屠龍姫の憂鬱
日は既に落ち始め、代わりに星空と月が出始めていた。今夜は、紫の月だ。
その下を歩いていると、何人かの後輩とすれ違い、その度に怖々とした目を向けられた。〝屠龍姫〟の噂は、すっかり彼らの中で定着してしまったらしい。
売女姫、高貴な情婦、劣等種にキズモノにされた哀れで汚い女──ついこの前まで、陰でそんな事を囁いていたというのに。
ルディがヘルトリーに戻った時には、そんな悪評は殆ど消えていた。けれど、〝だった〟という過去形でなら、小さくても聞こえてくる。
(‥‥‥〝手の平を返す〟とは、こういうことなのだろうな)
今回の研修や、雷征龍の戦いだけではない。遡れば、宮にいたころもそうだ。
互いの腹を探り合い、互いを牽制し合い、互いを化かし合い、互いを出し抜いてより有利な立場に立つ──〝皇女〟が立っているのは、そういう世界だ。
悪評を立てられた時点で、〝皇女〟の利用価値は消えた──だから、宮はルディを切り捨てた。
〝屠龍姫〟という大きな武勲を立てたことで、再び利用価値が生まれた──だから、宮はルディを呼び戻した。
利用価値──それがどういうものか、もちろん、今までも理解していた。
それが、狭くて一方的な目線でしか無かったことを、ルディは今更になって気づいた。
誰かを利用しても、誰かに利用されることまでは、まるで理解していなかった。
いや──考えた事すら、無かった。
自分が〝使う側〟であると、疑念すら抱いていなかったから。
どちらが使っていたのか?
どちらが使われていたのか?
『このままじゃお前は、どこまで行こうが、使い勝手が良いだけの捨て駒で終わるぜ』
ようやく、その言葉が理解出来るような気がした。
「随分と浮かない面だな?」
ユスティの声に、ルディは現実に引き戻された。向き直りながら踵を合わせて敬礼し、
「どうという事はありません。祝宴の熱気に当てられただけでございます」
「ならば、なおのことだ。せめて、胸くらいは張っておけ、屠龍姫殿」
「‥‥‥身に過ぎた称号でございます」
以前なら、素直に誇らしいと思っただろう。けれど今のルディは、誇るどころか、ひどく白けるばかりだった。
吐き気すらしていた。
「謙遜だな。何せ雷征龍の征伐を単独で達成したのだ。勲章の一つは確実だぞ」
「私は、言われたことを実行したに過ぎません」
そう──全てはアイールの考えであって、自分で考えたわけではない。
「なので、勲章はシドラウス上等兵に」
「そのくらいにしておけ」
いきなり遮られ、その時になって初めて、ルディはユスティが笑っていないことに気づいた。
「謙虚な姿勢は美しいが、行き過ぎれば嫌味でしかない卑下卑屈だぞ」
「真実を申し上げたまでの事であります」
「真実がどうあれ、周りはそう思ってはくれん。実際、貴様が上等兵に打ちのめされた一件も、誇張だのヤラセだのという話で落ち着きつつあるではないか」
その話は、ルディの耳にも聞こえてきた。結果的には名誉が回復出来たが、真実が捻じ曲げられた上での事となると、やはり遣り切れない感情が残る。
「まあ、そんな今更な説法はこのくらいにして‥‥‥本題に入ろう」
と、ユスティは右手の指を一本立てた。その先に、紫月精の光が集まる。
「はっきり言って、気分の良い内容ではない。そのつもりでな」
前置きして、ユスティはルディの額に指先を向け、月精を飛ばした。それを通じて、ルディの頭に情報が流れ込んでくる。
そこは、病院の施術室のような部屋で、中央の台の上に横たわるのは全身焼け爛れたように酷く傷んだ人間の死体だった。ただの映像だというのに、腐臭まで漂ってきそうだ。
確かに気分が良いものではないが、ルディはその死体を検める。
「レイヤ‥‥‥もとい、リック・バートンです」
顔もだいぶ爛れて分かりづらくなってはいるが、間違いない。
「そうか」
ユスティは、月精を止める。
「報告にあった背格好や特徴と一致したのでな。雷征龍の腹の中から出てきたそうだ」
運が無かった、としか言いようがないのだろう。だが、リックへ同情するよりも気になることがある。
「そういえば、エネイヴァルという旧人はどうなりました?」
自動弩弓、光条砲、月蝕環──これだけでも脅威な上、しかも月精を使わない。この話には、ユスティも大きく関心を示し、すぐに捜索隊を出したのだった。
「残念ながら発見できず、だ。範囲を広げて捜索中だが、期待は出来ん」
ユスティの答えは、決して良いものではなかった。エネイヴァルなら、十中八九逃げ延びたと思っていいだろう。
それはルディにとっては、非常に大きな意味を含んでいた。
「‥‥‥ユスティシャニア殿下」
ルディはユスティを、あえてかつての名で呼んだ。
「懐かしい名前を持ち出してきたな。一体何だ?」
「〝蒼の惨劇〟における、生存者の一人である御身に、お訊ねしたい儀がございます」
「‥‥‥ほう」