格差
料理を食べ終えた男は、思い出したように酒を呷り、
「どうしたってんだよ。いつもは不味い食い物を、申し訳程度にしか出さないお前が」
「悪かったな、不味くて申し訳程度で」
カウンターの向こうでコップを拭いていた店主が不貞腐れる。そして、隣の洗い場に目を向け、
「どうやらお前の作ったメシは、好評のようだ」
「そりゃどうも」
と、アイールは洗っていた鍋を水切り台に置いた。
「けどな、おだててもおかわりは出さねえぞ。欲しけりゃ追加料金出しな」
「お、言うじゃないか。んじゃ、もう一杯頼むぜ」
男が空になった酒杯を出すと、アイールはそれに酒を注いでやる。
「兄ちゃん、この町じゃ見ない顔だな」
「そりゃそうさ。昨日この街に着いたばっかりなんだぜ」
「出稼ぎかい?」
「いんや。いわゆるアテのない旅さ」
洗い落した鍋を拭いていく。
「で、ちょいと懐が寒くなって、ここで鍋釜振るってんだ」
「てことは、すぐにこの町を出るのかい?」
「まあな」
「だとよ」
男は、店主の方に向きなおる。
「お料理教室でもやってもらった方が、良いんじゃないか?」
「ぬかせ。そんな心配してる暇があるなら、溜め込んだツケを払う算段でもしろ、呑んだくれが」
「払うあてが出来たらな‥‥‥ところでよ」
男の表情が、少しだけ真剣なそれに代わった。
「ここに来るまで大丈夫だったのかい? 最近この近くは、かなり物騒になってるぜ。見慣れない餓獣が現れるわ、盗賊が暴れてるわ」
「大丈夫じゃなかったら、こうして呑気にお料理なんざしてねえよ」
「それもそうだな」
と、男は表情を崩した。
「けど、気をつけろよ。餓獣はともかく、盗賊連中は外どころか町中にも出るって話だからな」
「大したモンだな。町中でも堂々と盗みかい?」
「いや、そういう噂があるってだけさ。町の北の方に捨てられた倉庫街があるんだけどよ、最近物騒な連中が出始めたってな」
「そういう場所は、元々物騒な連中の溜まり場だろ」
「確かに、町の荒くれ共の縄張りだったさ。ところが、突然やってきたよそ者に追い出されたんだとよ」
「そりゃ、確かに物騒だ」
と、アイールは視線を階段の方に目を向け、そこでこちらを見ていたルディに、部屋の戻るよう目配せする。
ルディは頷き、部屋に戻った。
「ほれよ、賄いだ」
程無くして、アイールが料理を乗せた皿を手にやってきた。
「で、劣等種の寄り集まりの町はどうだったよ? 宝剣スられて、少しは勉強になったか?」
ルディの有様を見て、察したらしい。アイールは皮肉を言ってくるが、ルディには言葉を返す気力も無かった。そんなルディに、アイールはつまらなそうに肩をすくめ、
「悪ぃが、気ぃ抜くのはまだだ」
鼻先に皿を突き付けられ、ルディは反射的にそれを受け取った。
「後でもう一仕事だ。しっかり食っとけよ」
「仕事?」
「話を聞いてたろ。後で件の倉庫街に行ってみるぞ」
「後でって、貴様ここの仕事は」
「だから、店閉めて寝静まってからだ。それに、もしかしたら取引相手も現れるかもしれねえ」
「取引?」
「盗賊達が倉庫街をぶんどったのは、この町の拠点と取引相手と接触する場所の確保ためらしい」
「ま、待て。それは確かな話なのか? そもそもどこからの情報だ?」
「それを、これから確かめるのさ。当たりなら良し、外れても顔ぶれは拝めるだろ‥‥‥じゃあ、後でな」
アイールは、部屋を後にする。
残されたルディは、出された食事を口に運ぶ。
「‥‥‥」
美味い。雑穀パンに炒めた獣肉と野菜を挟んだだけの簡単なものだが、丁度よく味付けされている。ダテに調理士はやっていないらしい。
空腹だった事もあり、ルディはそれらを瞬く間に平らげ、大きく息を吐き出した。
「‥‥‥何をやっているんだ、私は?」
アイールは、単なる日銭目的でここで働いているのではない。それを通じて、集まってくる客達から情報を引き出しているのだ。
拠点にこの宿酒場を選んだのも、そのためだろう。町の住人のみならず、外から来た隊商なども集まるから、情報収集の場とするにはもってこいだ。
更に、アイールが調理士としての腕を振るえば宿代は浮かせられるし、食事もこうした賄いで満たせられる。寝泊まり部屋はすぐ上と、良い事ずくめである。もちろん相応の社交性も必要だが、アイールの場合はいらない心配だ。
現地の住民との交流は情報収集の基本中の基本──アイールの行動は、それを忠実に、そして高度に実践している。
それに比べ、
「何をやっているんだ、私は?」
本当に何をしてるのか、と思う。
自分は、仮にも相応の教育を受けてきた。皇都の宮で、そしてヘルトリーで。
では──相応の教育を受けている自分は、今この場で何をやっているのか?
ストラガイゼルから出立して以降、自分は何をしてきたのか?
どう贔屓目に考えても、何もしていない。
エルトに着くまでは、餓獣を相手にするのはもちろん、食い扶ちまでアイールに頼りきりだった。エルトに着いてからも、早々に不手際を起こし、結局自力で解決出来ないばかりか事態を悪化させた挙句、見ず知らずの女に、しかも旧人に助けられた。
ルディは空になった皿に目を向ける。見た目は簡素、具材も大したものは使っていないし、調理の時間もせいぜい十数分。たったそれだけで、美味い食事を作る方法など、ルディは知らない。
高度な知識や技能、そして天性の才能は確かに自分の中にある。だが、今までそれが役に立った事があったか。自分は役立ててきたか。
スッカラカンのカス──アイールの言葉が、今更のように重く深く突き刺さって来た。その痛みに耐えきれず、気づけば窓から飛び出していた。




