第8話 エルフの姫、夜に駆ける
学人に借りたパーカーのフードを目深に被りながら、リリィは一人、帰路についた。
家までの道中の景色は、全てぼやけて見えた。
気付けば家に着き、いつもより広く感じるその部屋で、リリィは立ち尽くしていた。
いつだって争いは、自分のせいで起こる。
自分のせいで、周囲の民たちに害が及ぶ。
異世界の魔界戦争も、アキハバラのオーク襲来も。
そして遠からず、この家やマナト自身だって、襲撃の対象となるかもしれない。
――では、リリィは何処に行けば良い? この世界に、いや元の世界にだって、リリィの居場所なんて、何処にもないではないか。
絶望に飲み込まれそうになるリリィの目に、ふと、部屋の隅に丁寧に畳まれた水色のローブが映った。
彼女が秋葉原にやってきた日に纏っていたローブである。
オーク兵の手によってひどく汚されていたそのローブは、いまやほとんど元通りと言ってもよいほど綺麗に洗われていた。
リリィの脳裏には、洗面所でトントンと音を立てながらシミ抜きに苦戦する学人の後ろ姿、そして、乾いたローブを嬉しそうに見せにきた彼の顔が浮かんでいた。
「見ろ、リリィ! ほとんど分からないくらい、綺麗になったぞ! ……父さんにもらった、大切なローブなんだろ?」
珍しく晴れやかだった彼のその笑顔は、今でも鮮明に思い出せる。
――そしてそれは、今の彼女にとっては、眩しすぎた。
「もう、仕方ないのだ」
リリィは自分に言い聞かせるように、そう呟いた。
◇
遅れることしばらくして、学人も帰宅した。
無事にユウカを家まで送り届けてきたようである。
帰宅早々、学人はリリィに何か話しかけようとしたものの、彼のスマホの着信音によってそれは遮られた。
「もしもし、ユウカちゃん? こっちも無事着いたよ。……少し落ち着いたのなら、よかったよ」
学人とユウカは、連絡先を交換したようである。
リリィは、学人がスマホを片手に話すのをぼんやりと眺めていた。
「え、また会えないかって? 俺と? ……うん、大丈夫だよ。俺も心配だし。……また連絡するから」
リリィは、その会話だけで、相関図の矢印に動きがあったことをなんとなく察した。
突如現れた化け物から守り、家まで送り届けてくれた騎士に、好意が芽生えたとしても、何ら不思議はないだろう。
それでも、リリィは直感的にそれを嫌だと感じた。
その感情の正体はわからなかった。
しかし、自身にそんなネガティブな感情が生まれたという事実は、それだけでリリィの心をますます絶望で蝕んでいった。
――ユウカは、リリィを【あるかでぃあ】の一員にしてくれた恩人であり、大好きな仲間だ。そのユウカに、このような感情を抱くなど。醜い。醜い。醜い。
リリィは無言で、学人に背を向けて床に入ったが、潜り込んだ布団は、特に彼女の心を癒してくれはしなかった。
通話を終えた学人が改めてリリィに声をかけたが、リリィは頑なに狸寝入りを決め込んだ。
◇
学人が完全に寝静まったのを耳で確認して、リリィはゆっくりと布団から這い出た。
部屋の隅に置かれたローブを静かに身に纏う。
幼くなったその体には、やはり大きすぎるそのローブを床に引き摺りながら、リリィは学人に視線を落とした。
「ありがとう、マナト。……リリィの居場所になってくれて」
リリィは悲しそうに僅かに微笑むと、極力音を立てないようにしながら、学人の家を後にした。
初めて一人で歩く夜道は、煌めくネオンのおかげか、思ったよりも暗くなかった。
行く当ては、特になかった。
アキハバラにはもういられない。
この体では、元の世界にも戻れない。
……仮に戻れたとしても、また戦争が再開されるだけだ。
とにかく誰にも迷惑をかけないように、一人にならなくてはと、できるだけ人通りの少ない道を選んで走った。
そのせいか、夜の闇は次第に濃くなっていった。
――"一人"。
いつまで? 死ぬまで?
リリィは、急に途方もない恐怖に襲われた。
その道を選べば、【あるかでぃあ】の皆にも、マナトにも、アストリアの民と家族にも、もう二度と会えることはないのだ。
――こんなことなら、居場所なんて最初からなければよかった。最初から一人なら、失う苦しみもなかったのに。
リリィはついに涙を堪えることができなかった。
自分を巡って戦争が起こった日も、一人見知らぬ世界に転移した日も、彼女は涙を流さなかった。
常に王族として相応しい振る舞いを求められ、それが体に染み付いていたからだ。
しかし、その時リリィは、物心着いてから初めて、大きな声を出して、ぼろぼろと涙を零しながら泣いた。
――何が<天の叡智>。民を守るのにさして役立つわけでもない。……こんなもの、もう呪いと同じだ。
夜の帷の中で一人泣き喚きながら、彼女は自分の天命を恨んだ。
……どのくらい、そうしていただろうか。
いつの間にか、リリィは沿道の端に座り込んでいた。
そして、ついに、俯く彼女の肩を叩く者が現れた。
リリィの涙に濡れた瞳は、ほんの一瞬だけ、期待に揺れた。
しかしそれは、あの日秋葉原の雑踏で差し伸べられた優しい手ではなかった。
緑色のごつごつとした、醜い手だった。
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