宿題の答え
宿題の答え
「ドカンっ!」
外に出たところで、エネイヴァルは設置した爆弾を起爆した。穴の中からいくつもの光が弾け、地響きと共に崩落が始まる。やがてそれが収まると、穴は崩れた瓦礫で完全に塞がれた。
「たったあれだけの量で」
設置した数は、合わせてたったの六つ。爆弾も、ここから見た限りではさほどの威力は無かったように思える。それが、まさかこれ程の崩落を起こすとは。
「通路自体はしっかりしてたけどね、その周りの地盤はとても微妙な均衡だったのよ。変な所に刺激を与えたら、そこから一気に崩落する。万全な誰かさんが全開で吹き飛ばそうものなら、仲良く生き埋めになってたでしょうね」
「う‥‥‥そ、そんな事より良いのか? ここは貴重な遺跡だったのだろう?」
「下手に人目に触れるよりはいいわ」
その意図が、皇国の手が入るのを防ぐためであることは分かる。今からでも、この女を押さえるべきなのかもしれない。せめて、先ほど渡した記憶媒体だけでも何とかするべきだ。
「お仕事完了~。帰ってご飯にしましょ」
エネイヴァルは繋いでいたランゴの手綱を外すと、それを引いて歩きだした。ルディの位置からは、エネイヴァルは完全に背中をさらしている。
ルディは拳を握りしめ、
「‥‥‥」
しかし、すぐに緩めた。ただの一撃でも入れられる自信が、ルディには無かった。
「アイール・シドラウス‥‥‥貴様の知り合いに、その名の男がいないか?」
ルディはエネイヴァルに続きながら、その背中に訊ねた。意味のある問いではないが、どうにもこの女が、アイールと重なってならない。
「アイール・シドラウスねぇ‥‥‥アイール、アイール」
エネイヴァルは、その名前を何度か繰り返し、
「知らないわ。知らないし聞いたことも無い名前ね‥‥‥もしかして、アンタの好い人?」
「悪い冗談だ。断じて、想い人などではない」
本当に悪い冗談だ。こちらは、心身ともに痛手を負わされたのだ。
アイール・シドラウス──思い浮かぶのは、こちらを見下し切ったあの面だ。浮かんだ瞬間、眉間に剣を突き刺し、目と鼻に指を突っ込んで、そのまま左右に引き裂いてやった。
「危険な恋心、かしらね」
「劣等種相手に恋慕など抱くか。敢えて言うなら、憎悪怨恨だ」
「てことは、アンタをキズモノにした当の本人かしら?」
と、エネイヴァルはルディの両肩と右腿を順番に指差す。ルディは返す言葉を探すが、諦めて肩をすくめる。この女に、下手な誤魔化しなど無意味だ。
「‥‥‥まあ、そういうことだ。だから、断じて色恋などでは」
「愛情や好意の反対は、憎悪じゃなくて無関心よ。方向性はどうあれ、アンタはそのアイール君にお熱だってことは確かよ」
「だから、それは」
「さて、その憎悪怨恨だけど」
と、ルディの返す言葉を遮って、エネイヴァルは改めて問いかけた。
「宿題の答え、そろそろ聞かせてもらうわ」
宿題──レイヤ達の、ルディに向ける恨み憎しみが、どういったものか。
「‥‥‥持つ者に対する嫉妬、か?」
実を言えば、エネイヴァルの〝宿題〟など今の今まで忘れていた。なので、ルディのその答えは、さして考えたものではなかった。
「‥‥‥期待はしてなかったけど、思った以上に酷いわね」
そのおかげか、エネイヴァルの吐きだした嘆息は、失望と幻滅のそれだった。
「そうね、例えば‥‥‥」
と、エネイヴァルは、盗賊達のねぐらの方向に目を向け、
「盗賊団にいるリック・バートンていう男‥‥‥彼の故郷は、エナ大陸中部の名も無い農村だったわ。その日の食べ物にも困るくらい貧しい所‥‥‥だったそうよ、今から二十年くらい前まではね」
「それが?」
「その場所が今、どうなってると思う?」
「名も無い農村など、知るわけがないだろう」
「紫月皇家の鉱石発掘場‥‥‥これでも分かりませんて事は無いわよね、オルディライア殿下?」
「‥‥‥ああ、そういうことか」
希少資源の埋蔵地に、住民がいると言うのはよくある話だ。その土地を、強引に接収して採掘場にしている事も。そうなると、確かに、そのリックという男が、ルディに恨みを向ける事も理解できる。
「だが、住民とよく交渉した上での事だ。皇国側も充分な見返りを出している」
