラ・ソーディスである。
だが、この事件に関わっているのは、この二人だけではない。例えばユスティは、当時皇太子の許婚として、その場に居合わせていた。彼女が宮を追われたのは、この辺りが起因しているが、今は後にする。
ルディが気になったのは、ソーディス側にいたという二人の旧人だった。一人は、十代半ばから後半の少年。そしてもう一人が、十代に届くか否かという幼い娘。
さて──この旧人の少年には、奇妙な眉唾話がある。
曰く──その武力は皇族をもあしらうほど、強大である。
曰く──その知識と文明は、皇国をも凌駕する。
皆が与太と鼻で笑った。ルディも、最初聞いた時は全く信じていなかった。
だが今のルディは、その可能性を自分の目で見ているのだ。そこから更に考えを広げれば、もう一人の旧人──幼い娘が少年の継承者、というのは無理な考えではない。そして、十六年経った現在、幼い娘も今は二十代も半ばから後半に差し掛かっているだろう。
ユスティの話では、その幼い娘の名前は、
「ラヴィーネ、というそうだ」
その名を口にしたルディは一息つき、さらに続ける。
「ラヴィーネは、当時十歳前後──そこに十六年という歳月を加えれば、あのエネイヴァルくらいにはなるだろう」
あの女の性格を考えれば確信犯だろうが──ルディは言葉に出さずに付け加えた。
「そう考えれば、皇族をあしらうあの戦技も、月精機を使わない兵器を造り出すことも納得がいく」
偶然の可能性も捨てきれないが、今のところその線は薄い。あんなものが、そう出回るとは考えにくい。
「そして、エネイヴァルは大栄紀の文明を調査していた。当然、当時の言語に精通していた」
ルディが懐から取り出したのは、エネイヴァルから預けられてそのままだった、あの手製の字引冊子だった。
「その言語で、エネイヴァルの名前を表記して逆読みすれば、〝ラヴィーネ〟となった」
「‥‥‥気持ち良く喋ってるとこ悪ぃんだけどよ」
黙って聞いていたアイールは、そこでようやく口を開いた。
「イマイチ話が見えてこねえな」
言いながら、洞から引っ張り出したそれは、樹脂製の布に包まれた棒状の長物だった。
「‥‥‥今私達がいる、この場所だが」
アイールの疑問を聞き流し、ルディはさらに続ける。
「ヘルトリーの本島は、南部こそ港になっているが、他は断崖絶壁だ。特に北端部──つまり、ここら辺は突き出した岩礁も多く、海流も強い。しかもこの時期は強風が吹いている」
話している間にも、その強風が吹き続けている。
「見ての通り、生い茂った森もある。海からも空からも、出入りの場所には向いていない──おかげで非常に手薄な場所だ、潜入や脱走にはこの上ない」
「岩礁がどうとか、海流がこうとか、強風やら森やらのせいで出入りの場所に向いてないとかって話を、たった今聞いた気がすんだがよ?」
「向いていないが、決して不可能でない。例えば‥‥‥多少の風など物ともしないほどの出力や安定性を持ち、定員一、二名程度の超小型飛行艇とかなら、話は別だ。そして私は、幸か不幸か、皇国以外でそういう代物を造りえる輩を、この目で見てしまっている」
エネイヴァルなら造れる──ルディには確信があった。
「そこから先は、簡単だ。例えば」
ルディは、地面を蹴る。次の瞬間には、アイールの顔めがけて拳を放っていた。旧人の反応速度を大きく上回る拳は、しかし、アイールが少し身を逸らすだけで空を切った。
「貴様のその動き、エネイヴァルと同じものである、とかな」
更に言えば、エネイヴァルの方が、ずっと洗練されていた。アイールがエネイヴァルの弟子と考えるのは、自然な流れである。
「もう一つ、貴様の名前を、同じように古代言語表記して逆読みしてみた」
それこそ、勘違いや誤表記を疑って、何度もやってみた。そして、結果は何度やっても変わらなかった。
「アイール・シドラウスは、〝レイヤ・ソーディス〟となった」
「‥‥‥」
眼前のアイールの笑みが、深くなっていく。実に楽しそうだ。
「この期に及んで、話が見えない、などと言うなよ?」
「要するに、俺がレイヤ・ソーディスって言いてぇんだろ。でもよ、今の話だけじゃ決定打になってねえよな」
ルディから離れながら、アイールの笑みが皮肉めいたそれに変わる。
「だから、野蛮で下賤で汚らわしい劣等めに、貴重な初物を恵んでくださったのでありますか、オルディライア殿下?」