己の立場
ゴロツキ共は、追ってこなかった。が、女はすぐには止まらない。ルディの手を引いたまま迷路を迷いなく駆け抜け、十分足らずで表通りに着いた。だが女は、ルディを離さなかった。
「宿はどこ? 送るわ」
「余計な世話だ。ここまで来れば、一人で」
「一人でいたら、今度はスリじゃ済まないわよ」
「‥‥‥何故、私がスリにあったと?」
「一目で分かるわよ。他には、そうねぇ~」
女はルディの周囲を回りながら、一つ一つ言い当てていく。
「そのスリを追ってここに飛び込んだものの結局逃げられ、盗られた物は取り返せず、挙句道に迷って途方に暮れてるところをゴロツキに囲まれた」
一周してルディの正面に戻ってくると、女は恭しく頭を下げ、
「ここまでで、訂正箇所はございますか、オルディライア・スピーテル殿下?」
「貴様‥‥‥っ」
身構えるルディ。
スリ云々だけならまだしも、こちらの出自まで見抜くとなると、もうカマかけの域ではない。
「落第級に隙だらけよ、皇女サマ」
と、女が差し出したのは、見覚えのある布と黒眼鏡だった。
ルディは、慌てて頭と目元に触れてみるが、紫紺の髪も瞳も剥きだしになっていた。
「その格好も、似合ってるけど全っ然板に付いてないわ。大方、一緒にいた人が選んだんでしょ」
と、女はルディの頭に巻き布を巻いていく。
「皇女云々はともかく、どこぞのご令嬢ってのは、三秒で分かるわ。で、結論」
黒眼鏡を掛けてやると、女はルディの鼻先に指を突き付け、
「アンタはね、一人じゃ絶対に宿に着けない。十分もしないうちに丸裸にされるか、上手い事言いくるめられて気づけば娼館行き‥‥‥で、宿はどこ?」
既に日は落ちているが、設置された街灯と建物の灯りのおかげで、さすがに表通りは真っ暗というわけではなかった。とはいえ、その光はさほど強くは無いし、消えている物もある。人通りも日中に比べると、随分とまばらだ。
「ねえねえ」
ルディの前を付かず離れずの位置で歩いていた女は、さりげなくルディの横に並び、小声で言った。
「あそこ、そっと見て」
その視線を追う。男が一人、道の端で呑んだくれている。のろのろと手にしていた酒瓶が口元に傾けられ、
「!」
呑んだくれとは思えない鋭い目を、酒瓶の陰からルディに向けてきた。
「はい、気を付けて」
と、女はルディの肩を引っ張る。危うく、前から来たボロ布を纏った老婆にぶつかるところであった。
「‥‥‥ちっ」
腰を曲げていたため老婆の顔はよく見えなかったが、舌打ちは確かに聞こえた。老婆が伸ばした手は、ルディの懐の位置にあった。
「てな具合で、ここじゃアンタは恰好の獲物よ。それも、その他具材と鍋釜、あとコンロも一緒に背負ってきた来たってくらいのね。アンタの身の上は、むしろ連中を誘うエサだと思ってなさい」
ルディは、感覚を尖らせる。すると、あちこちから視線を感じた。背後には、二、三人ばかり尾けてきている。彼らの目は、襲いかかって来る餓獣のそれと同じ光だ。一人でいたら、とっくに彼らは何らかの形で仕掛けていただろう。
「着いたわよ。ここで良いんでしょ?」
「‥‥‥ああ」
女が立ち止ったのは、ルディ達が逗留している宿酒場の前だった。日はまだ落ちかけている途中だが、中の酒場からは既に酔っ払いの騒ぎが聞こえてくる。
「それで、見返りは何だ?」
警戒を解かず、ルディは訊ねた。
この女は、どちらかと言えばルディを獲物として見る連中と同じ側だ。そして、連中よりもずっと格上の類なのだろう。だから、彼らは寄って来なかった。そんな彼女が、善意だけでこんな事をやるとは思えなかった。
「別に良いわよ、そんなの。見目麗しいお姫様がケダモノどもの慰み者になるのを、同じ女として放っておけなかっただけだから」
「‥‥‥」
ルディは疑わしげな眼を向けるが、女は気にせず話を変えた。
「それより、今夜中にでもこの町を出る事をお薦めするわ。強制はしないけどね」
「何?」
「そうでなくてもこの町は物騒だし、最近じゃ盗賊もうろつき始めてるの。噂じゃ、この町でも特に荒くれの連中が集まってたねぐらを乗っ取って、自分達の拠点にしたとか」
「ちなみに、そのねぐらとやらはどこにある?」
来て早々ゴタついたが、ここに来た本来の目的は忘れていない。〝盗賊〟という言葉に、ルディは興味を引かれた。
「‥‥‥興味本位で踏み込むつもりなら止めときなさい、皇女サマ」
「何も知らず気づいたら踏み込んでいた──というのは避けたいという事だ」
ルディは、表情を変えずに否定の言葉を発した。嘘ではない──踏み込むのが前提だが。
「町の北側の倉庫街よ。でも、何度でも言うけどここじゃアンタは非力な獲物よ。考えなしの行動はしないようにね。それじゃ」
と、女は踵を返す。
「そういえば」
その背中を、ルディは呼び止めた。
「まだ、名を聞いていなかったな?」
「エネイヴァルでいいわ。じゃあね」
女──エネイヴァルは立ち去った。
時間と労力を無駄にしたと思っていたが、最後の最後で思わぬ情報を得られた。アイールの嫌味が増える事は、避けられそうだ。
エネイヴァルとやらの説法を聞き入れるつもりなど、毛頭無い。今夜はひとまず休むとして、明日は早速行ってみようと思う。
宿に入ったルディを出迎えたのは、呑んだくれどもの騒ぎだった。耳に障るので、さっさと部屋に戻ろうと階段に向かう。
「お、美味ぇ。こいつも、お、こいつも」
この騒ぎの中にあって、それは少々異なる質の賛辞だった。ルディは足を止めてそちらに目を向ける。カウンター席に座る男が、酒の方には目もくれず、出された料理にばかり手を付けていた。




