投手コーチの食事会
春季キャンプの休日に、プロ野球の投手コーチが食事会を開いた。
コーチが呼んだのは若手投手たちだ。彼らには全員、一流の投手になってもらいたい。
そのために、この食事会で伝えたいことがある。これから話すことは、練習中のグラウンドよりも、こういう場所での方が伝わりやすいと思ったのだ。
他のお客さんを気にせずに話したいので、知り合いのイタリア料理店を貸し切っている。
美味しそうな料理が次々と運ばれてきた。
「すげー、このサラダ。野球のボールが入ってる!」
若手投手たちは楽しんでいるようだ。
そこにオマール海老のグリルが運ばれてくる。他の料理と比べて、これだけはシンプルだ。オマール海老の他には、パセリが添えてあるだけ。
素材のオマール海老が良いのはもちろんだが、この料理の秘密はそれだけじゃない。
若手投手たち全員がオマール海老に手をつけたのを確認してから、
「どうだ、うまいか」
「うまいっす!」
で、コーチもオマール海老を一口食べる。
うむ。これだ。自分が求めていた味。
「この料理は塩加減がちょうどいいだろ」
コーチは語り出す。
この料理は塩加減が命だ。多すぎてもダメだし、少なすぎてもダメ。塩の量のわずかな違いが、オマール海老の味を殺してしまう。
最高の味を引き出すためには、かなりの経験が必要だ。逆に言えば、経験を重ねることでたどり着ける味でもある。
「野球の投球も同じだ」
若い時は勢い任せ。早く一軍に上がりたい、一軍に定着したいと、がむしゃらになりがちだ。
最初の数年は、それでもいい。
しかし、ずっとそのままでは困る。
「何年かあとには、この『塩加減』のように、『経験を活かした武器』を、それぞれが身につけて欲しい」
そうすれば投球の幅が広がる。
プロで長く活躍できる、その可能性が高まる。
こうしてコーチと選手、「教える者」と「教わる者」として出会ったのも、何かの縁だ。自分が伝えられることは全部、彼らに伝えたい。
「君たちには全員、プロの世界で野球を長く楽しんで欲しい」
とはいえ、ただ経験を重ねれば良いわけではない。
日々の経験をいずれ活かそうと、強く意識する。それが大事なのだ。毎日だらだらと塩加減を決めているだけでは、最高の味には到達できない。
「わかったな」
コーチは若手投手たちを見回す。
ところが、彼らは料理を食べるのに夢中なようだ。
しまった。今の話はもう少しあとでの方が良かったかも。
仕方がない。後日、別の形で同じ話をするとしよう。行きつけの寿司屋を、あとで予約しておくか。
そんな内心を表には出さずに、コーチは若手投手たちに声をかける。
「どうだ、うまいか」
「ずるいくらい、うまいっす! このでかいエビをおかわりしても、いいっすか?」
「そうだな。いっぱい食べろよ」
・・・・・・はぁ。彼らは若いし、今はプロで戦うための体づくりを優先させよう。
うん、今日の食事会の目的はそれだ。「体づくり」が目的だったことにすれば、この食事会は失敗ではない。うん、無駄ではない。
「コーチ、さっきのスープも、おかわりできますか?」
「・・・・・・あ、ああ、もちろんだとも! 今日の食事会は俺のおごりだ。遠慮せずに、いっぱい食べろよ。貸し切りにしているから、多少の融通がきく」
「じゃあ、あのスープを丼でおかわり!」
「俺もー!」
そんなこんながあって、やがて食事会が終わった。
コーチが会計を済ませて店を出ると、
「食事、あざーっす!」
若手投手たちがお礼を言ってくる。
そして彼らは、
「俺たちもいつか、『塩加減』のうまい投手になれるようがんばります」
それを聞いて、コーチは驚く。なんだ、ちゃんと話を聞いていたのか。てっきり食べるのに夢中だとばかり・・・・・・。
そうか。こちらの言いたいことが、きちんと伝わっているようで安心した。
「明日からの練習も一緒にがんばろうな」
コーチは宿に向かって歩き出す。
嬉し泣きしたいのをこらえながら、この若手投手たちが華々しく活躍する、そんな未来を思い浮かべるのだった。
次は昔のお話です。




