龍に挑む者
恐怖で暴れるランゴをなだめつつ、アイールは雷征龍に接近する。まだ目がはっきりしてないのか眼中にないのか、アイールが足元まで近づいても、雷征龍は見向きもしなかった。そんな雷征龍の額を目がけて、アイールは弩弓の引き金を引く。
放たれた矢は雷征龍の眉間に命中し、鏃に括りつけていた火薬が破裂した。雷管程度の量なので、頑強な鱗には掠り傷もつかないが、ようやく龍はアイールに目を向けた。
「もう少し運動してからメシにしようぜ、ダンナ」
いつもなら気にも留めないところだが、空腹な上に、餌を口に入れる寸前で邪魔が入って気が立っていたところで、しかも邪魔した当の本人である。咆哮を上げた雷征龍は、アイールに狙いを定めた──期待通りに。
「ははっ、上等だっ! しっかり付いてきやがれ、バケモンっ!」
哄笑すら上げて、アイールはランゴを駆けさせた。雷征龍は、アイールを追って大きく踏み出す。
そんな光景を、ルディは遠くから眺めていた。緩やかな斜面のおかげで、ここからだと見下ろす形になるため、よく見える。だがルディは踵を返し、斜面を駆け上っていく。
その間にも、雷征龍の足を踏み鳴らす音や、吠え声が聞こえてくる。恐怖と焦燥が今すぐにでも逃げろと言っているが、必死にそれを押さえて斜面を登って行き、五百ヌーラほど登った所で立ち止まった。
雷征龍は変わらずその場を動き回り、その近くでアイールを乗せたランゴが駆け回っている。
アイールは笑っていた。いつもの皮肉げで気だるげな笑みではなく、とても楽しそうで、とても解放的な──子供じみた笑顔だった。雷征龍という、天災そのものと言っても良い存在を目前にしてるというのに。
「‥‥‥けるな」
圧倒的に非力な劣等種のくせに、とても危険で面倒な役を負っている。
人類の頂点であるはずの自分が、まだ安全で簡単な役を負っている。
「ふざけるな」
非力な劣等種は、恐怖に押しつぶされずに、むしろ楽しんでいる。
圧倒的な力を持つ皇族は、今にも恐怖に潰されようとしていた。
「ふざけるなっ」
狂気の沙汰である。だが今は、そんなアイールが、芯から頼もしいと思えた。
『余計なことなんざ考えるな。今はテメェの仕事だけ考えろ。目的だけに集中しろ』
去り際に、失敗を考えるルディに、アイールは言った。
『後の事? んなこた終わってから考えろ。カス子のくせに無駄な事を考えんじゃねえ。つうか、カスにでも出来る仕事だろうが』
「ふざけるなぁっ!」
『あ? 出来ねえってか? んじゃテメェはカス以下だな。カス以下を形容する言葉って何だ? 教養豊かな皇女サマなら知ってんのか? まあいいや、テメェはアイツのエサになっちまえ。カス以下のナニかにしちゃ、ご立派すぎるくたばり様だと思ってやるよ、ナニ子ちゃん』
「ふっざけるなぁあああああああああああああああああああああっ!」
ルディは炉心を臨界駆動した。
「貴様に出来て、この私に出来ない筈がないだろうがっ!」
もう抑える必要は無い。
もう我慢の必要も無い。
激情に任せて、全てを解き放つ。
案の定、雷征龍はアイールには目もくれず、ルディ目がけて走り出した。途中の木を強引に薙ぎ散らしながら、瞬く間にルディに迫る。
「何がエサだ、何がカス以下のナニ子ちゃんだっ!」
ルディは動かない──本能の警鐘など、激情が搔き消した。
アイールへの怒りが。
雷征龍への怒りが。
何より自分への怒りが、
「劣等種の分際で好き放題偉そうに言うなぁっ!」
不安も恐怖も、何もかも吹き飛ばす。
そう──カスにも出来る程、簡単な仕事だ。わざとやらない限り、失敗しようがない。
百ヌーラを超える巨体が迫る。その巨大な顎が開かれ、鋭い牙がずらりと並んでいた──それだけだ。
「天災級だか雷征龍だか知らないが」
今目の前にいるのは、死と恐怖の化身たる絶対者などではない。
巨大なだけの、本能で動くだけの、
「飢えた獣風情が」
ルディは地面を蹴った。
「舐めるなぁああああああああああああああああああああっ!」
雷征龍の、大きく開かれた口腔に目がけて。
雷征龍に止めを刺すのはルディの月精術だが、中途半端な術など通用する筈が無い。なので、月煌化は必要であり、そのための時間を稼ぐ必要がある。だがそれにはまず、炉心を大きく駆動させなければならず、その瞬間に雷征龍は標的をルディに変えるだろう。
そこで、アイールが雷征龍を挑発して注意を引きつけると同時に、ルディは雷征龍から離れる。離れ過ぎると雷撃咆や電磁投射の餌食になるので、ギリギリの距離は五百ヌーラのみ。
そして──ルディを餌と考えている以上、雷征龍は必ずその大口──アイールの言う〝デカい穴〟を開ける。
そこに、ルディは迷わず飛び込んだ。
「っ?」
間合いをずらされたことで、雷征龍は一瞬戸惑う。その間にも、ルディは飛び込んだ勢いもそのままに、上顎を目がけて両手を深々と突き刺した。
雷征龍は舌でルディを引きはがそうとするが、深く刺さった腕のおかげで、さすがに舌の力では取れない。
いくら頑強と言っても、内部まではそうはいかない。かといって、その生命力は言うまでも無い。物理的な攻撃は、決定打に欠ける。
だから、
「喰らえ」
ルディが狙うのは、肉体ではない。
鼻を刺す臭気や、全身を這うような粘りなど気にしない。突き立てた両腕を通じて、紫月精を流し込む。
紫月精の力は、一見派手さや威力に欠けるが、故にこそ、最も恐ろしい力を秘めているとされている。
精神を操る──すなわち、対象の認識や記憶、そして思考に干渉する。
それがもたらす効果は、洗脳や記憶操作──そして、精神破壊。
例え強固な外皮で体を守ろうと、強力な爪牙を携えようと、精神を直接攻められては防ぎようがない。紫月精によって、雷征龍の精神に強引に干渉し、浸食し、片っぱしから破壊していく。
「────────────────────────────────────っ!」
雷征龍も無抵抗ではない。舌を使ってルディを削ぎ落とそう(・・・・・・)としてくる。ヤスリのような表面が、ルディを背中から削っていった。
だが、月煌化の思考低下に加え、精神への攻める一点に集中する今のルディに、肉体への攻撃など効果は無い。
やがてその舌の動きも、鈍くなっていく。巨体を支える強靭な肢体が、徐々に力を失っていく。雷征龍の精神破壊が、致命域にまで達していた。
(‥‥‥何だ‥‥‥?)
精神へ干渉するということは、互いの精神が繋がるということ。言葉、思考、心理──一切が通じない龍であっても、紫月精を通じて流れ込んできたそれは理解できた。
「‥‥‥悪く思うな」
だがルディは──いや、だからこそ、容赦しなかった。
最後の一欠片──死の恐怖を、ルディは躊躇なく破壊した。




