カス子
皇族の治癒力も相まって、傷は十分と経たずに消えた。ルディは蒼月精で電磁場を作り出し、水樽と一緒に川に浸かっていたガーマも引き揚げる。何に使うのか、一緒に持ってくるように言ってきたのである。
「ぅ‥‥‥」
野営地に戻ると、漂っている臭いに思わず鼻を覆う。その発生源は、二つの焚き火だった。どうやら、香草を焚いているらしい。しかも、かなりの量だ。
「ああ、こっちだこっち」
二つの焚き火に挟まれる場所にいたアイールは、ルディに気づいて手招きした。
「樽は、とりあえずその辺でいい。ガーマはこっちだ」
指差した彼の足元には、樹脂製の敷き布が広げられていた。言われたとおり、そこにガーマを置いてやる。
「んじゃ、次。中足と後足を片方ずつ持ってろ」
言われた通りにする。すると、ガーマの腹が剥き出しになった。
「これでいいか?」
「ああ。そのまま、支えてろ」
言いながら、アイールは片手でガーマの胸元を押さえ、もう片方の手に握られている短剣を、ガーマの上腹に突き入れた。
「おい‥‥‥」
「手ぇ離すな」
手を緩めかけたルディに注意を飛ばしながら、アイールは尾に向けて切れ目を入れていく。
「な、何をしている?」
「見りゃ分かるだろ。解体作業だ」
「解体って‥‥‥これを食べる気か?」
「たりめーだろ。仕留めてそのままにして、他の餓獣にくれてやるなんて勿体ねえことするか」
ほくほくとした顔で、アイールは刃を入れていく。
「本当に、食べられるのか?」
「食べられるように、これから加工すんだよ」
「携帯食があるだろうに」
「そりゃあくまで非常食で‥‥‥て、あのさ」
言葉を切ったアイールは、しばし考え、
「例えば、出がけにもらった金だが‥‥‥お前は、あれが生活費とか思ってんじゃねえだろうな?」
「違うのか?」
平然と問い返したルディに、アイールは舌打ちした。
「そりゃ、あくまで支度金だ。無駄遣いなんざ出来るか。そうでなくても、お前の服は余計な出費だってのに」
「ぐ‥‥‥では、どうするのだ? まさか、定期連絡の度に資金要請するのか?」
その問いに、アイールは心底呆れたように鼻を鳴らし、
「准将にも言われただろ。用意したのは最低限必要な物で、それ以外は現地調達って。お前、〝現地調達〟って、何だと思ってんだ? 上級士官候補生は、将来幹部で本部勤めだから、前線や現場の細かい活動を教わらねえのかい?」
「何だって‥‥‥文字どおり、現地において必要な物を自力で調達することではないのか?」
「そうだ、自分で手に入れるんだ。食い物にしても、着る物にしても‥‥‥金にしても、例外じゃねえぞ」
さすがにここまで言われれば、ルディでなくても気づく。
今回における、〝現地で金を稼ぐ〟というのが、何を意味しているのか。
「私に、劣等共に混じって労働しろと言うのかっ? 何故そんな下らないことを」
「そんなだから、スッカラカンのカスだっつうんだよ、お前は」
アイールは、引きずり出した内臓を桶に放り込む。
「宮に帰れねえってのは良い機会かもな。お前みたいのが紫月皇になろうもんなら、すぐに破綻するぜ。一日二日とまでは言わねえが、甘く見ても五年そこらで滅亡だ」
「何も知らぬ劣等が偉そうにっ!」
ルディの手の中で、握り締めた中足と後足の骨が音を立てた。
「大体、貴様がそれを言うのかっ! 元はと言えば貴様が」
「つまり、何も知らねえ劣等にぶち壊しにされるほど、お前が積み上げてきたモノは脆かったってことだ」
ルディの喚き声は、あっさりと途切れた。
「さっきの鬼ごっことか、ストラガイゼルでやり合った時なんざ良い例だ。お前の動きや手口はな、どれもこれもがどこかで一回は見たようなものばかりだ。それを上手く応用してるならともかく、そのまま真似してるだけときた」
「な‥‥‥」
「出す技にしたってそうだ。視線の動き、踏み込みの位置、攻撃の角度、それらの組み立てや使いどころ‥‥‥いくら速くて強力でもな、二つ三つ先まで何が来るか読めりゃ、いくらでも対処出来るっつの。ましてや、お前の場合は、二つ三つどころか、五つ六つ先まで見切れちまうんだよ」
握り締めていたルディの手が、急に緩まる。危うく、ガーマの足を離すところだった。
「お前さ、どうしてヘルトリーに来たんだ? 紫月皇継承はともかく、皇都なら貴族が通うような教練校ぐれぇあるはずだ。ヘルトリーみてぇな辺境に来るこたぁ無かったんじゃねえか?」
「それは‥‥‥教練内容の質と、末端にまで目を向ける意識を養うためで」
「そりゃ誰の受け売りだ? 親父か? 兄弟か? それ以外の誰かか?」
それ以外の誰か──今の選択肢で言えば、それが答えだ。色んな人に言われた気がするが、名前も顔も思い出せない。
「で、紫月皇になってどうする気だったんだ? そのために自分が何をするべきか、自分なりに考えた事があったか、オルディライア・スピーテルよ?」
「貴様っ!」
真名を口にされ、いつの間にか下に向かっていた視線を上げる。
「劣等風情が気安く、その名を口に‥‥‥」
怒声は、瞬く間に萎んだ。
視線を上げたことで、アイールが手を止めてこちらに目を向けていることに初めて気づいた。その全てを見透かすような深い目は、ルディの短絡的な怒りを抑え込むには充分だった。
「お前は今まで、他の誰かに積み上げてもらったんじゃなくて、お前自身で積み上げた事が、一度でもあったか? 自分一人で考えて、一人で決めて、一人で何とかしてきた事が、一つでもあったかよ?」
アイールの問いかけに、ルディは答えを返せない。頭にはあれこれ浮かぶのに、どうしても口に出なかった。
「そんなもんだ、お前なんざ」
十秒ほど答えを待ってから、アイールは吐き捨てた。視線をガーマに戻し、手を再び動かし始める。
「自分一人じゃ何も出来ねえ、何かしようともしねえ」
ガーマの首の傷を起点に皮を剥いでいく。喋りながら、その動きに淀みは全く無い。
「天性の才能だの、〝秩序の光〟なんて御大層な名前だの‥‥‥そういう、ご立派なモノを背負わされてるだけの」
容赦のない言葉なのに、そこに嘲笑や侮蔑は無かった。強いて言うなら、
「ただのカスだ」
憐れみだった。
「このままじゃお前は、どこまで行こうが、使い勝手が良いだけの捨て駒で終わるぜ。今回で言や、お前の言うところの〝ただの使い走り〟すら満足にこなせねえし、〝下郎の群れ〟に遊ばれるのがオチだ。せいぜい覚悟しとくんだな、カス子ちゃん」




