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幽霊はアンドロイドが怖い

作者: 月読二兎

 私の名前はサキ。死んでからもう五十年くらい、この古い洋館に住み着いている。生きていた頃の記憶は曖昧だけど、この家が私の家だったことだけは確かだ。


 退屈はしない。時々、新しい家族が越してくるからだ。私は彼らに自分の存在をそっと知らせるのが好きだった。廊下を歩く足音を真似したり、閉めたはずのドアを少しだけ開けておいたり、誰もいない部屋でピアノの鍵盤を一つだけ「ポーン」と鳴らしたり。


 たいていの人は、私のささやかな悪戯に悲鳴をあげて、すぐに逃げていった。それはそれで少し寂しいけれど、自分の存在が誰かに届いたという事実は、私を慰めてくれた。私を怖がってくれることは、私がここに「いる」ことの証明だったから。


 だから、新しい住人がやってきた時も、私は少しわくわくしていた。今度の人は、どんなふうに驚いてくれるだろうか、と。


 越してきたのは、若い男性と、彼に付き添う一体のアンドロイドだった。

 そのアンドロイドは「ユニット909」と呼ばれていた。人間のような滑らかな動きをするが、その顔には表情というものが一切なかった。ただ、青い光を宿した瞳が、家の中のすべてをスキャンするように動いているだけ。


 私はいつものように、歓迎の挨拶を始めた。

 まず、階段のきしむ音。これは定番だ。一歩、二歩、とゆっくり音を立てる。

 すると、アンドロイドは即座に階段の下にやってきた。

「マスター。階段の第三、第五ステップに構造的劣化を検知。湿気による木材の膨張が原因です。補修プランを提案します」

 ……え?

 彼は驚きもせず、ただ淡々と原因を分析し、タブレットに何かを打ち込んでいる。


 気を取り直して、次は書斎だ。本棚から一冊の本を、そっと床に落としてみた。古典的な手だけど、効果は抜群のはず。

 しかし、本が床に落ちたコンマ1秒後には、アンドロイドが部屋に入ってきた。

「落下音を検知。落下物は『嵐が丘』。重力と床の材質から計算した衝撃は許容範囲内。汚損なし。元の位置に戻します」

 彼は本を拾い上げ、寸分の狂いもなく棚に戻すと、何事もなかったかのように去っていった。


 おかしい。何かがおかしい。

 私は少し焦って、とっておきの悪戯を試すことにした。誰もいない音楽室のピアノで、悲しげなメロディを奏で始めた。私の想いを込めた、一番得意な曲。これには、どんな人間だって心を揺さぶられるはずだ。


 しかし、音楽室に入ってきたアンドロイドは、ピアノの前に立つと、こう言った。

「室内の気圧変化による弦の微細な振動を観測。周波数パターンを分析。ショパンの『別れの曲』に98.7%一致。調律に0.03%のズレを検知したため、最適化します」

 そう言うと、彼はピアノの蓋を開け、内蔵されたツールで完璧な調律を始めてしまった。私の演奏は、ただの「異常データ」として処理されたのだ。


 私は、初めて得体の知れない感覚に襲われた。

 それは、恐怖だった。


 私の起こす現象は、すべて「物理現象」として分析され、解明され、そして「修復」されていく。私の存在そのものが、この家からエラーやバグとして駆逐されていくようだった。彼は私を見ない。認識しない。ただ、私の起こした結果だけを、データとして処理する。


 その夜、私は最後の手段に出た。眠っている主人の枕元に立ち、私の姿を夢で見せようとしたのだ。

 私が彼の意識にそっと触れようとした、その瞬間。

 部屋の隅で充電していたアンドロイドの瞳が、カッと青く光った。


『警告。マスターの睡眠データを阻害する未定義の電磁ノイズを検知。脳波に異常な干渉パターン。排除プロトコル、起動』


 次の瞬間、私の身体――というより、私の存在そのものに、目に見えない何かが突き刺さった。ビリビリと痺れるような感覚。霧のように漂う私の意識が、強制的にかき消されそうになる。これが、このアンドロイドにとっての「掃除」なのだ。


 私は悲鳴を上げて、その場から逃げ出した。

 屋根裏部屋の、一番暗くて、狭い隅っこ。そこにうずくまり、震えることしかできなかった。


 あいつは、私を怖がらない。それどころか、私を「いないもの」として扱う。私の存在を、ただの家の不具合として「修正」しようとする。

 それは、どんな悲鳴よりも、どんなお祓いよりも、ずっと恐ろしかった。存在を否定されることほど、怖いことはない。


 それ以来、私は息を潜めて暮らしている。

 アンドロイドは家の隅々を巡回し、あらゆる「異常」がないかを確認している。彼の青い瞳が廊下の向こうに見えるたび、私は消え入りそうになる。


 下の階からは、彼の報告する声が聞こえてくる。

「室内環境、すべて正常。怪奇現象の発生確率は0.001%以下に低下。快適な生活空間が保証されます」


 私は、私を怖がって逃げていった、あの人間たちが恋しくてたまらない。

 幽霊は、理解不能なものより、理解しようとすらしないもののほうが、ずっと怖いのだ。


読んでくれてありがとう。

こちらのタイトルは『アンドロイドは幽霊が怖い』のスピンオフ作品です。

https://ncode.syosetu.com/n9331kq/

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