強がり、あるいは悪あがき
掘っ立て小屋な外観に反して、宿舎の中は清潔に保たれている。が、風呂や便所は言うまでもなく、居室も六人の共同部屋であった。一応、個々の寝所は薄板で区切られているが、その結果狭くなった空間に小さな机と寝台が押しこまれており、大人が二人も入れば、それで空間はほぼ無くなる。
「私が使っていた部屋の物置よりも狭いではないか」
「その狭い所に押し掛けて、何ぬかしてやがる」
敷布だけのベッドに腰掛け、アイールは鼻を鳴らす。
「六人部屋を二人で酒飲むために占有すんだぜ。今が勤務時間中で、早くてもあと二時間は誰も帰って来ねえだけでも、ありがたく思えっつの」
「訪ねてきてやった妙齢の美女に、ご挨拶だな」
ルディは、折りたたみのイスを広げてそれに腰かけた。そんなルディに、アイールは生暖かい視線を向け、
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥美女?」
「何だ?」
「いんや別に~‥‥‥ご挨拶ついでに言えば、上等の酒に対して酒杯なんて洒落たモンは無えからよ。これで我慢しろ」
アイールが差し出したのは、飾り気のない茶碗だった。ルディは酒瓶の封を切り、中身を二つの茶碗に注いだ。
「そんじゃ、カス子の卒業と今後の健闘に」
「そして、貴様の退職に」
お互い気の無い音頭を放って、茶碗を掲げた。
「~~~~っ、さすがは安い給料ン年分だわなこりゃっ」
軽く傾けたアイールは、一口で上機嫌になった。
「有り難くもらうぜ」
と、残りは一気に呷り、すぐに二杯目を入れる。
「どういたしまして‥‥‥と言いたいところだが、もう少しは遠慮しろ」
「これだけ上物で、しかもタダ酒だぜ。聞こえね~」
言ってる間に、二杯目を空にする。それを呆れ半分関心半分で見ながら、自分の茶碗を傾け、
「‥‥‥貴様の思い通りに動かされた操り人形、というところか」
出し抜けのルディの言葉に、三杯目を入れようと酒瓶に伸びていたアイールの手が止まる。
「‥‥‥何の話だ?」
「さっきの三人だが、動きはもちろん思考までをも、貴様に支配された。相手の動きや立ち位置、攻撃の角度や狙う箇所‥‥‥全てが、貴様の思い描いた通りになった」
それは、細かく設定する必要のある殺陣を、脚本一切無しで行うようなものである。もはや〝先読み〟どころではない。
「へぇ‥‥‥」
止まっていたアイールの手が酒瓶を掴み、茶碗に三杯目を注ぐ。だが、視線はルディから外れていない。
「そんな貴様だ、相手の攻撃──その威力を精密な体捌きで別方向に作用させるなど、造作もないだろう」
例えば──剣と剣が衝突した際、その威力の全てを相殺に費やしてしまうとか。
例えば──月煌化の突進の威力を、手足を千切る力に変換するとか。
二百ルギスにも届くルディの体重である。そんなのが、身軽に飛んで跳ねるのだ。更に、月煌化などで強化されたその力が、そのまま己に跳ね返ってきたらどうなるか。
「‥‥‥六十点だな」
三杯目を少しだけ口にしてから、アイールは言った。
「あの程度じゃ、〝思い通りの支配〟ってのにゃ程遠いぜ」
「程遠い‥‥‥ということは、まだ先があるのか?」
「俺はまだ、その境地に達してねえがな」
興味深く身を乗り出したルディに、アイールは苦笑した。そのまま、杯に残った酒を一気に呷り、
「それはそうと、やっぱ宮に帰るのか?」
「何だ、知ってた‥‥‥いや、貴様ならすぐに察しが付くか」
ルディが叩きのめされた一件がヤラセだという話を、アイールが聞いていないはずはない。そこから連想すれば、自然に行き着く結論だ。
「明日にも宮からの迎えが来ると、学長殿から直々に伝えられた」
「となると、別れの酒にもなっちまうな」
「‥‥‥そうだな」
宮に戻れば、軍政を問わず相応の要職に就くことになる。そうなったら、旧人であるアイールとは一切の接点を断たれる。今後、互いがまともに顔を合わせることは、あり得ない。
「ならば」
ルディは、手に取った酒瓶を口に持って行き、
「お、おいっ」
アイールが止める間もなく、それを一気に呷り、最後の一滴まで飲み干す。
「不本意で不愉快極まりないが」
静かに空瓶を置いたルディは、酒臭い息を大きく吐き出し、アイールに覆い被さった。いきなりの行動に、アイールも反応できずに倒れこむ。
「今ここで、貴様の伽の相手をしてやる」
「へぇ‥‥‥」
組み敷かれたアイールは、体重差もあり、動けない。だというのに、どこか小馬鹿にするような眼で、ルディを見上げた。
「いわゆるあれか? 慣れない無茶呑みで酔いが過ぎました~的なオチですかい、皇女殿下サマ?」
「否定はすまい。約束は約束だが、こうでもしなければ誰が貴様など‥‥‥」
「約束‥‥‥ああ、あれか」
アイールが勝ったら、犯すなり痛めつけるなり──ストラガイゼルでのその約束を、アイールは本当に忘れていたらしい。
「でも、これじゃ俺の方が襲われてんぞ?」
「こちらはやられっ放しなのだ。この際、手段も理由も選ばんっ」
酒のせいもあってか、ルディは追い詰められたような──というか、狂気じみた眼でアイールを見下ろす。
「カス子にしちゃ大した覚悟だがな、本当に良いんだろうな?」
アイールは皮肉めいた笑みを浮かべ、
「仮にもお前が犯ろうとしてんのは、野蛮で下賤で汚らしい劣等種だぜ?」
「そこは考えようだ。貴様のようなゲテモノが初姦の相手なら、この先多少変な男と付き合うことになっても大丈夫だろう」
「言うじゃねえか」
と、アイールはルディの制服に手を掛けた。
「後悔しても知らねえぞ、皇女サマ」