「よく交渉、ね‥‥‥劣等種の旧人が相手だとしても?」
「だとしてもだ。生活基盤が、農作業から採掘作業に代わっただけだ」
場合にもよるが、皇国の出す見返りとは、その採掘場で作業に従事することである。賃金はもちろん、住居や食事も保証される。
「その日の食事にも困る状況だったのだろう。脱却出来るならその方が」
「不眠不休の採掘作業なんて当たり前、出される食事は一切れのパンに水同然のスープ、粗末で汚い狭い小屋に十数人押し込められて、そこで寝泊まりさせられても?」
「な」
「餓えや過労や病気で、毎日死人が出てる‥‥‥そんなのが〝良い〟だなんて、まさか本気で思ってる?」
「ば、バカな。そんな話は」
「知らないだけ‥‥‥いえ、知らされてなかっただけでしょ、皇女サマ」
エネイヴァルは鼻を鳴らし、
「当然、そんな状況に耐えかねて逃げ出す旧人が出てくるわ。で、月人達は容赦なく排除、あるいは連れ戻して厳しい制裁と」
「‥‥‥もういい」
「どうにか逃げる事が出来ても、それで精一杯。行くあてなんてある筈が無いから、餓獣に食われるか、そうでなければ」
「もういいと言っているっ!」
話を遮ったルディの声は、自分でも驚くほど大きかった。これ以上は、聞くまでもないし、聞きたくもない。
「リック・バートンだけじゃないわ。もっと悲惨な例だって、まだまだあるの。そういう連中にとって、アンタはどういう眼で見られるかしらね、紫月皇家の皇女サマ?」
ルディの背筋が冷たくなる。
「皇族級月人の髪、手足、骨、脳、炉心‥‥‥その筋の奴らに売り飛ばしたら、どれほどの額になるかしらねぇ?」
今思えば、月蝕環はルディの自由を奪うというよりも、レイヤやリック達の感情の爆発を抑えるための措置だったのではないだろうか。
「持つ者に対する嫉妬?」
「‥‥‥っ」
ルディは、足を竦ませる。
エネイヴァルは、笑みこそ浮かべているが──叩きつけてくるのは、強烈な怒りだった。
「何様のつもりかしらないけど、そんなことだから、アンタは身内からも見捨てられ‥‥‥あら?」
エネイヴァルは、不意に言葉を切り、立ち止まった。
「ど、どうした?」
窺うように訊ねるルディだが、エネイヴァルは答えずに周囲に視線を巡らせる。
「悪いけど、ちょっとこれ、お願い。それと、そのまま動かないで」
と、エネイヴァルはルディにランゴの手綱を預けると、一人で前進し、
「!」
十歩ばかり進んだところで、傍の遺跡の上から、そいつらは飛びかかって来た。
全身を全身を灰褐色の体毛で覆われた、人に近い、しかし決して人ではない獣が二匹。
マンディ──頭の中の知識から、その名前と知ってる情報を呼び出す。人類の祖とも言われる生物だが、その気性は非常に荒い。
マンディは、人類が失った鋭い牙を剥いて、エネイヴァルに躍りかかる。一方のエネイヴァルは、腰に差していた短剣を引き抜き、勢いのまま振り抜いた。
双方が交錯する。短剣を振り抜いた姿勢のまま立ち止まったエネイヴァルに対し、二匹のマンディは勢いのまま転倒し、内一匹がルディの足元に転がった。口を大きく開いたマンディの喉元が大きく切り裂かれ、噴き出た血が赤い水溜りを作る。
「‥‥‥」
だが、そんな事よりも──ルディは目を見開いてエネイヴァルを見つめた。月人であるルディの目には、その一瞬の出来事を全て捉える事が出来た。
エネイヴァルの動きは、鞘から短剣を引き抜いた──それだけだった。その一閃だけで、二頭のマンディの喉元を切り裂いたのである。
真似出来るか──その問いに対して、ルディは否としか答えられない。月精を使っても、自信は無い。ましてや、今目の前で実行したのは、旧人である。
一動作で複数の相手を仕留めるには、動きの先の先まで読む事が出来なければ成り立たない。人間相手ならまだしも、獣相手にそれを実行するエネイヴァルは、一体どれほどの経験と鍛錬を積んだのだろうか。
「お喋りはお終い。急ぐわよ」
言ってる間に、エネイヴァルはランゴに飛び乗り、手綱を振るっていた。ルディは慌てて続く。
盗賊達のねぐらに近付くにつれ、悲鳴と獣の吠え声が二人の耳朶を打った。




