第9話 VSオーク、対峙
肩を叩かれたリリィが顔を上げると、そこあったのは、にたりと邪悪な笑みを緑色の顔いっぱいに広げたオーク兵隊長・バルゾの姿だった。
肩に置かれた手はその笑みとともに力を増し、いまや彼女の細い肩を折らんばかりに掴んでいた。
リリィは衝撃と恐怖に硬直した。
しかし一方で、心のどこかに観念したような気持ちがあった。
――生け捕りにされて、<天の叡智>をオークどもに悪用されるくらいなら、もういっそ、このままここで始末してくれ。
そもそも反撃するほどの魔力も残っていなかったリリィは、バルゾに腕をつかまれたまま、抵抗することもなく、だらりと無気力に体を委ねていた。
彼女の細い体は、あっという間にバルゾの肩に担ぎあげられる。
その肩の上で、リリィは、先ほどほんの一瞬でも学人の手を期待してしまったことを思い出し、自虐的な笑いを浮かべていた。
もう、本当にこれで最後。
ごつごつとした肩に揺られながら、心の中で自分に言い聞かせた。
周囲もまともに見えない暗闇の中、リリィは複数の足音が聞こえるのを、ぼんやりとした意識の中で感じていた。
そのうちの一つは、だんだんと大きくなっているように思われた。
その音がすぐ近くまで来たかと思った次の瞬間、体を揺さぶられる衝撃とともに、彼女の身体は地面に打ち付けられていた。
「…………!?」
リリィが体を起こすよりも早く、何者かに抱き起された。
その手は、今度こそ、覚えのある優しい手だった。
「リリィ、怪我してないか? 俺……焦って、乱暴にしちまった」
彼女が顔を上げると、そこには汗だくで息を切らす学人がいた。
リリィは言葉が出なかった。
先ほど、心のうちにわずかに残る期待を、消し去ったばかりなのに。
この男は、どうして――。
「ヴゥウ…………」
醜く低いうなり声に、彼女の思考は中断された。
声の方に目をやると、バルゾが背中をさすりながら道路に座り込んでいる。
どうやら、学人がバルゾの背中に飛び蹴りし、彼の身体を道路に引き倒したようだ。
リリィの身体も、その反動で飛ばされたのであろう。
しかし、頑丈なオークにはダメージ自体はさして入っていないようで、バルゾはすでに立ち上がっていた。
学人はリリィを自身の身体の後ろに隠しながら、相変わらず荒い息をして鋭くバルゾを睨みつけた。
「リリィ、下がってろ」
学人は小さな声でリリィに言った。
そして両者の睨み合いが数秒続いた後、バルゾがおもむろに学人めがけて両腕を振り回して走り出した。
「マナト!!!!!」
リリィは慌てて飛び出そうとしたが、学人は叫ぶ彼女を手で制しながら、バルゾ目掛けて何かを投げつけた。
そしてすばやく、リリィの上に覆いかぶさった。
学人の身体越しにリリィの耳に届いたのは、何かが割れる音、ボンッ!という破裂音、そしてバルゾの呻くような叫び声だった。
「今のうちに逃げるぞ!」
学人は素早く立ち上がり、リリィを抱えて走り出した。
幼くなったとはいえ、10歳ほどの姿をしたリリィを抱きかかえたまま全力疾走するのは、普段引きこもりがちな彼には相当にきつかっただろう。
それでも学人は走り続けた。
ちらほらと人の通りが見え始めたところで、ようやくその足を緩めた。
「……ひ、ひとまず、巻いたか。あのデカブツめ、ざまあみろ! こちとらニートやらしてもらってんだ、酒と煙草の扱いにかけちゃ右に出る奴はいねえんだよ!」
激しく息を切らしながらも、学人はバルゾのいた方向に向かって威勢よくそう吐き捨てた。
興奮状態なのか、いつもより口調が荒ぶっている。
「マナト、一体何を――?」
「オークっつったら、RPGとかじゃ炎弱点が多いだろ。……だからもしかしたらと思って、家から、酒とライター、持ってきて、……投げた」
先ほどのボンッという音は、ライターの火が酒に引火して小爆発を起こした音らしい。
リリィは、危ないことをするなと学人を一喝しようとしようとしたが、うまく喉が開かなかった。
代わりに、こう一言絞り出すのが精いっぱいだった。
「……マナト、どうして……」
「ん? リリィのローブ、きらきら光るから暗い中でも見つけられたんだよ」
学人は、洗っておいてよかったなと能天気に笑っている。
「そうではない。……どうしてリリィを追ってきた」
「心配だからに決まってる。……お前こそ、なんでこんな状況で、こんな時間に外に出たんだ」
学人は真剣な表情に戻っていた。
リリィはぽつりと呟くように答える。
「分かるであろう? リリィがいると争いが起こる。リリィはもう、誰にも傷ついてほしくないのだ。……リリィは、一人で生きていくしかない」
「一人って……そんなの、無理に決まってるだろ?」
呆れたような顔をする学人にリリィは苛立ち、声を荒げた。
「では、どうしろというのだ!!! リリィが居てもいい場所なんて、世界中にどこにもない! 一人では生きられぬというなら、リリィはもう、……死ぬしかないではないか!!!」
その目からは、再び涙が溢れ出していた。
「……お前、本気で言ってるのか?」
学人は、リリィの聞いたことのない低く鋭い声をしていた。
リリィはその声に少し体を震わせた。
「お前に居場所がない? なら、俺はなんなんだよ」
「っ……それは……」
「……少なくとも、俺は、お前と一緒に暮らして楽しかったし、俺の家がお前の帰る場所だと思ってた。でも、お前にとってはただの仮住まいか? 挨拶もせずに夜逃げできる程度の場所だったのか?」
「違う! ……リリィは、ただ……マナトを……皆を……」
いつも泰然としていた姫君は、いまやその容姿相応の子供のように泣きじゃくり、話を続けることすらできなくなっていた。
学人はゆっくりと彼女の目線に合わせて腰を下ろし、その両肩に手を置く。
「……リリィ。どこにもいちゃいけない奴なんて、いない。【あるかでぃあ】のみんなだって、お前のこと心配してた。……きっとお前の父さんも母さんも、戦争とか関係なく、お前のことを心配してるはずだ」
「……だが、リリィのせいで皆が傷つくのは、……」
「安心しろ。オークの追撃は俺がまた弾き返して、必ずお前を万全の状態で元の世界に帰してやる。……だからもう、勝手にいなくなるな。死ぬしかない、なんて、言うな」
学人の声はいつになく力強かった。
リリィは、泣きながら頷き、学人の肩に強く抱き着いた。
学人はそのままリリィを抱きかかえ、とんとんと優しく背中を擦った。
「……ローブ、また洗わないとな」
学人はいまだ袖を濡らし続けるリリィにそう笑いかけ、二人は静かに帰路についた。
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