遊戯会
「制限時間は三十分。目的は、艦内のどこかにいる俺か准将を捕まえる‥‥‥つまり、この手錠を嵌めることだ」
と、アイールは教練生達に、番号の振られた手錠を配っていく。
「要は、鬼ごっこだ。准将か俺のどっちかに手錠を嵌めたら終了、この部屋に戻って来い。あとは好きにやって構わねえ」
「手段は問わなくて良いという事か、上等兵殿?」
階級のあたりにたっぷり嫌味を込めたルディの問いに、アイールは気を悪くした様子もなく頷き、
「暴れるならぶん殴っても良いし、月精術を使っても構わねえぜ」
「では、私からも一つ」
と、ユスティが手を挙げた。
「追われる側の方は? やはり、逃げるための手段は、何でもアリか?」
「一応、良いって事にはしとくがな」
と、アイールは苦笑を浮かべて見せ、
「相手は前途有望な上級士官候補生だ。その辺は考えてやってくれよな」
「‥‥‥ちっ」
ユスティの小さな舌打ちは、皆が聞かなかったことにした。
「そんじゃ、俺達が部屋の外に出て、扉を閉めたら開始だ」
アイールはユスティを部屋の外へと促す。彼女が外に出ると、間もなくアイールも続き、
「始めっ」
扉を閉めた。
途端に、何人かが弾かれたように飛び出した。ユスティはともかく、旧人のアイールは恰好の獲物だ。扉が閉まった直後なら、ノロマな旧人には到底対処できるはずが無い──ルディも含め、皆そう思っていた。
「え」
その間抜けな声は、誰のものだったか。蹴破らんばかりに開けられた扉の向こうには、アイールどころか、人影すら見えなかった。
「分かり易過ぎるぞ」
呆れた声は、上からだった。天井の通気口から、アイールが顔だけ覗かせていた。
「それとも、劣等相手だから手ぇ抜いてくれてんのか? なら、その調子でしっかり頼むぜ、落第候補生」
鼻を鳴らして、アイールは穴の向こうに引っ込む。教練生たちは、その穴をしばらく眺め、
「殺るぞっ!」
と、一人が拳を掲げると、他の何人かが雄叫びを上げて呼応し、足音荒く通路を駆けて行った。
ルディは、そんな彼らとは別の方へ向かう。アイールに一泡吹かせようという思いは、今は隅に追いやられている。あんな劣等よりも、滅多にない大物だ。
「!」
その大物──正面の角から姿を現したユスティは、ルディに気づくなり、背を向けて走り出した。それを追って、ルディも角を曲がり、
「っ!」
そこで、何かに躓いた。顔面を打つ前に転がり、その勢いで立ち上がりながら振り返り、
「たった今、貴様は死んだ」
ルディの眼前に手刀を突きつけ、ユスティは厳かに宣告する。
「勢いがあるのは結構だが足元には注意しろ、教練生」
諭すように言うユスティだが、ルディは耳を傾けるつもりはない。取り押さえるべく、突き出されたユスティの手を掴み──いや、掴もうとして、
「っ!」
落ちてきた金桶が、頭にぶつかった。その隙に、ユスティはその場から走り去る。
「上にもご注意~」
頭上を見れば、通気口からアイールが顔を覗かせていた。すぐに引っ込んだ彼の顔は、輸送艇でぶつかったときに浮かべた冷笑を残していった。
「こ」
足元に転がった金桶を踏みつける。哀れな金桶は、潰れるどころか粉々に砕けた。
「殺す」
月精術を使っても構わねえぜ──アイールは、確かにそう言った。
天井に向けてかざした腕に、幾筋の蒼い光が走る。
旧人との大きく異なる部分の一つ、〝月路〟と呼ばれる月精の伝達制御回路で、行使する月精に応じた光を発する。
蒼の月精が司るは、熱や電気──すなわち導力。周囲の電離体がルディの手の前で収束され、手の平大の光の塊になる。
耳を澄ますと、通気口の中でゴソゴソと動く音が聞こえる。本人は静かに動いてるつもりだろうが、月人の感覚はそんなものでは誤魔化されない。そして、自分の月精術なら、通気口諸共、跡形もなく、
「これ以上、ウチの備品を壊さんでもらおうか」
後頭部に衝撃を受け、ルディはたたらを踏んだ。ルディの光球は、支えを失って消えていく。
「小娘の気まぐれで無駄遣いできるほど、第四師団は裕福な隊ではないのでな」
ユスティの声こそ聞こえるが、周りを見ても本人の姿はどこにも無かった。
それから三十分後。
「え~‥‥‥もっと頑張りましょう」
終了を告げる放送で、再び会議室に集まった教練生達に向かって、深々と嘆息しながら放ったアイールの言葉が、全てを物語っていた。
結局、全員が失格。ユスティにはおろか、アイールにも手錠を嵌めるどころか、取り押さえることも出来なかった。ルディを含む、誰一人として。
「准将から聞いた話も合わせると、少ない奴で三回、多い奴で八回死んでる」
「准将閣下に何度も助けられて、何をふんぞり返っている。思い上がるな、劣等が」
噛みついてくるルディに、アイールは鼻を鳴らし、
「確かに、分不相応すぎる優秀な相方だったぜ。おかげで、安心して物陰から、こそこそ隙を窺って、足元を掬ったり、背後から奇襲出来たからな~」
この場に集まっているのは、仮にも上級士官候補生である。アイールが何を言っているのか理解出来ない者は一人もおらず、故に言葉を返せる者は誰もいなかった。
教練生達が二人に迫ることは、無いわけではなかった。だがその度に、どちらかが必ず妨害してきたのである。
陽動と撹乱は、戦術の基礎も基礎。二人は一見個々に逃げながら、その実片方が囮になり、片方が追い手の行動を挫くという連携を取っていたのである。状況に合わせて、互いの役割を入れ替えながら。
「‥‥‥要するに、貴様一人ではどうにもならなかったという事だ」
それが分かっていても、五回も死んだルディとしては、ケチをつけずにはいられなかった。
「さも自分の手柄のように言いたげだが、全てフラウワ准将の入れ知恵なのだろう。少なくとも、貴様の考えではあるまい」
「‥‥‥」
アイールからの答えは無い。調子付いたルディは、さらに続ける。
「物陰からコソコソ隙を窺って──自分でそう言ったろう。前に出て堂々と勝負出来ない愚劣で姑息な手段に頼る臆病な劣等の御高説など、不愉快なだけだ」
「不愉快ねぇ‥‥‥」
容赦ないルディの罵倒に、アイールは肩をすくめ、
「それで、不愉快ならどうす」
アイールが言い終わるのを待たずに、ルディは机を飛び越えていた。アイールが瞬きするよりも先に、その間抜け面を引っ掴み、
「これが」
アイールの顔面を床に叩きつける。その衝撃で、床に亀裂が入った。
「月人だ」